「更新日記」6月号
2001年6月 30日(土) 20日(水) 10日(日)
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2001年6月1日(金)

いよいよ夏。朝から超いい天気で暑くなりそう。来週早々の翼の入院、相続のリミット、
学校での町教委訪問や西部教育事務所の計画訪問等を思うと、気持ちはかなり
焦ってくる。忙しいことは立て続けに起こるものだと痛感する。

放課後、救急蘇生法の実習があった。毎年やっているが、何か1つポイントを落として
しまう。意識の確認、異物の有無、呼吸の有無、気道確保、脈拍・心音確認等々。
そして、人工呼吸と心臓マッサージ。今回は人工呼吸の息がうまく入らなかった。
「遺産分割協議書が速達で着いた」というメールが入り、パソコンでの仕事を早めに
切り上げて、帰宅。兄と自分の実印を押し、赤堀の姉のところに。帰りに堤小で空手を
している恵里歌を迎えに回る。それで今日はおしまい。明日はPTAの奉仕作業が
午後に予定されており、ハードな1週間の締めくくりとなる。来週はさらにハードだ。

6月2日(土)

午後、PTAの奉仕作業。いつもなら参加する職員の弁当が用意されるのだが、教頭先生も
不在で、誰も手配していなかった。12時過ぎに気づき、あわててみな「そばげん」に行って、
昼食をとる。私はちょうど外出から帰ってきてそれを聞き、あわてて追いかけると、みんな
注文を済ませた後で、カツ重セットを追加注文をしたが、みんなが食べ終わる頃自分のが
来た。1時半から作業が始まるようにみんな信じていたが、通知には1時からになっており、
PTA会長はすでに来ておられた。校長の携帯に連絡が入ったのは1時7分頃。あわてて
学校に戻っていった。自分は危うく置き去りにされるところだったが、気合いでかっこんで、
何とか追いつき、すでに作業に移動していた保護者の方の群に入り込んで作業を始める。
プール東の剪定した枝が山ほどあり、何故か棘のある枝が多いのだが、トラックに積み込む
ために、短く切るのが大変だった。職員室から持ってきた鋸は実に切れ味が悪く、手間が
かかるうえ、枝が跳ね返ってくると恐ろしい。神経も体力も使った。幸か不幸か2時半頃、
にわか雨となり、早めに作業が終わった。

帰宅して一休みし、いよいよ翼の入院が迫っているので、壮行会も兼ねてみんなで夕食に
出かける。1g69円の軽油を給油した後、グルメカードの使えるバーミヤンで食事。
恵里歌は注文したいものも少なく、ようやく決めたものも口に合わなかったようで、空腹の
ままだったが、こちらは超満腹。本屋によって帰宅。長らく紛失していた恵里歌の財布の
入ったバッグも、何故か車から発見。恵里歌は空腹をぼやきながらも機嫌良くコミックを
2冊ほど購入していた。

6月3日(日)

入院用の荷物とともに

朝、茨城から電話があり、お昼頃こちらに着くとのこと。塚田さん夫妻が両親を乗せてきて
下さるのだ。始めは電車で来ていただく予定だったので、時刻表を買ってダイヤを調べたり
もしたが、車で連れてきていただけるなら、何の心配もない。非常にありがたい。
午前中の集会も欠席して待機していると、12時少し過ぎに到着された。一休みしていた
だいて、近所の回転寿司に10名そろって出かける。我が家の6人に、両親、塚田夫妻で
ある。その店には、前任校で理科を教えたことのある娘さんも勤めていて覚えていてくれた。
その後、我が家の6人は日曜学校に行き、帰宅したのは3時40分頃。デジカメで撮影を
試みるも、浮かれた翼がじっとしていないので、なかなか良いショットが撮れなかった。
 (みんなの前で、友加里が作ってくれた雑誌の付録で遊ぶ翼)
明日は兎も角、明後日は大変な試練が待っているのだが、今のところ、何の恐れもない
翼に、ほっとするような、怖いような、複雑な心境である。上半身を脱衣させて、痣の写真も
摂ったが、本人も痣がなくなることを願っているようで、「痣の写真を載せても良い?」と
聞くと、「僕だけのかっこいい写真が良い。」と言うので、本人の選んだ写真を掲載する。

6月4日(月)

いよいよ翼の入院の朝、シャロームにお休みのメールを入れたりメールチェック。
岩渕容子様より、こちらに来られる前夜の両親の写真を頂戴したので、掲載。

9時ちょっと過ぎに第1のメール、「いってきます。」。翼の旅立ちだ。
第2号は病室を知らせるメール。第3号は手術が午前11時に始まること。
放課後の会議を中退し、1時間の年休をもらって帰宅。恵里歌を連れて病院へ。
翼は入浴して上機嫌。修学旅行気分で浮かれていた。脳天気で助かる。
恵里歌をシャロームに送って、今度は全員を連れて病院へいくつもりが、佳緒里が
なかなか帰ってこず、探しに行っても見つからず、心配したが、通学路を通らずに帰って
来てしまったようで、厳重に注意する。結局病室に着いたのは面会時刻を越えた、8時
少し前。私と友加里のみ。荷物を起き、典子と翼は玄関へ。そこでみんなと会えた。
そして、面会に行った6人で夕食。なかなか大変な1日だった。

明日はいよいよ翼の手術。麻酔に手術前後30分ずつかかり、手術には1時間半から2時間
かかるという。私は3組の児童を置いて休みも取れないので、3時頃病院に行く予定だが、
こんなとき助手の先生がいてくれたらなあと、つくづく町教委の非情な判断がうらめしい。
まあ、術後の痛みもそれほどではなさそうなのでその点は安心だが、それでも心配だ。

6月5日(火)

