「更新日記」2002年4月中旬号 
2002年4月 15日(月) 20日(土) 4月上旬号 最新刊はこちら
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4月10日(水)

昨夜は友加里が用意してくれた布団で、友加里は足下に寝ていたので、夜中に1回蹴られただけで、割とゆっくり眠れた。それでも今朝は4時20分に目覚める。出勤もゆっくり目。1年生の担任の先生が休みなので、翼のかつての園友のいるクラスに出る。パワフルな子もいるが締めるところは締めて、楽しく半日過ごした。給食もたくさん食べられて、良いクラスだった。子供たちを保護者の待つあたりまで送って、理科室と音楽室の掃除監督をし、PTAの名簿作りを手伝い、6年生の理科のために種芋や種を買い出しに行く。さすがに昨夜遅くまで学校にいたので、今日は5時半頃には帰宅できた。
佳緒里は高校の入学式に、典子と出かけ、ブラスバンドの演奏が素晴らしかったそうだ。生徒も保護者も給食があり、典子はカレーがおいしかったそうだ。お祝いでこれから夕食に出かける。
    

翼の下校は、学校の近くまで両親がお出迎えに行ってくれた。今日はしっかり歩いて来たそうだ。

夕食はみんながそれなりに満足できるかっぱ寿司。平日の夜なのに、それなりに混んでいて、結構待たされてしまった。

 

4月11日(木) 今朝は一旦4時半に起きたが、6時から30分ほど布団で暖をとった。ここ数日結構寒い。両親に挨拶とお礼を述べてから出かける。理科の授業も始まり、6年生の2クラスに、ギターと本で星野富弘さんの「たんぽぽ」を紹介。「命の大切さ」を少し考えた。
メールが入ったのを潮時に、6時頃抜け出して一旦帰宅すると、友加里の家庭教師の先生が初めてで道に迷っているので、誘導した。キャリアウーマンだというので、結構年輩かと思っていたが、車にも初心者マークが貼ってあり、若い方だった。社会科を中心に教えてもらうが、今日はコミュニケーションだった。恵里歌の迎えに出かける前に、両親が調子よく茨城に着いたことも判明。4泊5日だったのだが、私はあまり家にいなかったので、あっという間という感じだった。本当に忙しいところを助けていただいて感謝である。
恵里歌を迎えに行き、筑井先生に「教務になっちまったよ」というと、「うちの旦那なんか、ずっとそうだよ」と言うので、いつも帰りが遅いとぼやいていた理由がやっとわかった。佳緒里はピアノがあり、典子は幼稚園に勤めだし、それぞれに忙しいが記念すべき1日であった。
4月12日(金) ようやく、長かった1週間が終わった。朝は、1年生を迎える会があり、午後は退任式があり、夜は退任者を囲む会で、2次会が終わり、典子に迎えに来てもらって帰宅すると12時を過ぎていた。長い1週間のとりをつとめるにふさわしい長い1日だった。そんなわけで、今日はこれだけ。
4月13日(土) 昨夜あれだけ遅かったのに、今朝も5時半には目覚めてしまった。昨日のことで、書いていないことが多いので、少しずつ思い出しながら記載。まず、8000番をとんちゃんがゲット。7777に次いで連続である。ちりぽんちゃんが大好きで、いつも来てくださるので、お引き合わせか。
あとは、翼がトイレではいてしまって、担任の先生から携帯に連絡が入ったこと。どうやら、友達に押されて泣いたので、気持ちが悪くなったらしい。すぐ泣くのは万病の元だ。夜の飲み会のおかげで、5時ジャストに帰宅できたので、翼にもすぐに会えたが、至って元気であった。
朝8時過ぎに、典子は育成会の準備で出かけ、私は9時45分に翼と恵里歌を連れて、会場に向かう。横断歩道で典子が旗振りをしていた。私は新1年生の集合写真と、9つの班のグループ写真を撮る係なので、11時頃までつきあっていたが、子供が進行していることもあって、にぎやかでにぎやかで、学校だったら学級崩壊しているクラスのようだった。それでも何とかプログラムは進んだらしい。

典子は反省会をしているようなので、インスタントラーメンをゆでて、子供らと一緒に昼食とし、午後は日曜学校の金券の不足分を印刷。典子の帰りを待って、光書店で判を押してもらい、みんなで100円ショップ巡りをする。ダイソーの元総社店とフォリオ店に行き、雑貨を購入。マクドナルドで軽食をとって、もうそれで夕方近くになってしまった。
子供らは100円ショップで入手したバドミントンで遊んでいたが、シャトルが屋根に上がってしまったので、私に取らせてから広いお寺の庭に移動した。私は通学路への近道を、倒れた竹が不才でいたのを撤去し、畑でサニーレタスを少しばかり抜いたり、馬鈴薯の芽かきをしたりしてきた。

