「更新日記」11月前半号
2001年11月 10日(土) 15日(木)
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11月1日(木) いよいよ11月に入った。晩秋である。今年も残すところ、あと6分の1。サーバーや機械の具合で、その日に間に合わないこともあったが、更新日記も10ヶ月連続で更新できた。

学校では、畑仕事や藁運びに精が出る。ただ、今日は湿度が高かったせいか、かなり汗をかき、着替えを忘れていたので冷えてきてピンチだった。おまけに急遽日直になったため、早めに帰ることもできずダブルピンチ。アイロンや扇風機で乾かしながら堪え忍び、帰宅してすぐに入浴したら人心地がついた。

佳緒里が進路選択でいろいろと考え初め、実社会のことに少しずつ目覚めてきた。かなり遅蒔きではあったが、残りの日々を大事に使い、納得のいく進路を選んでほしい。
典子は明日の中学の支部活動のために、おでんの材料などを買い出しに出かけたようだが、翼が一緒なので、車椅子や翼の移動だけでグロッキーになってしまったらしい。
それぞれに大変な課題を抱えているが、健康にだけは注意し、人としてさらに大きくなってほしいと思う。もちろん自分自身もだが。

11月2日(金) 国府小学校では、今日は職員研修で東京都文京区駕籠(かご)町小学校に、総合学習の先進校視察のため、児童は休校、職員は8時に高崎駅東口に集合。今晩は典子が南中の支部行事で6時からいなくなるため、早めに帰らなければならないし、送り迎えも頼めないので、甥っ子のバイクを借りて出動する。駅前に行ってびっくり。放置自転車やバイクが全くないきれいな街並みなのだ。コンビニの駐輪場前にも「放置自転車・バイクは撤去しました。どこどこに取りに来てください。手数料:自転車1000円、バイク1500円。」と書き置きしてあった。手数料はともかく、そんな手続きをしていたら時間がかかって、せっかくバイクで行った意味がないので、労金の跡地の駐輪場に停めさせてもらうことにする。それにしても、きれいな駅前だった。
新幹線は高崎始発なのでゆったり座れたはずなのだが、うっかり喫煙車に乗ってしまい、気持ちが悪くなったので禁煙車に行くと超満員だった。日本の喫煙人口の激減にびっくり。
研究発表は午後からなので、午前中はお台場のフジテレビを見学。球体の展望台にも登ったが、入場料が500円だった。ただし、スタンプラリーでクリアフォルダーがもらえた。
昼食は、竹柴駅前のホテルでランチバイキング。味もバリエーションも見事で、少しずつ1通り食べようと思ったが、デザートは5分の1も食べられなかった。何が疲れたと言っても、この昼食が1番疲れた。まさに「食べる格闘技」と言う感じだった。
午後は地下鉄三田線で千石まで行き、目的の学校は駅からすぐだった。単学級で15〜20人くらいのこぢんまりとした学校。1〜6年までの授業を一通り参観して、早めに失礼する。
帰りは、巣鴨駅から上野駅に行き、あさひに乗る。ほぼ満員だったが、3列のシートの両端に男性が座り、真ん中が空いているところが1つだけあって、首尾良く座れた。
高崎駅から労金まで歩いていくと、バイクは無事だった。ただし、燃費が悪くて、我が家に着く頃には燃料がほとんど空だったのでヒヤヒヤした。

帰宅すると翼のお友達が見えていた。面倒見の良い優しい子だそうで、しっかりしている。翼はみんなから好かれているので、本当にありがたい。(17:00)

典子が出かけ、4人には適当な夕食をあてがい、カオユカにバチャ面(翼の面倒見)を任せて、恵里歌を空手に送る。なるべく家を空けないように、迎えもギリギリの時間で行って来る。
翼は「ママが帰ってくるまで待ってる。」とは言っていたが、11時半頃撃沈。典子も10時半頃、1次会の後始末を終えて帰ってきたのだが、すぐに2次会へ。帰ってきたのは・・・

