「更新日記」記録館 (2001年2月

神楽坂倶楽部に感化されて始めましたが、
果たしていつまで続くやら。
自分史・家庭史づくりに活用します。

2001年2月 28日(水) 1月以前 の日記 トップに戻る

2001年2月1日(木)

いよいよ21世紀も1ヶ月過ぎた。このコーナーも新ページにする。
これからも、月ごとにページを替える予定。
今日は、ひろばにも追加をしたが、佳緒里が平成3年と4年を混同してしまい、
25号から一気に45号にワープしてした。また26号に戻る予定。
父も25号を二つ作ってしまっていたので、便宜的に25号乙とした。
佳緒里の新コーナーも掲載し、今日の更新はほとんど佳緒里任せだった。
ただし、壁紙がなかなか出てこないので苦労した。どうやらUNIXとの相性が悪いらしい。

2月2日(金)

お昼頃は日差しがすごく暖かく、校庭の雪も校舎よりの方は
ほとんど融けていたので、久しぶりに戸外で一輪車に乗った。
アイドリングがまだまだ上手にできず、バックもほとんどできないので
前進から後退に移る練習をしまくっていたら、職員室前で派手に尻餅をついてしまった。
100円ショップでCDとMDのケースを買って帰ったら、別の店で妻も
同じような物を買ってきてくれていた。

2月3日(土)

今日は節分。3組では1名欠席だが豆まきをした。豆と言っても落花生とピーチョコ。
ティッシュの空き箱を利用し、翼の青鬼をまねてK君に赤鬼を作らせる。
その後早退して南中での立志式に出席。中2のクラス代表はいろいろな夢を語った。
立志式は予定より30分近くも延び、妻がシャローム造形教室の作品展の受付係に
間に合わないと困るので、迎えに来てもらうのを断念し、歩いて寒風吹きすさぶ中帰った。
一休みして、友加里と恵里歌を連れ、SATYの展覧会場へ。
その後、ロッテリアで昼食を取り、メガマートへ。
さらに吉岡町の文化会館を下見して、恵里歌をスイミングに。
滅茶苦茶忙しい1日だった。
  
左から、翼の青鬼、K君の赤鬼、シャローム作品展での筑井先生と子供ら

2月4日(日)

今日は組合親子映画の最終日。箕郷文化会館でマルコの映画の上映。
天気もまあまあで135名が集まってくれた。
夜は高崎駅前の鮨屋で反省及び慰労会。共同映画の日沼さんも見え、
映画談義から少年野球まで幅広い話題に数時間が過ぎた。

2月5日(月)

今日は元々国府小の職員であるK先生が、教育センターから講師として来られ、
教育相談の実践研究による研修が行われた。
ほぼ定時に終わり、恵里歌をシャロームに迎えに行く。
時間が少し余ったので恵里歌の大好物マクドナルドで半額のハンバーガーを購入。
花水木の会の写真を幹事長の家に渡しながら帰る。
夕食後、ピアノのレッスンに行った佳緒里をI先生の家に迎えに行く。
もうそれで1日が終わってしまった。絵に描いたような平凡な1日。でもそれが1番いい。

2月6日(火)

午後5時半から群馬支部で第1回の選挙管理委員会が開かれた。
いよいよ来年度の執行部の人事が動き出したわけで、
うまく立候補者が出てくれれば、めでたく今の支部長の任を解かれるわけだ。
ただ実際には立候補者はなかなか現れず、推薦を受けてくれる人も希有である。
帰りに堤小の体育館に寄り、空手の体験入学をしている恵里歌の様子を見る。
けっこう楽しかったようで、あと4回の体験コースを過ごせば本決まり。

2月7日(水)

今日は妻の誕生日。朝3時半に起きて二人で「アンドリュー」のビデオを見る。
ロビン・ウィリアムズの主演映画はどれもヒューマンで素晴らしい。
ただし、一日中眠くてしょうがなかった。
朝からの雨は、夕方には雪になったので、吉岡町の「HIROSHI」コンサートに
妻と長女を送っていく。雪はますます強くなった。スタッドレスをはいていて本当に良かった。
明日の朝はどうなっているだろう。