4月14日(日) 今朝は翼がちょっと不調だったので、私一人でチャペルに行った。ニュージーランドから帰ってきた人もおり、グループでの歓迎会があったので、典子の作ったクッキーを持って、そのまま午後の日曜学校まで参加。歓迎会ではちらし寿司やタケノコの煮物、グラタン、フルーツサラダなど盛りだくさんで、大盛況だった。日曜学校の時間に、我が家の残り5人も到着し、終了後はワングーに。私はスラックスが欲しかったので、一人で2店ほど回り、2店目でまあまあ気に入ったのがあり、2本ほど購入。典子の車では、迷惑駐車の車に腹を立てた恵里歌が「迷惑駐車撲滅キャンペーンでもやって欲しいよ」と言うのに対し、典子が「じゃあ、お父さんにサングラスをかけて回ってもらうか」と言うと、佳緒里が「それじゃあ撲殺キャンペーンになっちゃうよ。」と答え、みんなで大笑いしていたという。
4月15日(月) 今朝は学校で佳緒里からの電話を受け、恵里歌がヘルメットを忘れていったというので、交通安全教室でもあるのかと堤小に問い合わせたが、明日だという。後になってわかったことだが、友加里がノーヘルで登校してしまい、ペナルティを受けたのだった。私も空き時間はないし、わざわざヘルメットを届けるために年休をもらうわけにもいかず、気にはなっていたが何もしてやれなかった。典子は翼を日赤に通院させ、学校に送り、自らも勤めに行ったので、対応できない。今までが頼れる体制だっただけに、自立の難しさをひしひしと感じたのではないだろうか。
そのほか、学校では相変わらずインターネットにまつわることで、御上の方から嫌がらせに等しい扱いを受けたが、よく調べてみるとルーターかターミナルアダプタに故障があったようだ。原因は分かったが、それによって生じた損害は甚大で、どうしたものか悩んでしまう。議会が追加予算を認めてくれるかどうか難しいようだ。ビデオの延滞料金の比ではない。プロバイダーもレンタルビデオショップも、人のミスにつけ込んでがっぽりもうけているのではないかとなじりたくなる気持ちである。信頼の出来ない業者とは二度とつきあいたくない気分だが、御上の方が勝手に契約しておいて、トラブルが生じると現場に責任をなすりつけるのはやめて欲しい。悲しいことに、思いやりや助け合いをうたっている学校現場も、御上にしてみればただの組織であり、お役所に他ならないのである。そんな人たちに教育を語って欲しくない気分だ。
帰宅すると、恵里歌が音読を聞いて欲しいというので聞いたが、感動的な物語でウルウルしてしまった。少年の頃の無垢な気持ちをちょっとだけ思いだした。翼とも紙飛行機の飛ばしっこで決着をつけたが「なかなかいいね」というと「だろう!」と得意げに答えていた。子供らには救われる。
4月16日(火) 今日は久々に耕耘機で畑を耕したため、足が筋肉痛できつかった。背広を着てネクタイを締めて軽トラに乗るのも勇気がいるが、作業着に着替えて授業をやるのもなかなかに大変だった。昼過ぎにはツベルクリン注射を受ける1・2年生の腕をアルコール綿で消毒する係だったが、狂ったように泣き叫ぶ子供を見て、「翼なんてあんなにつらい手術に耐えたんだぞ」と、どやしつけたい気分になった。帰宅して「翼は注射なんて屁でもないよね」と聞くと、「怖い」と言うので脱力した。
佳緒里は最近ずっと自室で眠らず、こちらにいるので、誰かしらの安眠を妨げ、みんなの迷惑になっているので「あっちで寝ろよ」というと、「だっていろいろうるさくて眠れないんだもん」と答えて言うことを聞かない。しかも、今日は翼がゲームソフトを隠したというのでさんざん泣かしたという。鬱陶しくてたまらない。高校生になっても全然変わらないのでがっかりの毎日。
恵里歌は腰ひもと帯を、胴体がちょんぎれる位に締めてくれとうるさい。よくあんなに締め付けられて平気なものだとつくづく感心する。昨日も短パンが緩いと言って、私のベルトでギリギリに締め付けていた。
翼のことを典子に話すと、「だって翼、注射きらいだもんねえ」というので、「入院中は点滴だってしてたじゃないか」と翼に聞いたら、「えっ、点滴って注射だったんだ」だと。またも脱力。
4月17日(水) 今日もいろいろ忙しかったし、まだ終わっていない。交通安全教室やクラブの発足、1時間目しか空き時間がないのに、しなければならない仕事は増える一方。しかも、夜はPTA総会の資料製本が待っている。5時過ぎに一旦帰宅して夕食をとり、とんぼ返りの予定。
典子も3時まで勤務を2時15分頃切り上げさせてもらって帰宅すると、丁度翼が帰宅してきたそうだ。ダイソーに行く予定だったのだが、パソコンをしてから行ってみると、宿題をちゃんと済ませ、手の跡を頬につけたまま眠っていたそうだ。可愛くてたまらない。私が帰宅しても布団の中におり、「具合が悪いの?」と聞くと、「眠いだけ」と答えたが、その後起き出して、「ダイソーに行きたい」と叫んでいた。
佳緒里は仮入部最終日で、ブラバンを強く勧めたのだが、土日も練習があるというので断念。演劇か文芸になりそうだ。
4月18日(木) 昨夜は9時前に作業も会議も終わり、比較的早く帰れた。小腹が空いたところに、フライングガーデンの広告が目に飛び込む。しかも、ちょうど第1・3水曜日は半額金券返し、おいしそうなメニューが待っている。翼も2時間ほど昼寝をしたので元気だ。3人娘は新しいドラマに夢中なので、典子と翼と3人で出かけた。期待のかにメニューは量が少なすぎて夜食にもならなかったが、翼のハンバーグの残りと、お変わり自由のライスで超満腹に。しかも、ごまだれハンバーグは幸せな気分にひたれるほど美味しかった。翼も幸せそうな顔をして食べていたが、デザートに気が移ったので頂戴してしまった。「2人ぼっちのアイスクリーム」も美味しかったようで、いつまでも幸せそうに食べていた。ウェイトレスさんに、なんと翼の清風時代の同級生のお母さんもいた。
学校での生活はまずまずの忙しさで、理科の授業に力を入れようと思い、朝からいろいろ点検していたら、必要な教材がほとんどそろっていないことに気づく。100円ショップで入手できそうな物もあるので、5時半頃からダイソーとシルクを回り、当面必要になりそうな物は入手した。帰宅すると恵里歌と翼は典子とともに買い物に行き、佳緒里はピアノのレッスンから帰宅したところ。友加里は家庭教師の先生と勉強している。私は兄が育てた桃色タンポポをお墓に植えに行って来た。明日は郡の総会があり、理科主任及び教務主任として参加する予定。
4月19日(金) 学校は3時間で給食後放課。1時間目は予備実験をし、2時間理科を見て、給食を食べ、一仕事の後郡の研究会総会に向かうが、携帯を忘れたので一旦家に寄った。丁度早帰りの翼が庭に走り込むところで、再会を喜び合い、留守番をしっかり頼んで、急ぎ会場へ。去年は情報教育主任会の部長になってしまったが、今年は理科主任会でも教務主任会でも部長も副部長も回ってこなかったので助かった。新米の教務主任としては自分の学校のことで手一杯である。理科も10年ぶりの授業で、まだ十分技能が戻っていないので、この1年は自分の仕事に専念しよう。
携帯を持っていった甲斐があり、典子からのメールを受信。幼稚園のお手当をいただいたらしい。慰労の意味も込めて、近くのガストで軽く食事を楽しむ。恵里歌はその後空手に出かけていき、今典子が迎えに行った。
4月20日(土)