11月3日(土) 昨夜(?)の2次会はすごく楽しかったようで、特に南中の先生ですごく愉快な人がいたという。私も1度だけ同席したことのある先生だが、確かに1度あったら忘れられないインパクトがある。奥様は確か新体操の権威で、山崎弘子さんと同期だと言っていたような気がする。南中も知り合いの先生が増え、行きやすくなった。その他にも、支部長さんや副支部長さんなど、いろんな人の話が聞けてとても実のある懇親会だったようだ。(7:50am)

休日恒例の庭の片づけを11時くらいまでしてから、佳緒里の希望でヤマダ電機に向かう。環状線には警官が多数出ており、何やら物々しい警戒。途中の本屋で車を停め、様子を見ていると、なんと皇太子殿下が通られた。向こうの車線は日の丸を持った人でいっぱいだが、こちらはほとんどおらず、車椅子の翼を押し立てて待っていると、外処家のフルメンバーしかいない辺りに向かって、手を振ってくださった。なかなかの僥倖であった。
国道沿いに新しくできたラーメン屋「GAKIDAISHO」で昼食をとって帰宅。
午後6時から集会の星野兄のお父さんのお通夜があるので、5時にチャペルの駐車場へ。折からの雨だが、集まった6人を乗せて、下之城町のプリエッセ武内へ。近隣の集会の人たちや学校関係者など、知っている人も多かった。星野兄には我らの結婚式の司会を始め、様々に世話になっている上に、独身時代にはよくお邪魔し、泊めていただいたことも何度かあり、ご両親から「ゆっくりしていってください。」との優しい笑顔をいただいたことも少なくない。82歳だったと言うことで、天寿は全うしたが、やはり無常を感じるのみ。

11月4日(日) 今日は第1日曜なので、本来なら日曜学校の相談会が昼食時にあり、朝から午後まで、子供らを連れて出かけるはずだが、肝心の星野兄がお父様の葬儀で来られないので、延期したらどうかと考えている。追悼と降誕待望の意味を込めて、「久しく待ちにし」にBGMを代えようと思う。(8:00am)

集会では3人のバプテスマ(洗礼)があった。1人は91歳のおばあちゃんでもう1人はその娘さん。そして、もう1人は高校2年生の男子で、古くからの教会員の息子さん。歓迎会では、12年ぶりに復帰した私の幼なじみも交えて、4人への歓迎の言葉や、それぞれからの挨拶があった。12時50分までかかってしまい、急いで帰宅し、昼食をとり、3姉妹を乗せて日曜学校にとって返す。手薄なので、クリスマスの練習は短めに終わり、分級する。
帰宅してから、典子とともに箕郷町に新しくできた万寿屋にでかけ、灯油や食品を買い込む。

夕食後、佳緒里が頭痛を訴え、熱も38℃を記録する。一旦母家に行ったが9時半頃腹痛を訴え戻ってくる。11時頃、友加里が「かおちゃんが、右の脇腹を痛がっている。」と教えに来たので、「盲腸かも。」と言うことで、急遽狩野外科へ。とりあえず入院し、抗生物質を点滴してもらっている。

11月5日(月) 朝6時に狩野外科の玄関が開くので行ってみたら、佳緒里の熱は37.4℃になったそうで、手術せずに済むかもしれないとのことだったが、お昼前に典子からメールがあり、やはり手術を受けなければならないとのこと。
3時から年休をもらい、狩野外科に行くと、佳緒里がいよいよ手術室に入る前だった。手術室に入るのを見届けようと思ったが、翼はギプスの足でヒョコヒョコ歩いており、帰りたがってたまらないので、付き添いは典子に任せて帰宅。友加里がすでに帰ってきており、恵里歌もじきに帰宅した。3時20分頃、手術室に入ったとのメールが届く。(15:50)