いよいよ翼の手術の日。学校にはいつも通り出勤し、9時半から2時間ほど年休をもらう。
3組の2人はパソコン室で、なんと校長先生と教頭先生の2人で見ていて下さった。

学校を出て、家で両親を乗せ日赤に。翼はいたって元気で、じっとしていられず、逆立ちしたり
しているので、怪我しては大変とみんなはらはらしていた。やがて11時となり、私がおんぶして
手術室に向かう。入口で車椅子に乗り換え、典子と2人でお見送り。典子は涙ぐんでいた。
私はまた学校に戻り、3時からまた年休をもらう。日赤につき、病室に行くと誰もいない。
いやな予感がして、手術室前に行くと、3人で座っており、他にも大勢の待合いの方がおられた。
「長引いてるの?」と典子に聞くと、「前の手術が長引いて、翼の手術が始まったのは1時20分
ころだった。」と言う話。3時は40分頃、手術が終わり病室に戻る。切除した母斑はかなりの
深さで、表皮と真皮と、脂肪組織が付いていた。「こんなにたくさん切り取ったのか」と思うと
手術の大変さがしのばれる。翼は「立てない。」と言っていたが、「立たなくていいの」というとまた
目を閉じた。しばらくは動けないこととの戦いで、苦しんでいた。酸素吸入のマスクを近づけると
いやがるが、7時までは使えとのこと。

一旦両親を家に送り、簡単に夕食を済ませ、紙オムツを購入して本日3度目の病院へ。
2回ほど吐いたようだが、7時過ぎに水分を摂り、7時25分ころ飲んだ分を吐いてしまう。
水も禁止されるが、こっそり少しずつ与え、それ以後は吐かなくなった。10時過ぎに
「痛いよう。」と訴え始め、泣き始める。それから2時間は痛みとの戦い。「ガオレンジャー
だって、敵の攻撃は喰らうんだから、痛くても戦うんだ。」と励ますと、「絶対勝つ。」と、答えて
くれた。でもすぐに「負けそう。」とも言う。0時過ぎに「全部やっつけた。」と宣言し、それか
らはだいぶ落ち着いた。そのまま朝まで付き添うつもりだったが、看護婦さんに「付き添いは
1人だけです。」と言われてしまった。幸い駐車場のゲートも工事中なのでそのまま帰宅して、
この更新日記を書いている。長い長い1日だった。(もう翌日だが)

6月6日(水)

今朝も病院から連絡が入る。翼の痛みは周期的に襲ってくるようで、電話中も鳴き声が聞こえた。
ただ、動きたがる事はないようで、痛みと戦い痛みが退くと休むという周期になったようだ。
典子が「動かないようにと言うサインなのかな。」と言っていた。確かに動いて傷口を傷めるより、
多少苦しんでも、しっかり直った方がいい。そう考えると、痛みは災いでも呪いでもなく、恵であり
祝福なのかもしれないとも思える。もちろん、本人にも見ている側にも苦しいことに違いはないが。

5校時終了後、また年休をもらい、両親とともに病院へ。翼が「カステラが食べたい。」と言っている
と聞き、妙見茶屋によるとカステラは扱ってないとのこと、シャトレーゼで個別包装の「生み立て
卵のカステラ」を見つけ、持っていくと、わずかに残したのみでほとんど一つ食べられた。
朝飯のお粥もお昼の素麺もそこそこ食べられたとのこと。その後、持っていったラピュタのビデオを
熱心に見ていたので、心配ないと思い、3人娘のために早めに帰宅。
みんなでラーメンを食べにいき、本屋によったりして、つかの間の日常生活を過ごす。

6月7日(木)

今日は2回病院に行く。1回目は3時から年休をもらって1人で訪れ、ビデオを4本ほど届ける。
翼は「アンパンマン」の「飛べ飛べ。ちびごん」を選んでみていた。2回目は3姉妹と両親を連れ、
全員で。今回は佳緒里も通学路を通って、部活もせずにまっすぐ帰宅したので、近所で拾うこと
が出来、スムーズに移動。翼から「肉まん」のリクエストがあり、コンビニではすでに扱っていない
ので、バーミヤンで調達。時間はかかったが、おいしい肉まんが届けられた。翼は点滴がなくなっ
て、左手も肘から先が動かせるようになり、時々痛みに声をあげるが、短時間で復活出来るよう
になった。おしりのガーゼも張り替えて厚くし、やや楽になったよう。母の希望で、病室では
みんなで「となりのトトロ」を見る。午後1時から7時までが面会時間なので、7時に退出。

恵里歌のリクエストで、帰りは「ココス」に寄ることになったが、その前にコジマ電機で父のパソ
コンを買おうと言うことになり、FUJITSUのノートパソコンを購入。その後、ココスで夕食。
帰宅して早速パソコンの起動。孫3姉妹のリードもあって、ローマ字入力の練習に励んでおら
れた。その様子を撮影し、アップロードしようと思ったが、取り込む段階でエラー続出。我が家に
新顔がやってきたせいか、私のVAIOがへそを曲げて仕方ないので、とりあえず写真なしでアップ

その後、VAIOも落ち着き写真アップ。恵里歌は2年生の3学期にローマ字をマスターしたが、
父もアルファベットやローマ字には強いため、同年代の初心者に比べて、結構有利なスタートと
思える。是非とも頑張って上達し、インターネットでも孫達の様子を見守って欲しい。

6月8日(金)

今日は日直。しかも、町教委の訪問日でもある。3組には3校時の2番目に参観。パソコン室で
いつものことをしているだけだが、大勢のお偉方が来られると、少し緊張する。でも、予期していた
殺気がないのでどうしたのかと思ったら、かつての恩師のU先生が来ていなかったのだ。僥倖と
しか言えない運びだった。委員会があったため、6校時にはビデオ放送の準備を、子ども達に
手伝ってもらうが、さすがにメカの扱いに強く、12クラスのチャンネル設定がはかどった。
見回りをM先生に手伝ってもらったみかえりに、往復はがきの印刷を手伝う。5時15分頃退庁。