2月8日(木)

雪は夜更け過ぎに雨になったようで、積もるどころか少し融けており、
朝には美しい青空がのぞいていた。
学校保健委員会の写真をわずかに転送しようにも、国府小のHPは5MBぽっち。
削った分はまたHP下宿コーナーに追加する。
これから新聞委員会に顔出しする予定。(午後6時現在)
学校ではF先生が仕事をしていた。社会科の発表が明日なのだそうで、
写真のプリントアウト等多少手伝ったので、時間は早く過ぎた。
いつもは9時過ぎまでかかる新聞委員会も、8時半に終わった。

2月9日(金)

朝は久しぶりに冷え込み、物置前の温度計は−6℃近くを指していた。
学校ではTechWinから解凍したFSWソフトで結構使える物があり、
楽しく学習に活用することができた。色当てゲームとデジタルインベーダーだ。
恵里歌は第2回目の空手体験。先輩や先生が丁寧に教えてくれていた。

明日からは三連休。でも、教会の学び会(12日)とその準備に追われそう。

2月10日(土)

午前中は、学び会の子どもプログラムで使う歌の歌詞をOHPフィルムにプリントアウト。
午後は、典子の誕生祝いも兼ねてCOCOSで昼食。その後チャペルへ。
資料の製本予定だったが、印刷が間に合わず4時前に解散になる。
そして、みんなで恵里歌をスイミングに送るつき合い。待っている間は書店で過ごす。
グインサーガの77巻も出ていたので、恵里歌が来るのを読書しながら待つ。

2月11日(日)

今日は亡き父の誕生日。初めての父のいない誕生日だ。
肝臓ガンのため臥せがちではあったが、1年前は畑や鉢植えの手入れが少し出来、
壊れ物の修理もしてくれた。我が家の壊れた椅子を直してくれると言ったまま帰らぬ人となった。
椅子はしばらく作業場にあったが、見るたびに思い出すので冬休み中に燃やしてしまった。
亡くなって6ヶ月が過ぎた今でも、時々父の出てくるリアルな夢を見る。
「去る者は日々に疎し」とは言うが、肉親は少し違うようだ。
母の時は3年以上、毎日のように夢に見た。今でも時には生きて夢に出てくる。
世の常ではあるが、つらいものだ。みんなそんな心の傷を抱えて生きているのだ。
午前の礼拝の後、花を買って墓前に飾った。
午後の日曜学校には久しぶりにAちゃんが来た。学び会の準備はにぎやかだった。
100円ショップと100円寿司によって帰る。

2月12日(月)

毎年成人の日に行われていた新年の学び会も、今年は成人の日が早すぎたためか、
2月12日に計画され、その日もついにやってきた。
総勢600名近くが関東近県から高崎市農協に集まり、私は小学生以下の担当で、
ビデオの上映や歌唱指導、そしてメイン会場でのアトラクションのハレルヤコーラスに出場。
割り箸の輪ゴムでっぽう作りは、1人あたり5〜6円のコストでとてもおもしろかった。
いよいよこれで3連休も終わり。明日は第2回の人事交渉が西部教育事務所で行われる。

2月13日(火)

午後、2時前に職免をもらい、西部教育事務所で第2回目の人事交渉。
合同庁舎から出るとき、高校時代の同級生だったK氏に会った。
彼は税理士をしているとのこと。これからは困ったことがあったら訪ねてみよう。
赤堀の姉の所により、家に帰ってみるとヒーターがひっくり返っていた。
兄弟喧嘩の腹いせに蹴り倒したのがいたようだ。まとめて厳重注意する。
兎も角、火事にならず故障もせず本当に良かった。ただし灯油が受け皿にこぼれ、
臭くて室内にはおけない状況なので、壊れたのとたいして変わらなかったが。
恵里歌は空手の体験3回目。さすがに今回はつきあわず、送り迎えだけ。
3姉妹には反省するために母屋の1室で寝てもらう。

