「更新日記」2002年4月上旬号 
2002年4月 5日(土) 10日(水) 3月下旬号 最新刊はこちら
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2001年12月前半後半日記(バックナンバー)それ以前はそちらから行けます。
3月31日(日) 朝、岩渕家の車庫を見せていただいてから、下館のチャペルに寄る予定だったが、体調が優れないのでそのまま帰宅。昼食は前橋の幸楽苑でとったが、丁度12時15分頃だったので、めちゃくちゃ込んでいた。そして、13時過ぎに無事帰宅。子供らは典子とともに日曜学校に行き、私は入浴後更新をして、これから休む。
一休みして大分楽になったので、この3日間のまとめを写真で綴る。
岩渕家のガレージ兼書庫は、ものすごい大きさで、電動シャッター内には車が4台も格納できる。2階は書庫というか書斎というか図書室というか、二部屋の壁には大きな書棚があり、まだ余裕はあるものの、個人としては多すぎるスケールと、充実した内容になっていた。希少な本も少なくない。お茶をごちそうになった後、みんなで記念撮影する。翼の出し物もあって楽しかった。
    
4月1日(月) いよいよ新年度が始まった。翼は学籍上は1年生になったので、朝6時40分に起こし、朝食を食べさせ、1sのダンベルを2つ持たせて、通学路を共に歩く。中間地点を過ぎたあたりで、腕の疲れがピークになったらしく、ダンベルをあずかったが、歩くスピードは1年生にしてはなかなかのものだった。明日は、ランドセルにダンベル1つ入れて歩かせる予定。
そのあと、私は学校に出勤。8時10分頃ついたが、ほかの先生は2〜3人しかいなかった。9時半頃、典子が佳緒里を高校に連れていきながら、他の3人を下ろしていった。しばらく校庭で遊んでいたが、パソコンをやりたがっていたので少しだけやらせる。高校の方は早く終わって、典子が迎えに来てくれた。佳緒里の制服は一応そろったが、副教材やレインコートなど、これからまた売りつけられるらしい。英語の辞書はお薦めの易しいのを買ったが、中学生並みの内容で、発音などカタカナで書いてあるという。私は胃の検査のために狩野外科に行く。大したことはないが、用心に越したことはないので、レントゲンと超音波と採血をしてもらう。血液検査の結果は明日の午後だそうだが、他の検査では異常はなく、胃の薬をもらって帰宅し、昼食をとって再度学校へ。新任校長の挨拶をアップロードし、しばらく新年度の名簿作りなどをしているうちに、4時半を過ぎてしまった。そして、辞令を受けてこられた新任の先生方の写真を撮り、これもアップロード。これで、5時を過ぎて退庁となった。
我が家の前にたどり着くと、道路端で恵里歌が険しい顔をして突っ立っていた。佳緒里との壮絶なバトルの末、飛び出してきたらしいので、そのまま車に乗せ、ブックブックに連れていったが、お目当ての雑誌はなく、100円のハム太郎の古本を買って帰ってきた。
4月2日(火) 今朝は翼も起きてこないし、私も長丁場になりそうなので、登校練習はやめにして、ゆったりと出勤する。8時10分頃着き、旧担当学級を少しだけ整理してから、企画委員会が始まる。平成14年度の担任や校務分掌が確認され、なかなかのポストに就かせていただいた。慣れないこともあり、何をしたらいいのかわからぬままに、7時近くまで仕事をしてしまった。暖かかったせいか、頭がぼーっとしていて、何となく熱っぽい。今年度はあと363日ある。スタートダッシュがきついが、スタミナの配分に気をつけて、完走できるようにがんばっていきたい。
帰宅すると恵里歌が空手に出かけるところで、紐や帯をきつく締めてやってから、典子に送っていってもらった。他の3人は相変わらずにぎやかに騒いでいるが、疲れているのでかまってやれない雰囲気。胃の具合もいまいちだし、とにかく眠い。
4月3日(水) 夕べは早めに寝たのだが、12時半に目が覚めてしまい。5時頃まで眠れなかったため、激ねむで、起きるのが大変だった。今日は新年度最初の職員会議で、改めて自己紹介しあう。午後はそれぞれの仕事だが、昨日の続きが結構はかどって、原型らしきものができあがった。そのほかにも新年度の準備があり、忘れていた仕事も思い出して、危ういところだったが、5時半過ぎには帰宅することが出来た。
帰ってくると、兄が「池を埋めよう」などと言っているので、「こっちはそれどこじゃねえよ!」と、ぶっきらぼうにあたってしまった。翼が「お父さん遊ぼう」などと言うが、そんな気にはなれなかった。何しろ彼は昨日公園で5時間も遊んだのだそうだから、1週間くらいじっとしていてもらいたい。しかも、みんなで買い物に行ったり、子供らだけで近くの店に行ったりしたのだそうだ。
4月4日(木) 今朝も4時に起きて一仕事する。学校では新6年生が登校し、全教室の机といすを配分し直す作業の采配を振るうが、結構重たくていっしょに3階まで運ぶと「ふううっっ」と言う感じに疲れた。そのほかの用事もどんどん入ってくるので、合間合間にこなさなければならず、みんなの見る目も厳しくなってきているように感じる。午後は職員会議で、提案前に変更を迫られ、決定事項を提案できなくなってしまった。残念。そして、修正案をひねり出すため、6時半までかかったが、続きは明日と言うことで、ひとまず帰宅。
とりあえずネットにつなぎ、トップページを開くと、カウンタが7777番を越えているのを発見。急いで掲示板を見ても7778番のようこさんと、7779番のhimeさんのカキコがあるのみ。いったい誰がゲットしたのかとメールチェックをすると、案の定、茨城から入っており、とんちゃん(父:とものり)が7777番をゲットしたとのこと。記念すべきぞろ目をとっていただいて良かった。一瞬で疲れも迷いも吹っ飛んだ感じである。ネットをやっていて良かったと思う。