佳緒里以外の全員で病院へ。恵里歌を空手にやる予定で、マクドナルドに寄ろうかやめようか
考え、ドライブスルーに3台以上車が並んでいたらあきらめることにする。運悪く、信号待ちして
いる間に2台入ってしまって、素通りすることにした。病院に着くとちょうど夕食、翼には合わない
メニューで2口くらいしか食べず、図らずも「マクドナルドがいい。」と来てしまった。昼間は気が
紛れているとは言え、時々痛みを口にしたり、泣きそうになったりしているため、少しでも喜ばせて
あげたいと、恵里歌の空手には、間に合いそうもないので、恵里歌に空手をあきらめてもらって、
マクドナルドに走る。ビッグマック2こ、ハンバーガー5こ、ポテトのLを2こ、シェイクを3つ購入し、
7時10分前にすべり込みセーフで病院に戻ってこられた。10分間で食べさせたり頬ばったりして、
急いで退室。空手の月謝だけを先生に渡して帰宅。

お父さんは早速パソコンを再開。将棋の対局とワードを併行して操作中。

朝のマラソン、2時間目の体育、2回の休み時間、5校時の畑仕事、6校時の放送委員会、
日直の見回り、病院からの買い出しと、今日1日で30000歩くらい歩いた感じがする。
まさに駆け続けた1日だった。超超忙しかった。でも、病院で過ごしている典子のことや痛みや
退屈と戦っている翼のことを考えれば、何でもないことだ。また、今日は翼の手術に携わられた
提箸先生を紹介して下さった、教会の瀬間婦人がお見舞いに来て下さったようだが、心温まる
励ましの手紙が添えてあった。感謝。(使徒20:32参照。聖書への信頼の大切さを感じる。)
八王子の悦子叔母からも電話があり、更新日記で様子を見て、心を痛めておられる様子。
思えば、自分も年長児の時、交通事故で入院したことがあるが、結構動けたし、痛みも大した
ことはなかった。翼とは状況が違う。とにかく、1日も早い翼の回復と退院を願っている。

6月9日(土)

昨夜、頼まれていた「カルピス&オレンジ」を届け忘れたため、「痛いときに飲むやつがない。」と、
翼は一晩中文句を言っていたらしい。昨夜の内に気づいていたのだが、届けてやれば良かった。
朝、7時ころ持っていくと、心底嬉しそうな顔だった。

9時頃、下館の塚田夫妻が両親を迎えに来て下さる。早速父のパソコンを披露。
私は学校から草刈り機と耕耘機を借りてきて、恵里歌と共に少しだけ畑の草刈りをする。
10時半頃電話で、「ガーゼを剥がすのに、ひともめしたが、移植したところもきれいにくっつき、
お尻の方もきれいです。糸を切って長いのを抜糸した。術後は順調。」とのこと。処置の間中
「ママ。ずっと好きだからね。」と言ったりか「ママが見えない。」と先生達に文句を言ったりして、
叫んでいたようだが、処置が終わるとさっぱりした顔でくつろいでいるとのこと。
その後、「ハム太郎のついてるうすいやつ。」とかいう、訳の分からないリクエストがあり、
いまもって何のことか不明。注文がだんだんエスカレートしてくるのが恐ろしい。

塚田夫妻を交え、近くのそば屋で昼食。典子にもテイクアウトでうどんとそばを用意してもらう。
佳緒里は友達が来るので家に帰り、他は病院へ。言われた物が調達できなかったため、案の定
翼に泣かれるが、塚田さんからいただいたたくさんのお菓子を、テーブルの上に並べると、機嫌が
良くなって、にこにこし始めた。
その後、続々とお客様が見える。清風幼稚園の園長夫妻と、翼の担任の愛子先生夫妻、そして、
清水家の皆様。愛子先生は同級児からの絵手紙を持ってきて下さり、みんなからのメッセージに
典子は涙ぐんでいた。また、翼はおいしい「ぺこちゃんのほっぺ」を喜んで食べていた。
空君が1人で入ってきたときは何が起こったか分からなかったが、お父さんを出し抜いて、よく
病室が分かったものと、びっくりする。そして、お父さん・お母さんの順に入室。こちらはドーナツと
ガオレンジャーの絵本を持ってきて下さり、翼の機嫌はさらに上々。
しかし、みんなが帰ってしまうと、翼の機嫌は悪化。新しいビデオを求めるので、一旦恵里歌を
連れて帰宅する。幼稚園の保護者の塚越さんと真野さんからも、お見舞いの品が届いていた。
用意を調え、佳緒里も伴ってみたび病院へ。典子にも家で休んで欲しいが、翼が手放してくれそう
もなく、退院まで帰って来れそうもない。

家に帰ると、祖父母のいない4人家族。家ががらんとしていて、何とも寂しい。怖い番組を2つ
続けて見て、恵里歌は震え上がっており、くっつくので暑くて眠れない。

6月10日(日)

今朝は、6時頃から畑に行き、父の形見のきゅうりやトウモロコシの苗を植える。
病院から連絡があってはと、留守電にしておいたがメッセージはなし。その後も今のところ
連絡が入らない。これから全員でチャペルに行き、午後1時には病院にまわる予定。(9:00am)

午前中は、一人で礼拝に参加し、報告の時間に翼の手術のこと・現況・感謝の言葉を伝える。
帰宅し、子どもらを乗せて病院へ。途中、マクドナルドにより、ハンバーガーのハッピーセットを
翼のために購入。おもちゃに亀のぬいぐるみ指人形を選び、持っていくと喜んでくれて良かった。
機嫌良くビデオを見ているので、「ママが少しだけお家に行っても良い?」と聞くと、すんなりと
「いいよ。」と答えてくれ、典子は久しぶりに帰宅できた。1時半頃から6時頃まで、ママに会い
たがることもなく、ビデオを見たり、ゲームボーイをしたりしていた。途中、先生が来られて、
「通院できるなら、火曜日あたりに退院しても良い。」と言われたが、まだ、歩くことはおろか、
座ることさえ出来ないので、無理だと思われ、せめて座れるようになったら退院させてもらおうと
こちらの方では話し合っている。