「手術は成功」 と言いたいところだが、患部が発見できず、管を入れただけで縫合。白血球が減少していれば良し、でなければ再手術と厳しい結果。私も盲腸を手術してもらった名医だと思うが、人体は個人差があってなかなか難しい。病室まで担架で運んだが、意識ははっきりしている。翼が飽きて騒ぎそうなので、4人でラーメンを食べに行く。翼は楽しみにしていた割には残してしまい、今、鮭おにぎりをおいしそうに食べている。(18:00)

11時半、点滴終了。熱が下がったとのメールあり。(26:20)

11月6日(火) 昨晩、翼は私とともに寝た。朝も早く起こして、出勤前に病院へ。ご飯を食べさせる暇がないので、チャーハンとおにぎりを弁当にして。チャーハンは不本意ながら恵里歌のリクエストで、枝豆チャーハンだった。やはりネギが入らないとものたらない。

佳緒里は、昨日午後、開腹したものの、腸全体の炎症だったようで、 盲腸(虫垂)は摘出せず、チューブだけ入れて縫合し、 腹水を抜き、抗生剤の投与。 今朝は熱も下がり、白血球も平常値に戻り、顔色も良くなった。 指をポキポキ鳴らすいつもの癖も出るほど、回復したようだ。(9:50amの掲示板より)

今日も3時から年休をもらい、病院に寄ってから、翼を連れて井野駅に。茨城の両親が16時13分に到着。念のため、家に寄るとちょうど恵里歌もおり、3人で迎えに行く。駅前には送迎用の無料駐車場があるが3台しかとめられない。運良く1台分空いており、車の中でしばらくゲームなどをしながら待っていたが、時間になっていつの間にか電車は駅を発っていた。やがて、感動のご対面。特に、翼が歩けるようになって、改札口に立っていたのは演出効果抜群だったと思う。そして、5人で病院へ。私と恵里歌は一旦戻って友加里と合流し、ポータブル再生専用ビデオを用意して再度病院へ。夕方の診察後、腸に刺激を受けたせいか、かなり痛がったらしいが、出すものを出すと大部楽になったようで、夕食後、点滴を受けながらのんびりビデオを見ていると言う。我が家の方はあり合わせの食材で夕食にする。
そして、恵里歌を空手に送っていった。(20:00)

恵里歌を迎え、帰り道に典子からメール。明日はいよいよ翼が登園開始とのこと。佳緒里には母に付き添ってもらうことに。帰宅し翼とともに2階の和室で就寝。
明日は友加里の3者面談。明後日は校外学習の引率。それまで両親がいてくれるという。

11月7日(水) 朝飯の用意をしなければと思いつつも、布団からなかなか抜け出せずにいると、病院に泊まっていた典子が早々と帰宅し、あれこれとやってくれた。佳緒里は、朝、ビデオを見たり朝食を食べたり、割と通常に過ごせていたと言うことだ。
出勤前に少しだけ病院に寄ったが、容態は落ち着いており、安心できそうだ。
久々に登園した翼は、大歓迎を受けた。トイレも階段も1人でなんとかこなし、典子の付き添いもさほど必要なさそうだという。翼は新撰組のお遊戯をやる予定だが、典子は他の子達のやっているのを見ると、愛子先生の振り付けが素晴らしくて涙がにじんだという。

学校では、朝から2時間ほど畑にいたが、風が滅茶苦茶強くて冷えてしまい、風邪をひいてしまったような感じ。これからの時期は、ますます油断禁物だ。

両親がいてくれるので、翼も安心して家にいられるため、友加里の三者面談には典子が行ってくれた。特にこれと言った話はなかったようだ。
容子さんからいただいたおいしいキムチと炊き立てご飯で、楽しくにぎやかな夕食になるが、辛い物大好きの佳緒里に食べさせられないのがとても残念だ。佳緒里は気持ち悪くて夕食はあまり食べられなかったらしい。さほど悪くはないが、体調も熱も上下している。
両親は金曜日まではこちらにいてくださるそうで、明日(今日)の佳緒里の三者面談にも、翼を連れて行かなくて済むので、典子が行ってくれると言う。
私はまたしてもうっかり寝過ごして更新するのが午前様になってしまった。