2月14日(水)

今日はバレンタインデー。昨夜遅くから2人で"You've got mail."のDVDを見ていたが、
0時になると同時に生チョコを2箱もらった。他にラムレーズン入りのチョコ数箱。
トム・ハンクスとメグ・ライアンのカップルは最高にお似合いで、素晴らしい作品だった。
朝にメールをチェックしていると妻の義理の叔母より、妻の両親の写真が送られており、
家族紹介のコーナーに掲載することにした。
学校でも2箱ほどチョコをもらい、上々のバレンタインデーであった。

2月15日(木)

またしても夜中から2人でビデオ鑑賞。今回はジム・キャリーの"Man on the Moon"
つまるところオオカミ少年のパワーアップ版なコメディアンの生涯の物語だが、
癌になっても、死んでも、すべてが信じてもらえないのが悲しい。
すべてがドッキリカメラと思われてしまう。今回は早めに終わって一眠りできた。
それでも時々睡魔に襲われる1日だった。夜は組合の選管。

2月16日(金)

バレンタインデーは一昨日だったが、学校では「飲むために働いている。」と豪語する
M先生の思いつきで「バレンタインデー飲み会」なる物が計画され、
高崎駅前の地下街の「市」で行われた。私はアッシー君で飲まないが、料理はおいしくて
3人前くらい食べまくってしまった。(明朝は朝食抜き)
2次会はワシントンホテルの12階の「ガスライト」。チーズフォンデュや生演奏にうっとり。
チョコレートはチョコチーズくらいしか見かけない不思議なバレンタインデー飲み会だったが、
大人の雰囲気を満喫できて良かった。
帰りしな、M先生が「来月はホワイトデー飲み会ね。」と言っていたが、
「チョコももらっていないのに、何もお返しできないよ。」と口答えしてしまった。
本当に何でも飲む口実にしてしまう人だが、不思議と出席率がよく、カリスマ的だ。

2月17日(土)

私の携帯はEZWeb対応のTu-kaなので、EZWebのHPに興味があった。
普通のHPとは違い、HtmlではなくHdmlという言語で書く。
マイデッキエディターというソフトをダウンロードし、早速作ってみる。
今のところEZWeb対応携帯ではhttp://www7.wind.ne.jp/a-todo/index.hdmlで見られるが、
普通のHPもある程度見られることも判明。これからは、Jスカイやiモードにも挑戦したい。

2月18日(日)

午後の日曜学校は、本来来週が当番なのだが、来週は組合のスキーなので、
Y姉妹と順番を代わってもらい、私が話をする。タイトルは旧約聖書の「ダビデとバテシェバ」。
中学生相手に不倫の話は厳しいが、問題は誘惑に負けるとどんどんエスカレートしていくこと。
ギャンブルも暴走族もみんな同じだと思う。そして、大事なのは自分の過ちに気づいたとき、
素直に認め、悔い改めること。昔、通常学級を担任していたときは子供らに、
「ごめんなさいと言う素直な心と、赦せる優しさこそ大事だ。」と必ず言ったものだ。
そして「ありがとう」と言う感謝の気持ち。赦し、赦され、感謝する間柄には愛がある。

2月19日(月)

更新日記もだいぶきつくなってきた。書きたいことがそれほど強くないときや、疲れて眠いとき、
すっぽかしたくなるが、誰かが見ていると思うとそうもいかない。
作家の故三浦綾子氏が「日記を3年、欠かさず付けた人は、何かをする人だ。10年付けた人は
すでに何かをした人だ。」と言っているが、「継続こそ力なれ。」と言う言葉もある。
何とか続けたいものだ。亡き父も毎日つけていた。出来事だけでなく、エッセイのようにしよう。
ついでに出来事。妻が買ってきたローソンの揚げパンは数種類あって結構おいしかった。
恵里歌のお迎えの時、マクドナルドのハンバーガーをよく買うが、これも結構いけた。

2月20日(火)