明日からしばらくは、学校勤務と通学の4人組での生活になる。恵里歌の好きなおかずも買い
込んで、何とか乗り切ろうと、それぞれに気合いを入れている。

6月11日(月)

5時半起床。皿洗いと朝食の下準備をし、犬に餌をやったり、畑の苗の様子を見たり。
6時半に友加里と恵里歌を起こし(佳緒里は私より早く起きてゲームをしていた)、朝食を食べ
させる。7時少し前に病院から電話があり、翼がドリームキャストをやりたがっているので、
来るときに持ってきて欲しいとのこと、昨日からのリクエストだが、「起きられるようになったらね。」
と言うと、いきなり起きようとしたとのこと。それほどやりたがっているとの意思表示。
年休をもらって4時前に帰宅し、恵里歌の帰りを待って病院に行く予定。(7:00am)

学校には軽トラで出勤。耕耘機を積んでいる。Y君が休みなので、K君を連れて畑仕事を2時間。
耕耘機をしまおうにも通路に業者の車があって通れない。帰りも違う業者の車があるので、
耕耘機を積んだまま帰ってきてしまった。3時10分頃帰宅で、メールチェックなどしながら、
恵里歌の帰りを待つが、4時近くに通学路を見回ろうかと思う矢先に帰ってきた。

4時10分出発。恵里歌を連れて病院へ。もちろん、ドリームキャストとイチゴショートを持って。
病室に着くと、幼稚園の同級生とそのお母さんが2組、お見舞いに来て下さっていた。
翼はゲームもやりたいし、ケーキも食べたいし、でもお客様の前では失礼だし、待たせようとして
いるのに、恵里歌が箱を開けてしまう。何とかその場はごまかして、お帰りになったあとで、望み
をかなえてあげると、大喜びでケーキ1つをぺろりと食べ、ゲームも寝たまま器用にこなしていた。
看護婦さんもほほえましく感じたようで、「頑張ったからご褒美だよね。」と言って下さった。
今日もガーゼの交換があって、「ノックしても、返事しないでね。」とママにお願いしていたそうだ。
でも、結局処置の時間は非情にも訪れ、「おしりだけはしないで。」と叫んでいたそうだが、先生が
「何だか耳が聞こえなくなっちゃった。」とやり返されていたとか。不安とは裏腹に、少しも痛くなく、
先生が「いい子いい子。」と頭をなでると、翼も先生にいい子いい子をしたそうだ。

6時10分前に、恵里歌をシャロームに送り、また病室に戻ってくると、「またパパか。」と言うので、
帰りに「もう来ないよ。」と言うと、「4回目も来て良いよ。」と寂しそうに言っていた。
まだ、座ることも出来ないが、今週末には退院になりそうだ。

シャロームへの近道を発見し、迎えの時間まで10分以上あるので、近くのスーパーで子どもらの
好きな、イシイのハンバーグを購入。その他、安くなっている総菜を買い、恵里歌を迎えて帰宅。
病院から友加里にご飯を炊いておくように伝えてあったので、炊きたてご飯でおいしい夕食となり、
みんな食べ過ぎて動作が緩慢になっていた。佳緒里は早めに帰宅しており、洗濯と皿洗いを済ま
せてくれたようで、今朝はむかついたが、後半はとても頼もしく感じた。

6月12日(火)

学校では西部教育事務所の計画訪問があり、1時間目のパソコンの授業を参観される。
見に来られた指導主事さんは、今日、始めてのお子さんの生まれる予定日だとか。大変な
仕事で、休みが取れなくてかえって気の毒だった。3組の2人が真剣に取り組んでいる姿を見て、
高く評価して下さった。グループ別の事後検討会と指導講評があったのみで、全体会がないため
意外と早く終わり、年休をもらって、病院に行くことが出来た。

今日の翼のリクエストは、カップラーメンだったので、途中のスーパーで調達していく。
今日は教会から、3名の主婦がお見舞いに来て下さり、帰りにもう1組のご夫妻とすれ違う。
恵里歌の空手があったため、急いで帰ると、翼が「今日は少ししかいないよ。」と寂しそう。
明日は、佳緒里のピアノがあるし、友加里は部活があるので、恵里歌だけを連れて行き、
ゆっくりできると良いが。

6月13日(水)

昨晩、恵里歌を空手に送った帰りに100円ショップに寄って、ふりかけや缶詰などを購入。
今朝出した焼き肉の缶詰は、友加里に評判が良かったので、また買う予定。(7:00am)

11時頃、待ち焦がれた素晴らしい携帯メールが入る。翼が起きて座り、歩行器を使って歩いたり
したというのだ。その後、屋上へ行ったり、玄関口に行ったりと活発に動き始めたらしい。
今日のリクエストは新しい甚平。ウェストのゴムがゆったりいているのでいいのだそうだ。
4時に帰宅して、恵里歌を捜しながら堤小方面へ。学校の近くで発見し、そのまま「しまむら」に。
130pの甚平を購入し、病院へ。翼は椅子に座ってゲームをしていたが、典子が「歩いてみて」
というと、「この面をクリアしたらね」と言って、すぐに歩行器に向かい、歩いて見せてくれた。
5回のフロアを軽く1周するが、小股でちょこちょこ歩くのがかわいい。そのうち、スピードが
早くなってきて、小走りになり、恵里歌と競争を始める。歩けるようになったのが嬉しくてたまらな
い様子。この調子なら、金曜日には退院できそうだ。