11月8日(木) 翼は久しぶりにママと寝られて満足そうにいつまでも寝ている。
私はまた、病院に顔を出してから出勤。今日は自習クラスが多いので、パソコン室で3組と一緒に自習監督したり、午後は、コーディネータ派遣事業のパソコン研修。畑で間引きした大根の甘酢漬けにも挑戦するが、砂糖が足らず、塩も多すぎて厳しい味になりそう。
研修も終わり、帰り道に病院に寄ってみると、典子も来ていた。三者面談では志望校への推薦入学の可能性があることを聞かされ、「良かった」と思う。翼は幼稚園で新撰組の振り付けを見ながら、ゆっくりしたところはやってみたが、様になっていないよう。そんな話をしていたら、佳緒里が笑い出し、お腹が痛くてたまらなくなったらしい。
夕食が終わるまで、私が残ることになったが、佳緒里はお粥とプリンしか食べず、もったいないので私がおかずを食べた。お膳を下げていると、先生が嬉しそうに、「全部食べられましたね。」というので、「いや、もったいないからおかずは私が食べたんです。」とばつが悪かった。それでも、食欲がないわけではないので安心だと思う。
帰ってくると佳緒里の友達から電話があり、お見舞いに行ってくれるとのこと。典子が友加里を連れて再三病院に向かう。

明日は3年生と3組の校外学習で、長瀞に引率予定。3年の先生が作ってくれたしおりが渋く、タイトルは「SLでゆく秩父路」。SLに乗るのは楽しみだ。ただ、天気が心配。

11月9日(金)

今朝はいつもの出勤時刻より早く、校外学習のための集合になるので、病院には寄らずに直接学校に行く。小型バスに乗って、熊谷駅を目指して出発。5番線のホームで待っていると、いよいよ楽しみにしていたSLが入ってきた。熊谷駅から長瀞駅まで1時間26分の蒸気機関車の旅だ。SLに乗るのは初めてなのでわくわくする。在来線やバスに抜かされるようなスピードではあるが、ロマンがある。
  
ただ、長瀞駅に着くと雨が降っており、予定していた岩畳の散策はお流れになった。自然史博物館の会議室で、小さな袖テーブルつきの椅子をあてがわれ昼食となるが、身動きもままならず、落とさないように細心の注意を払いつつ食べるのが大変だった。
富岡の博物館よりはずっと規模の小さな物で、見飽きた子供達が騒がしくこれも大変だった。博物館前で記念写真を撮り、バスに乗って一路学校へ。予定時刻よりも10分早く到着。
いくつかの仕事をこなしたあと、佳子さんが病院にお見舞いに来てくださっているというメールを受けてから、しばらくして行ってみたが、すでに帰られたあとで、残念だった。きれいな花やシュークリームなどをいただき、感謝。佳緒里も大部元気になってきて、来週の月曜には抜糸になり、それからまもなく退院の予定。茨城の両親も、明日の朝帰られると言う。
11月10日(土) 久々の休日。それでも、両親を送っていくこともあり、朝ドラも始まるので7時過ぎには起床。朝ドラを見終わってから朝食をとり、9時32分井野駅発の電車に送ろうと思ったら、その前に病院の佳緒里を見舞いたいとおっしゃるので、時間の余裕を見て、次の10時19分の電車に変更していただき、友加里と4人で佳緒里のもとに。佳緒里は元気に起きあがって、大好きなサクラ大戦のキャラの絵を葉書に書いていた。背もたれなしで90度以上体が曲げられるようになり、回復の早さにびっくり。そして、井野駅へ。改札前で見送って、電車の来るのを待たずに帰宅。途中、佳緒里が見たがっていたビデオを借りる。
少し休んでから、恵里歌が風邪気味だし、友加里も南中の耳鼻科検診で再検査の用紙をもらったので、2人を連れて耳鼻科に行く。
昼食は適当にとり、午後は典子が病院に。佳緒里がCTを受けるという。結果はまだ分からないが、典子が帰宅し、両親からも茨城に無事たどり着いたとの連絡あり。お二人には遠路はるばる来ていただき、翼や佳緒里の世話をしていただいて本当にありがたかった。これからは、佳緒里が退院するまでの間、私も時間をうまく使わねばならなくなる。
11月11日(日) 恵里歌は昨日から、と言うか一昨日の晩から風邪気味で微熱があり、私にひっついているためか、とうとううつされてしまった。軽い寒気と平衡感覚の失調を感じるので、午後もチャペルを休むことにする。午後は典子と友加里と久々の翼がチャペルへ。私が行けなかったため、相談会もまたまた延期になってしまったらしい。私も、微熱が出るまでは寒気があったが、いっそ微熱が出てからの方が、暖かくて気持ちよかった。そして、この機会にハリー・ポッターの1巻を読破できた。
佳緒里は野菜物以外はほとんど食べられたそうで、3時くらいに、兄夫婦もお見舞いに来てくれたという。
夕食は豆苗とモヤシ入りのワンタンスープですっきり暖まった。
デジカメ写真で、恵里歌の絵を追加し、一昨日のSLの写真も追加する。