典子は育成階関係の懇親会で、近くの飲食店に出かけていった。子供らも夕食をしっかり食べ、楽しそうにテレビを見たりゲームをしたりくつろいでいる。疲れもピークに達しそうだが、励ましのカキコがあったり、メールが届いたり、子供らが楽しそうにしていると心が和む。感謝感謝である。
4月5日(金) 教師にとって、大変なのは勤務中に休憩時間がとれないことである。給食は食べられるが、あくまでも「給食指導」であって、仕事なのだ。休み時間も打ち合わせや児童の指導で、休めないし、まして外出など出来ない。だからこそ、運用時間と言う制度があり、そして、校外研修も承認されていたのだが、今年度から役場の職員並みに、長期休業中もしっかり8時間勤務しなければならない。ただ、休み中は外食したり、家に帰ったり出来るので、ちょっとだけうれしい。今日はお昼を食べに帰宅したら、恵里歌が「夕飯にチャーハンを作ってあげる」と言うので、早めに帰ろうと思った。6時には帰りたかったのだが、20分ほど過ぎてしまった。楽しみにして帰宅すると、ハムと卵の入ったチャーハンが出来ていた。なかなかおいしかった。恵里歌は空手に行くため、すでに胴着を着始めていた。一人で先に食べたらしい。
他の3人は、ザ・ジャッジを楽しそうに見ている。恵里歌のためには録画している。
4月6日(土) 今朝は6時前に起き、朝食をとって7時前には学校に行った。平日は早くでても、5時過ぎなければ帰れないが、休日は仕事さえ終われば遠慮なく帰れるので、早く済ませようと言う気持ちと、工事の職人が8時頃くるので鍵を開けねばならないからだ。新校長と前校長(今年度は恵里歌と翼の学校長)が9時半ころ見えたので、翼のクラス分けで観音寺区が1人しかいないことを報告する。教頭先生も出勤し、おかげで、10時頃には2仕事終わり、帰宅して床屋に行くこともできた。
佳緒里はカナン園時代の同窓会があるので、典子に送られていったが、担当だった暁子先生は例によって熱い抱擁で迎えてくれたという。私は塩ラーメンを作って友加里といっしょに昼食にし、帰ってきた典子と翼とともに、高崎に出かける。日曜学校の賞品の金券に光書店で判を押してもらうためと、翼のために合い鍵を作るためだ。佳緒里からも連絡があったので、とりあえずこちらに向かって歩き出すように指示し、通路を逆にたどっていくと、群馬町と前橋市の境目あたりで発見。無事保護できた。帰り道に精米所により、いただいたお米を精米する。
佳緒里たち10人はボーリングなどをして楽しんだそうだが、11時に集まったのに昼食の食べずに過ごしたらしい。4時過ぎにラ王の坦々麺を食べていた。みんなお昼も適当だったので、夕食は8時過ぎになってしまったが、恵里歌が卵焼きを作ってくれた。翼は応接間で掃除をし、ゴミ箱のほこりを見せて、「ありがたいでしょ」というので思わずありがたい踊りを踊ってしまった。
4月7日(日) 一昨日の晩、典子が怖いページを見つけて、恵里歌がそれを見てしまったため、「15年はお父さんと一緒に寝る」と言うことになってしまい、昨夜もへりつくばられて布団を落とされ、せっかくの日曜なのに寒くて5時前に目が覚めた。昨夜からミュージ郎で作り始めた「春の風」を完成させたので、トップページのBGMにする。ミュージ郎での処女作である。使い慣れてくると、すごいことができそう。ちなみに今年は音楽も教えるので、本格ピアノ伴奏譜の試運転。教材にもなる。
典子は育成会の用事があるので、私と4人子でチャペルに行く。今日は特別な会議もあり、日曜学校の打ち合わせもあって忙しく時間が過ぎた。午後の日曜学校は進級式で、今までの皆勤賞や精勤賞、努力賞の表彰などが行われた。友加里と恵里歌は欠席5回以内で精勤賞。佳緒里と翼は出席25回以上で努力賞。翼は呼ばれると大きな声で「はい」と返事できたが、紙飛行機片手に賞状をもらいに行ったのが減点だった。佳緒里も精勤賞をもらえるつもりでいたが、盲腸での入院があったのだ。それに風邪も引いたし。友加里は中学校が皆勤だったくらい健康だったのだ。
日曜学校が終わり、典子は長引いているというので、みんなで井野駅まで両親を迎えに行く。4時13分着のところ、早く着きすぎてしまったので、コンビニでアイスや飲み物を買い、戻る扉で翼がおでこにたんこぶをこしらえてしまった。ちょっとだけ泣いたが、「爽」のストロベリー味で冷やし、すぐに元気に跳び回れるようになった。電車は予定通りに着き、両親と無事再会できた。家について改めてご挨拶をすると、なんと私の昇進祝いまでいただいてしまった。感謝だが、恐縮である。
新たなBGMはもう一つの4月の教材「たんぽぽ」
我が家のVAIOには2台ともFDDがないので、まだまだ学校の仕事には支障を来し、外付けを1台購入することにした。8人で出かけ、そのまま翼入学式の前祝いもかねて、バーミヤンで夕食。明日はいよいよ翼がピッカピカのランドセルで登校である。私も式関係の進行があり、緊張気味。
4月8日(月) とうとう新年度、1学期が始まった。教務主任としてのデビューという感じで、入学式の司会進行や、いくつかの提案事項があり、興奮して3時頃目覚めてしまった。古いVAIOをもって応接間に行き、しばらく仕事し、一段落したので5時頃布団に潜った。そして、6時に再起。翼や恵里歌を起こして朝食をともに食べ、7時20分に出勤すると、2人の職員がおり、早速新クラスの名簿を玄関に貼って回る。そのほか校歌伴奏用のキーボードを出したり、放送の準備も忙しかった。やがて、新任式・始業式の後、担任の紹介があり、教務主任として紹介される。入学式ではプログラムを2つほど間違えてしまったが、なんとか初仕事をこなすことが出来た。
翼の方は1年3組で、担任の先生も決まり、暑い中這々の体で帰ってきたようだ。恵里歌も友加里もそれぞれ担任の先生が決まり、まずまずと言ったところ。
4月9日(火)