帰宅して、一眠りすると真夜中。メールチェックで容子さんから、塚田さんの撮った美しい風景を
ゲット。今日?3度目の更新。

6月14日(木)

朝の内に携帯メールを受信。病院の屋上からだ。内容は「明日退院許可される。」と言うこと。
いよいよ翼と典子が帰ってくる。お見舞いも最終日になりそうなので、3人娘全員を連れて
病院へ。翼は微熱(37.8℃)はあるものの元気で、始めは横になったまま、ゲームをしていた
が、そのうちに座って看護学生さんの作ってくれたハムスターの家と、買ってもらったハムスター
のぬいぐるみで遊び始めた。夕食が来たので、3人娘にも夕食を食べさせねばならないし、
退院した翼を、しばらくは下の和室で寝かせるために、低いベッドも欲しかったので退室するが、
翼がへそを曲げて、キーキー叫んでいた。らちがあかないのでそのまま帰ってしまう。
   

夕食はかつて恵里歌の通っていたスイミングの近くのラーメン屋でとり、セキチューでベッド探し。
ちょうどいい大きさで、お手ごろな価格のベッドが見つかったので、早速購入して帰宅。友加里に
手伝ってもらって組み立てる。軽いし、組立簡単だし、割としっかりしているし、寝心地もなかなか
よく、お得なお買い物だった。これで翼を迎える準備はばっちりだ。試しのつもりで寝ていたら、
うっかり明け方になってしまった。今は恵里歌が寝ている。

翼の退院後の生活は、どんなふうになるだろう。

6月15日(金)

翼がついに退院した。午後2時から年休をもらって、下校途中の恵里歌を拾い、病院へ。
荷物がたくさんあり、しかも雨なので大変だったが、玄関近くに車を移動して、何とか積み込み、
翼は典子の車に乗り、2台連なって、家路を急がずゆっくり慎重に辿る。2人ともやっと帰って
来られて、本当に良かった。それぞれの健闘をたたえ合う。
翼が帰り着いてまずやったのがゲーム。ベッドにも寝ず、しばらく「動物の森」にうち興じる。
お祝いに、寿司でもと思ったが、翼は「ハンバーグとご飯がいい」と言うので、急いでご飯を炊く。
ハンバーグもイシイのだが、かえってそれがいいらしい。ハンバーグの8分の7とご飯の半分を
食べ、残りは恵里歌が食べる。寿司は卵とコーンで、足らない分はレトルトのカレーというお粗末
なお祝いの一幕だったが、我が家に6人そろっただけで十分楽しいひとときだった。
新しいベッドにもまずまず満足のようで、9時前にうとうとし始める。

6月16日(土)

今朝ちょうど出勤しようと思ったとき、翼のお尻から滲み出た液がベッドにまで滲みており、
ガーゼを取り替えねばならない状況だったので、手伝って処置をする。遅刻になるところを、
ちょうどY君を連れて行かねばならない状況になったので、うまく都合を合わせられた。
お昼をややまわって帰宅し、昼食は適当にとるが、これからの食事のための買い出しに、
典子が出かけ、翼の面倒を見ていると、チョコレートをいろいろほしがるので、こちらも近くの
コンビニに出かけるはめになった。お菓子と飲み物をあきれるほどたくさん摂取していたが、
さすがに「腹の皮が突っ張ると、目の皮がたるむ」で、翼はしばらく午睡をする。
新鮮な肉や野菜にしばらくお目にかかっていなかったので、夕食の焼き肉とサラダは格別な
味わいであった。
昨日は、デジカメから画像を取り込むアダプターを学校に忘れてしまったので、退院後の諸々の
画像がアップロードできなかった分を、今日掲載する。


昨日、看護学生さんがくれた賞状とメダル

6月17日(日)

今朝は翼のお尻もよく乾いていて、ガーゼが少し縮れていただけなので、1枚重ねただけ。
教会の方では、京都の中原氏をまねき特別伝道集会の2日目で、私が司会の予定だったので、
午前中の礼拝の後、一旦帰宅して3人娘を連れ、再び教会へ。中学生は特伝の方へ参加。
4時頃教会を後にし、帰宅。結構暑かったので温水器のお湯もよく沸いているだろうと、風呂を
入れ替えていると、翼がお漏らししたとのこと。そのまま、温めのシャワーでガーゼを剥がし、
処置を始める。面積が広すぎて消毒もはかどらないし、本人が痛がるので、ストローを使って
即席の霧吹きを作って、吹きかけてやると、嘘のようにはかどった。軟膏を塗って、滅菌ガーゼを
貼って、平オムツを当てて、ビニールテープで留めて、甚平を着させて終了。明日は日赤で受診
予定なので、とりあえず何とかなるだろう。

就寝前に、アップロードを兼ねてメールチェックすると、容子さんから4枚の写真が送られてきた。
新コーナーを作り展示。

6月18日(月)

いつものことだが、昨晩は特に翼が「ああでもない。こうでもない。」と言っていて、親は寝不足
気味で、不覚にも佳緒里に起こされたのが7時10分前だった。急いで適当な朝食をあてがい、
みんな登校したが、友加里が帰ってくる。何だと思ったら、南中は陸上大会で、弁当が必要な
のを、ころっと忘れていたのだ。食パンとハムとスライスチーズを、佳緒里の分も持たせる。
国府小では、3年生が初めてのプールにはいるので、3組の2人も一緒に入る。気温は高く、
日差しは強いが、水温が低い。放課後の職員会議は議題が多すぎて時間内に終わらなかった。
途中、携帯メールで、翼の処置のことをいろいろ教えてもらうが、抜糸が済んだそうだ。
帰宅して、いきさつを詳しく聞くと、80本近くの糸を抜き、翼が「針はいやだ」と言うと「糸を抜い
てるんだよ。」と言われ、「何で人間に緑の糸があるの?」と聞いたそうだ。手術の時は意識が
なかったからだろうが、何だか面白い。頑張ったので売店でいろいろ買ってもらったようだ。
組合のことで電話があったが、榛名町の役員がなかなか決まらず、今年度の組織が動かない。
いろいろとやるべきことがありすぎて、訳が分からなくなりそうな1日だった。