明日から、6日間続くので、スタミナと時間の配分には気を付けなければ。

11月12日(月) 昨夜のメールに、母の短歌がたくさん載せられており、感動したので、ここに紹介したい。

   佳緒里の病い はよ 癒えませと・・・・・祖母の祈り

   アクシデントまた・・とメールあり 長孫の 入院手術に 度肝ぬかさる

   とりあえず 行かねばと急ぎ 荷物送り  リック一つで 車中の人に

   出迎えの駅に おばあちゃん と 孫のこえ ギブスの足の いたいたしかり

   末孫のギブスも いまだとれぬまま 長孫 開腹手術とは はや  

   出迎えの車 病院直行し ベットの孫の 顔 しげしげと見つ

   経緯など 聞き 順調と思いしに 急に 痛みを 訴えし孫

   涙ながし いたみ訴える 孫を見て ただ おろおろと なす術もなし

   よう やっと 痛み解消 如何なる 仔細ありしや 不安 募り来

   三人部屋の 真ん中 孫のベットなり 両側に在す 老いたる二人
 
   27キロと 体重計に 載る老女(ひと)を 介護の人らの 声かけ やさし

   病室の 老女 突然口ずさむ か細きこえで 主 われを 愛す・・・

   その 人の 歩み来し道 知らねども 消え入りそうな わが主 イエスと

   三日目の 付き添えの 部屋 静もりて 裾野 はるけき 赤城山 見つ

   見はるかす 赤城の 裾野長々と 稜線伸びて 白雲 悠々

   まだ 点滴 午前も 午後も 次々と か細き腕に 射し続けらる

   ベットより 傷押さえつつ 立ち上がる  孫の 背丈の 伸びに驚く

   歩き方 しっかりしたねと ナースらの 声かけ やさし 癒えるがうれし

   点滴の器具もはずされ 清々と いい顔をして えんぴつを 持つ

   願わくは 早く 癒えませ 爽やかな 日々送りませと 祈り 捧ぐる

   怪我 病い 乗り越えて行け 孫たちよ 早き復帰を ただ 祈るのみ

朝、恵里歌の熱も下がり、ややぐずぐずはしていたものの、集団登校できた。
通勤途中で病院に寄ると、佳緒里は半分抜糸され、明日、残りの抜糸も済むという。
翼は、初めて1日の幼稚園生活に復帰したが、典子が送っていくと、すんなりと教室に向かい、1日いい子で過ごせたようだ。
友加里は伊東家トランプを買ってもらい、嬉しそうに見せた。今、3人で楽しく遊んでいる。
ニュースでは、中学3年生の女子が2人で自殺をしたと言うが、障碍があっても健気に楽しく生きている人たちはたくさんいる。我が家も、トラブル続きだが、決して不幸ではなく、これこそが幸せなのだと実感する。病故に死を望む者もいるだろうが、心や体の痛みを知り、病や死と向き合ってこそ、本当に生きる意欲がわいてくるのではないだろうか。