今日は高崎の「もてなし広場(旧市役所跡)」で地区労高崎等のフェスティバル(メーデー)が開かれ、翼の大好きなハリケンジャーがくるので、朝早くから心がけてお出かけした。スズランのパーク500に車をとめ、丁度開催の10時に着いたが、もうすでに開会式は始まっており、たった5分で終わってしまった。カオユカは留守番で、翼と恵里歌が遊具で遊んだり、イベントで楽しんだ。滑り台の担当は県教組高崎支部の支部長だった。イベントはマジックショー、バルーンアート、シャボン玉とパントマイムのショーのあと、お楽しみのハリケンジャー登場である。マジックショーでは翼が真っ先にステージに上がり、マジックのアシスタントを勤め、ご褒美の風船の熊をもらった。ハリケンジャーの方は当てレコではなく、声優さんが2人来て、演技にあわせて台詞をしゃべっていたが、いろんな役をこなしていて上手だった。抽選会などもあったが何も当たらず、恵里歌は姿をくらまして、見つけるのに苦労した。その後、スズランで昼食や私の靴などを買い帰宅。
     
お昼寝モードに入りつつある頃、携帯に着信。母からであった。なんと白沢村にいるとのこと。こちらに回ってこられると言うので、典子は急いでお迎えの準備をしたが、以外と早いご到着で片づけ終わらなかった。でも、すぐに買い物に行かれたのでその間に片づけを済ませ、再度お迎えできた。私はその間、兄と池の撤去作業をやっており、翼は片足つっこんできれいな靴を洗う羽目になった。塚田ご夫妻と母の3人を迎え、しばらくの歓談の後、6人そろってお見送りをした。父が来られなかったので、翼は少しがっかりしたようだが、会えて良かった。お見送りの後は、6人そろってフライングガーデンで夕食。このごろ毎日のように外食しており、ベルトの穴が間に合わなくなりそう。
 

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