6月19日(火)

今日は何とも言い難い、くもりと雨の入り乱れた1日だった。何回、降ったり止んだりしたことか。
そのたびに、校庭に出たり、特別教室を使ったり、散歩に行ったり、急遽戻ってきたりしたか。
薄日が射しているのに、結構大粒の雨で、それでいて蒸し暑くてじっとりしてくる。
特に5時過ぎの降りはすごかった。ちょうど、翼のためにコンビニ巡りをして、ミニストップで、
ソフトクリームを作ってもらい、おにぎりを温めているのを忘れて、もう1度戻って行ったときは、
大変だった。傘が壊れかけていたので余計につらかった。店員も声をかけてくれればいいのに。
翼は喜んでカルピスミックスソフトを食べ、みんなもおこぼれにあずかった。日増しに元気になる。
教会の星野さんと深堀さんが、お見舞いに来て下さり、食べ物や絵本など、いろいろと下さった
ようで、早速翼が喜んで食べたり読んだりしていた。とりあえずお礼のメールを出す
メールチェックで、懐かしい浅香兄からのメールを発見。熊谷集会もHPを立ち上げるという。
今や、インターネットは電話帳に名前が載っているのと同じくらいの感覚になってきている。
浅香兄が個人的に関係しているHPを、リンク集に掲載した。

6月20日(水)

今朝はムシムシして首の回りに寝汗をいっぱいかき、冷たくて目が覚めた。入浴している途中で
胃検診があったことに気づき、昨夜の暴食を思い出す。このままでは、検査結果が最悪になりそ
うなので、焼け石に水だが、少しでも体脂肪を減らすべく、犬の散歩や一輪車乗りに精を出す。
途中で一輪車が壊れて修理したりと、トラブルは結構あったが、体重1sと体脂肪率1%減に
成功した。当然、朝食は抜きで三愛会へ。金古小のH先生や堤小のU先生、そして同僚のU先生
も一緒だった。「バリウムはマックシェークのつもりで飲むんですよ。」と、みんなに進言する。

学校に戻るとU先生がおにぎりを1個お裾分けしてくれたので、頬張りながらパソコンの設定。
そのあと3・4校時の授業へ。午後はクラブや文部科学省へのアクセスもあり、忙しかった。
栗本薫先生からもメールがあり、自閉症の作品での扱いについて意見したのを追求されたが、
返事をすると早速納得して下さり光栄の至りだった。大作家から1日に2回もメールをもらうとは。

夜は、第2回の水曜勉強会。群馬町の文化的人的社会的教育的背景と将来への展望を学ぶ。
翼はお風呂でシャワーを浴び、自分から進んで洗髪した。傷口もかなり乾き、皮膚もしっくりと
馴染んでいる。ゲームもだいぶ上達し、恵里歌に手伝ってもらいながらも、かなり先まで進んだ。

朝早くから、濃厚な1日だった。

6月21日(木)

朝、学校の門の近くに犬を抱いた婦人がおられ、私が近づいていくと、「怪しい者ではありません。」
と、まず話し出された。登校途中で転んだ子どもを見て、連絡に来て下さったのだが、私も不審
者を見るような目では見ていないつもりなのに、そう言う対応が当たり前になりそうな社会に大き
な問題を感じる。危機管理や緊急時の対応など、ますます複雑化していく。
放課後、生徒指導会議がもたれ、雨の日の過ごし方や、遊具の危険性について話し合われた。
少しでも危険なものは、何でも禁止にしてしまったのでは、何にも出来なくなってしまうが、事故や
怪我があったのでは困るし、バランスが難しい。安全第1ではあるが、過保護にしてしまうのも
問題だ。同じメンバーで組合の分会になるが、支部組織に進展がないので分会の組織も作り
にくい。国府小は組織率が高く、内部の結束も堅いが、榛名町に大きな問題を感じる。

帰宅すると、翼のゲームがまた進んでおり、シナリオをクリアしたときに「パパに電話して」と行って
いたそうだ。それほど嬉しかったらしい。実際、RPGなのに5歳にして進められるとは、親バカと
思われるだろうが、翼には、確かにきらりと光るものを感じる。ただ、甘えん坊の所は年相応以下
で、もうほとんど寝ていないくせに、おしっこはママにとってもらっている。

明日は第1回の特学交流会「親子運動会」。今年は当番校なので、雑用がたくさんあるが、
なんとか上手にこなせるといいのだが。

6月22日(金)

親子運動会のため、いつもよりは早めに学校に行き準備をし、社会体育館へ。
堤小が眼科検診のため遅れたが、自己紹介には間に合い、ほぼ予定通りに進行する。
リレーなどは結構な運動量で、いい汗をかいた。その後、南小で昼食をとり解散。
親子がそれぞれ帰った後、担当者会議で第2回の交流会について話し合い、雨天は富岡方面、
晴天は箕郷・榛東方面に行くことに決定した。
会議が3時頃終わり、国府小に戻って文部科学省への実態調査の入力を終える。

帰宅すると、翼が元気に遊んでおり、今日は午後、面接のために幼稚園に行き、あいこ先生が
うるうるしながら喜んでくれたことや、そのあとメガマートに行ったが、少しも疲れなかったことを
聞く。そして、夕食の餃子をおいしがって、いくつも食べていた。もうほとんど平常の状態近くに
回復したように見える。明日は久しぶりの休み。何か出来ると良いが。

6月23日(土)