週末のスキーに備えて、友加里のシャロームを土曜から火曜に代えてもらう。
早めに帰宅し、友加里を連れてシャロームへ、5時20分〜7時だが、赤堀やコジマ電気等を
回って迎えに行くと、じっくり構えて20分もオーバーしてまだ仕上がっていなかった。
帰ったのは8時近く。妻は恵里歌を連れて最後の空手体験(5回目)。翼が帰りたがっている
との連絡を受け、夕食もそこそこに堤小の体育館に。恵里歌はお古の足袋をもらって
はりきっていた。

2月21日(水)

午前中、Sさんは体験入学、Y君は受診で朝のうちはK君1人だった。
給食の時には全員集まり、かえってにぎやかだった。
いよいよ年度末の記念にと、今までのデジカメ写真や作品をCDに焼き始める。
懐かしい写真の数々をチェックしするのは、国府小での4年間を振り返る機会でもあった。
特に卒業学年を抱えると、ひとしおである。
我が家にも小学6年生がいる。進学への期待と不安。初めての初々しい気持ちを大切に。

裏話:「記念すべき40円」はこちら

2月22日(木)

妻がインターネットの懸賞で「シャンピニオンゼリー」に当選した。楽しみに待っていると、
高齢者用の水分補給食品だった。確かにシャンピニオンエキスは入っているが。
せめて父が生きているうちなら役に立ったが、どうも味見する気にもならず、ここに紹介する。
「1ダースあるので、欲しい方はメールか掲示板で応募して下さい。」

夜、恵里歌がわがままを言って泣き騒いでいるのでほっぺたをはりとばしてしまった。
4つ年下の弟だけが、母親と寝ているのがおもしろくないのだが、
少しでも思い通りにならないと癇癪を起こす。偏食も激しく、給食はほとんど食べない。
このままでは末恐ろしい。性根を入れ替えて欲しい。他人の気持ちを考えなさすぎる。
がまんが足りなすぎる。感謝の気持ちもなく、不平だけを爆発させるのは困ったものだ。
私も大人げないとは思う。子どもでも思い通りには行かないし、人それぞれ、長所も短所もある。
自分だって、小さいときばかりでなく、今でもわがままを言っていることもあるだろう。
しかし、今の自分に許せないことは許せないのだ。それを我慢するのは違うと思う。
人それぞれに真実や正義があるのではなく、普遍のものもあるはずだ。
まして、我が家はクリスチャンホーム。いかなる時代をも超えた真実はある。
感謝や思いやり、つまり愛は普遍だ。キリストこそ、まさに何一つ自分の権利も主張されず、
命と生活のすべてを、私たちのためにささげて下さった。まさに愛そのもの。

2月23日(金)

学校では6年生の保護者への「感謝の集い」があった。第1部は体育館でゲーム等。
第2部は2回のオープンスペースで会食と合奏・合唱。そしてプレゼント。
3組のSさんもパソコンで書いた両親の絵を額に入れてプレゼントした。
家に帰ると我が家の6年生の友加里が家庭科で作ったプレゼントとカードをくれた。
記念のデジカメ写真に、はにかんだ表情がとても初々しく写った。
  

2月24日(土)

いよいよ今日は、組合のスキーツアーの日。岩原で携帯からアップロードできるかどうか
わからないので、先にとりあえずUPしておこうと思う。
夜中には雨が降っていた。かなりの降りで、まさに「干天の慈雨」なのだが、
荷物をバスに積み込むまでが大変そうだ。