昨夜は翼のお祝いに「シチュー」を所望したのだが、今夜私はPTAの本部役員会でいないので、シチューは延期してもらい、8人そろってM’sに出かける。3時おきだったので、2度寝もしたが、9時前に寝てしまった。
今朝も恵里歌のおかげで3時に目覚めてしまった。今日の午後に予定されている教科部会の割り振りが宿題だったので、じっくりと取り組みエクセルで作成できた。そのあと、昨日典子や母がとったデジカメ写真から、HP用に切り取り作業をする。2度寝はなし。
    
なかなかの着こなしだが、集団下校では暑くてだれきってしまい、恵里歌に帽子をかぶせ、ランドセルを持ってもらうと元気になったようだ。
友加里も進級し2年1組になった。佳緒里だけは入学前のひとときを満喫してだれている。
 
夜の会議があるので、定時には帰りたかったが、次から次へと提案事項が生まれてきて、6時20分頃、かろうじて一時帰宅し、揚げたての天ぷらをほおばり、母が買っておいてくれた鶏飯を抱えて学校に引き返す。PTAの会議は10時近くまでかかり、長い1日となってしまったが、考えようによっては充実した1日で、長生きしているような気がする。
明日はいよいよ佳緒里の入学式。これで新年度の大型イベントはひとまず終了。この忙しい期間、私は小耳に挟む程度しかできなかったので、両親に来てもらって本当に良かった。
4月10日(水)

昨夜は友加里が用意してくれた布団で、友加里は足下に寝ていたので、夜中に1回蹴られただけで、割とゆっくり眠れた。それでも今朝は4時20分に目覚める。出勤もゆっくり目。1年生の担任の先生が休みなので、翼のかつての園友のいるクラスに出る。パワフルな子もいるが締めるところは締めて、楽しく半日過ごした。給食もたくさん食べられて、良いクラスだった。子供たちを保護者の待つあたりまで送って、理科室と音楽室の掃除監督をし、PTAの名簿作りを手伝い、6年生の理科のために種芋や種を買い出しに行く。さすがに昨夜遅くまで学校にいたので、今日は5時半頃には帰宅できた。
佳緒里は高校の入学式に、典子と出かけ、ブラスバンドの演奏が素晴らしかったそうだ。生徒も保護者も給食があり、典子はカレーがおいしかったそうだ。お祝いでこれから夕食に出かける。
    

翼の下校は、学校の近くまで両親がお出迎えに行ってくれた。今日はしっかり歩いて来たそうだ。

夕食はみんながそれなりに満足できるかっぱ寿司。平日の夜なのに、それなりに混んでいて、結構待たされてしまった。

 

 

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