昨日の親子運動会で、バスケットゴールを動かしたせいか、右すねと背中がやたらとつる。
朝は眠くて、目が糊でくっついたようにあかなかった。1週間の疲れが相当たまっているらしい。
それでも、翼の肩の消毒のために起こされ、翼に文句を言われながらも処置をする。
休みなのに、4人そろって早起きして、ポケモンの「結晶塔の帝王」を見ていた。
さらに、恵里歌のかねてからのご要望で、クラブで習った「まきまきロール」なるものを、作って
もらったが、ホイップクリームが冷蔵庫臭くて、本人もがっかり、甘くて味はいいが臭いがちょっと。

10時近くなると、懸案であった翼のご褒美「ソニックアドベンチャー2」を買いに出かける。
そのまま、食事でもと思ったが、翼は早くゲームがやりたくてたまらない。遊園地への誘いも
あっけなくかわして、とにかく帰宅を急ぐ。ゲームを始めると、5歳児とは思えぬテクニックで
どんどん先に進んでいった。

昼前に母屋の庭で、兄と顔を合わすと「山芋を掘らないか?」と言われ、庭に山芋が植えて
あるのを初めて知った。というか遠い昔に忘れていた。大した深さではないので良かったが、
いろいろなもののある家だなあと、不思議な感じにとらわれる。夕食にとろろにして食べたが、
何だかとても甘かった。

夜、誰かの携帯から電話が入る。南中の育成会の会議が近所の公会堂で行われているの
だが、典子への連絡不足があったようだ。何でも、違う家の留守電に入れてしまったらしい。
その間、翼が寂しくて泣いていたのだが、私は不覚にも眠ってしまっており、かわいそうなことを
してしまった。友加里は恵里歌の風邪が移ったようでガラガラ声。熱はないが何だかかわいそう。

深夜、メールチェックをしていると岩渕容子様より、津田の母が撮ったデジカメ写真が送られて
きたので、ここと親族館に掲載する。

6月24日(日)

午前中の礼拝には、私一人で参加。学びは土岐兄がして下さったが、近況や卑近な例を取り
入れて、わかりやすく話して下さった。BOSSの懸賞で典子が当てたザウルスでごく簡単に、
メモしているので、チャペルのコーナーに、わずかばかりだが掲載する事が出来た。
一旦帰宅すると、翼が「ソニックの対戦をしよう」と誘ってきたので、2通りのキャラで対戦。
1回目は2対0で難なく勝てたが、2人目のキャラでは1対2で負けてしまった。ものすごい
スピードなので、自分がどこにいるのか、どこに行ったらいいのか分からなくなってしまうが、
「翼はよくまあついて行けるなあ」と感心する。「目と手の供応動作」が、よく発達していると思う。

3人娘を連れて、日曜学校にいく。中学生クラスも終わり、みんなで和んでアイスティーを飲んで
いると、中学年クラスを終えた恵里歌が入ってきたので、帰ることにする。帰りに、本屋を2つ
まわり、お目当てのものも手に入ったので、ゆっくりとベッドでくつろぎながら読書。
翼は、つまらないことで典子にしかられ、「もうこれからずっとお父さんと寝る。」と宣言してしまっ
たそうだが、早くも後悔しており、「でも僕忘れやすいから、忘れたらお母さんと寝る。」と弱腰。
お姉ちゃん達が「嫌でも思い出させてやる。」と言うと、「忘れたいんだよ。」と怒りだした。
それでもとりあえず、今夜はお父さんと寝るつもりらしいが・・・

6月25日(月)

翼は何の問題もなく、私と一緒に寝た。途中、おしっこで1回、のどが渇いて1回起き、なにやら
「やめろよ」とか寝言を言っていただけだ。落ち着いて一夜が過ぎたはずなのだが、こちらも、
翼の寝言のたびごとに起こされるので、何となく寝不足気味。月曜日の朝としては最悪だった。

恵里歌は堤小の職員研修のため1日休みで、しばらくパジャマだったらしいが、着替えろと言わ
れて、友加里の脱いだのを適当に引っかけて過ごしたらしい。

国府小では、県のコーディネータ派遣事業のパソコン研修があり、特に初心者以外はテーマを
決めずに、個々の課題に沿って自主研修に励み、分からないところは質問すると言う形だった
ので、仕事もはかどり、感謝された。講師は若い男性で、気さくで親しみやすく、いい雰囲気だった。

帰宅して、恵里歌をシャロームに送り、夜は稲荷台(とうかだい)の地区別懇談会に出席。
議題や質問がどんどん出されて、予定の時間内に収まりきらなかったが、活発な会だった。

6月26日(火)

暑くなりそうなので、早いうちに畑仕事をしようと思い、1・2校時は3組の畑に。耕耘機をかけ、
人参の種を少しばかりまく。キュウリも1本だけ出来ていて、みんなで少しずつ味わった。
プールは工事中で使えず、とにかく汗びっしょり。着替えだけは済ませたが、その後がつらい。

午後は2時から、互助会の評議委員会があるため、4時間で終わりにし、上毛会館へ。
県の教育長は出席できなかったが、そうそうたるメンバーがそろっており、遅めに着いたため、
1番前の席になってしまった。共済医療費の自己負担額の上限が、引き上げられそうでつらい。

会議は早めに終わり、帰宅すると、津田の母より荷物が届いており、同封の手紙に短歌が十首
ほど記されていた。翼の手術前後の様子が思い出される。祖母の愛を感じる感動作なので、
ここに紹介したいと思う。

《手術の朝 「ガンバリマス!」と 健気にも 無心の笑顔 哀しかりけり》

《現代の 医学を信じ 控え室に 長き時間を ただ祈るのみ》

《小さき身体に メス入れらるる 運命を 背負いて哀れ 翼は五才》

《最先端の 医学を信ずる 他はなし 耐えませよ翼 がんばれ翼》

《孫の手術 恙なかれと 祈るのみ ここ手術室の前 声のみており》

《「一時間」と 夫が一言 控え室の 時計は十二時 ただもどかしく》

《麻酔効いて 夢の中なる 翼なりや 思いつつ待つ その長き刻》

《時計の針 遅々とし歩み捗らず 早よ戻りませと 祈る午後二時》

《昼すぎて 食事もとらず 岩の如 ただ坐り居る 大人三人》

《苦しみと 痛みに耐えし ご褒美は ディズニーランドと 孫に言いたり》

6月27日(水)