11月13日(火) 未明に目が覚めてテレビをつけてみると、ニューヨークでまた大惨事があった。8割方は事故らしいが、どうしてこんな時期に、こんな場所で、こんな事故が起こらねばならないのか、全く不条理である。なくなられた方に哀悼の念を抱かざるを得ない。ご遺族にも慰めあれ。

そんなわけで、遅れた朝ドラは見られずに、佳緒里の所に寄ってから出勤。もう恒例になってしまった。学校では、風こそ強かったが穏やかな1日。帰りにまた佳緒里の所に寄る。今日の抜糸は1本だけで、残りの1本はまた明日らしい。退院はいつになる事やら。明後日の恵里歌の空手の試験には、私は国府小の育成会の用事で行けないので心配だ。夕食の世話をしていると、典子からメールで「恵里歌が幸楽苑(ラーメン屋)に行きたがっている」と伝えてきたので、佳緒里が食べ終わるとすぐに帰宅して出かける。3人子はいつものメニューで、親たちはいろいろお試し。食後にシャトレーゼに寄ろうと思ったら、デザートは頂き物がたくさんあるので無用とのこと。佳緒里のピアノの先生も不二家のケーキ等をたくさんくださったし、尚子叔母さんからの大福やその他諸々を帰宅してから食べる。鍵当番なので、恵里歌は典子が早めに送って行った。

11月14日(水) 朝から、昨日の航空機事故の話そっちのけで、北部同盟がカブールを占拠したことばかりニュースでやっている。確かに、テロ集団に牛耳られるアフガニスタンよりは良いとは思うが、タリバンがゲリラとして生き残ることは必至だろう。朝ドラは、またお預け。

いつものように佳緒里の所に寄り、今日は先生から退院の許可をいただく。管を通した傷がまだ癒えていないので通院は必要だが、来週からは学校に行っても良いとのことで、土曜日に退院することになった。あと3回寝れば帰れるのだが、佳緒里はしきりと「早く退院したいよう。」と言っている。典子にハリー・ポッターの3巻を買ってもらい、夕方には半分も読んでしまっていたらしい。私も2巻を買ってもらって、「ハレーボッタですよ。」と渡された。今、楽しみながら読んでいる。イギリス文学はさすがに妖精や魔法使いの出てくるものが多い。
翼は久しぶりにシャロームに出席し、マカロニのクリスマスリースをこしらえてきた。金一色でなかなか美しい。そのうちHPで紹介するつもり。

11月15日(木) 11月もいよいよ半分終わり。あと1月半で2002年だ。
今日は、恵里歌の空手の試験の日。翼はギプスだし、私が連れていく予定だったのだが、運悪く、担当している育成会のカルタ審判講習会の読み手になっていたため、やむなく典子が翼共々連れていくことに。ただ、友加里も同行してくれたので、かなり安心だ。
また、私は明日の社会科全国大会の発表者のアシストをすることになっており、学校で最終準備と打ち合わせを終え、あわただしく佳緒里の所を回ってから、恵里歌達の出かけたあとの誰もいない家に帰ってきた。幸い、クリームシチューや菠薐草の胡麻和え・お浸しなどが用意してあり、心は温められた。
これから、国府公民館に出かける。帰りは遅くなるかもしれないので気が重い。また、パソコンやプロジェクターの設定、発表者との息が合うかどうか、明日のアシストも少しだけ心配。

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