出発は多少遅れたが、到着は予定よりかなり早かった。バスの中では子ども達の
カラオケ大会もあり、結構楽しく暇を持て余すこともなかった。ただ岩原でも雨が降っており、
しかも駐車場からホテルまでゲレンデを歩かねばならず、かなり苦労した。
佳緒里と私はスキー、他はそりを始めた。佳緒里はすぐにリタイヤしてそり組になる。
私は一旦下まで降りてしまい、登るのが大変そうなのでリフト券売場に並ぶ。
クレジットカードも使えるし、それほど混んでなさそうなので、2日券を買ってしまった。
3時頃から雨は雪になり、5時頃なんと晴れ間が出て、周りの山々が姿を現した。
その美しさたるや、筆舌には尽くしがたく、ビデオを回しながらすべってしまった。
2日券を買ったことを後悔しないように、ナイターにも挑戦。今日1日で27回乗った。
うち1回はゴンドラで、1回券で11200円相当と言うことになる。 
さらに、明日は早朝に挑戦する予定。風呂はすごく熱く感じたが、体中の痛みを癒してくれた。



(縁取り付きの写真をクリックすると新しいウィンドウに大きめの写真が表示されます。)

2月25日(日)

早朝スキーを5時45分に始める。昨晩からの吹雪で、さらさらのパウダースノー。
まるで地面を踏んでいる感覚がなく、雲の上を滑っているような感じ。
スノーブレードにもかなり慣れてきたようで、思った通りのラインが描ける。
朝食後はゴンドラとクワッドリフトに乗り、山頂から一滑り。
さすがに斜度がきつく、派手にこけて左肩を強打。昨晩から2度目で、かなり痛い。
部屋の荷物をかたして、子供らのそりにつきあうが、吹雪いていてすぐにリタイア。
子供らはパソコンやお絵かきに興じる。私は昼前にもう一滑り、よせばいいのに山頂まで。
またこけて左肩を強打。3度目の正直で致命的に痛い。
広間で昼食を取って一眠りし、バスで群馬へ。ゲゲゲの鬼太郎を見ながらうとうと。
群馬は快晴で、車窓からの日差しが強烈だ。降りると強風。まさに冬型。
帰宅して、風呂に入りまたうとうと。昨夜のナイターと今朝の早朝滑りでぐったり。
 

2月26月(月)

昨夜は左肩が痛くてあまり熟睡できず、今朝1番で整形外科に行く。
レントゲンでは、骨にも靱帯にも異常はないとのこと。処置は血管注射と湿布薬と飲み薬。
私はバファリンで蕁麻疹が出ることがあるが、飲み薬の中に同じような成分があるからなのか、
首の周りやおでこが少しかゆくなったような気がする。
いずれにせよ、後々のことを考えて、無茶をしないのが大事と痛感する。
そういえば、一輪車に乗れるようになったときも、サイクリングロードでこけて、
「不名誉の負傷」を負ったことがあった。調子づく癖を何とかしないとまずい。
結局、朝の旗振りも、恵里歌の送り迎えもすべて妻に任せてしまった。感謝&反省。

2月27日(火)

昨夜から神楽坂倶楽部のキリ番「123456」を踏みたくて、妻にも協力してもらいつつ、
こまめにアクセスを繰り返す。またしても、寝不足になってしまった。愚か。
午前五時現在で、「123278」、あと178人だ。挑戦だけは続け、越えるまで頑張ろう。
5時半で「123307」後149人。5時55分、タッチの差で破れ惜しくも「123457」でした。

途中メールチェックなどをしていたら、松井田集会の多胡兄宅が24日に全焼してしまい、
現在、同集会の須藤兄のお宅に身を寄せていらっしゃるとか。何か出来ることをしたい。

神楽坂倶楽部のトップページに残念賞で掲載された。それなりにがんばった甲斐があった。

2月28日(水)

いよいよ2月も終わり、このページも過去の物となる。
3月になると卒業のシーズン。明日は高校の卒業式で、相棒のT先生の娘さんも卒業。
我が家にもクラスにも6年生がいる。それぞれ、感慨もひとしおな感じ。

今朝はリサイクルの日だったが、軽トラで行こうと思ったら、すでに妻が自分の車で用意して
出かけるところだった。私の肩がまだ治っていないのを気遣ってくれている。ありがたい。

昼間、神楽坂倶楽部の125000番をゲット。私的には価値あるキリ番。

夜は群馬支部の第2回選挙管理委員会改め第1回組織確立小委員会。8時過ぎに帰宅。

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