昨日はとにかく蒸し暑かった。子ども部屋のエアコンも故障中なので、佳緒里以外全員で、
下の和室に布団を並べて寝る。(佳緒里は母屋の自室にエアコンがあり、「効きすぎてすぐ
寒くなっちゃう。」などと贅沢を言っているが、みんなで引っ越すわけにも行かないので)
何だか合宿みたいに、みんな(私や典子まで)興奮して、なかなか眠れなかった。
明け方、廊下に出るとまだまだむっとしている。エアコンに慣らされた体は、元には戻れない。

学校では1〜3年生の授業参観。3組は3年2組と合同音楽をする。保護者の方から、ピアノ伴奏
に出ていただき、私のギターと合わせて、親子みんなで「WAになっておどろう」を歌う。歌はやはり
大勢で歌った方が楽しい。5時半からは群馬教育会館で平成13年度の組合執行部の人事。
4町村からしっかり組織作りをするためには、どうやら私が今年度も支部長を続けざるを得ない
感じ。あと1週間で、榛名町からの役員も決定する予定。方向が見え会議自体は早めに終わった。

帰りにパワーセンターによって、米やヌードルを購入し、帰宅すると、おいしい夕食が待っていた。
半額の弁当も2つほど買っていたので、ちょっと食べ過ぎてしまった。食卓では、今日の出来事が
よく話し合われるが、翼は久しぶりにシャロームに行くことができたそうだ。でもあまり態度がよく
なかったようで、どうやら今までちやほやされすぎて、いい気になっているようだ。確かに、大変な
手術を乗り切ったのだから、褒めてあげたいし、ご褒美もたくさんあげたい。でも、甘やかしすぎて
悪い子になってしまったら、結局は翼を不幸にしてしまうので、きつくしかった。

夜中に、母屋の自室に行っていた佳緒里がいきなり帰ってきて、「こちらで寝たい」という。
試験前でナーバスになっているらしい。狭くなるが、久しぶりに6人全員で枕を並べて寝た。

6月28日(木)

午前中は特にいい天気だったので、プールは水漏れ修理が終わったばかりで、水が入っている
途中だったが、3組だけの貸し切りで楽しんだ。プールサイドの気温は33℃だが、水温は21℃で
かなり冷たかった。小プールで膝まで水に入れて、時々甲羅干しをする程度だが、楽しかった。

やや早めに帰宅し、労金と石材店に行く。相続費用の処理と、墓地の整備のためだ。菅谷の
正観寺石材さんは夫婦そろってとてもいい人達で、実りのある会話が出来、父の記念式までに
キリスト教式の墓地に改装してもらうことにした。父(即司)の記念式(一周忌)は、8月4日(土)
15時から、高崎キリストチャペルでとり行う予定。

翼はお風呂でシャワーを浴びたが、「もうどこも痛くないよ。」と喜んでいた。明日は、久々の日赤。
幼稚園に出て良いかどうか、プールは入れるかなど聞く予定もある。ディズニーやナンジャタウン
など、テーマパークに行ける日も近いと実感する。

6月29日(金)

国府小では4年生以上の公開授業。3組には直接関係はないが、ちょうど日直なので、見回りが
大変だった。皆忙しく移動したりしたせいか、窓の開けっ放しの教室も多く、保護者の方が残って
いて、施錠のままならないところもあった。5時半に一部の施錠はあきらめて帰宅。

翼は、日赤で終始にこにこして診察できたらしい。回復も順調で、お尻の方もよく乾いており、次回
は1ヶ月後の診察で良いそうだ。幼稚園にも復帰できるようだし、プールも直射日光さえ当たらな
ければ、入って良いそうだ。お尻が痛くなくさわれるので、嬉しくて何度もさわりまくっていたようだ。
私にも「ざらざらしてるだけだから、さわってみな。」と、しきりに勧めてくれた。確かに痛くなさそうだ。

正観寺石材さんから電話があったので、ついでに子ども達を連れて外食を計画。恵里歌の空手
もあるので、堤小近くの「けんちゃんラーメン」に決定。時刻はちょうど6時半にさしかかり、子ども
らは、「とっとこハム太郎」を見ながら食事。恵里歌だけ空手に連れていって、みんなは食事が済
んでも、番組の終わりまで、見させてもらった。帰りにはブックブックによったら、ゲームボーイアド
バンス用の「マリオ」のソフトを翼にせがまれる。

明日で激動の6月も終わり。21世紀も半年が過ぎようとしている。

6月30日(土)

いよいよ6月も最後の日。2001年の上半期が終わる。
堤小では全校一斉道徳の授業参観があり、恵里歌の姿勢の悪さが気になったそうだ。
国府小の3組では、七夕飾りが派手に、教室いっぱいに広げられつつある。

帰宅してから、イトーヨーカ堂で、翼の幼稚園への快気祝いを取りに行ったり、赤丸市場で、
新しいエアコンを購入したり、八幡霊園に墓石を見学に行ったりする。八幡霊園では、教会の
土岐さんの墓地もあり、雨に濡れた墓石はとてもひっそりと美しかった。

夜には、友花で有志による懇親会が開かれ、3校から5人が集まって楽しいひとときがもたれた。
帰宅したのは10時過ぎだったのに、みんな起きており、結局11時過ぎにやっと就寝体制に入る。
休みの前日は、みんなとてもリラックスしていて、楽しそうだ。合宿気分。

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