「更新日記」2002年2月中旬号
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2月10日(日) 昨日は冬季オリンピックも始まった。前回は長野で、新幹線や高速道路など随分と便利になったものだが、今回は見るだけという感じ。典子の頭痛は治まり、元気になったが、今度は私の方が気持ち悪く、頭痛もしてきた。それも寝て起きるとだいぶ楽になっていたが、起きているとまた痛くなってくるので、とりあえず午前中の集会は欠席するつもり。明日も休日なので気は楽。
我が家のアクセス数も夜中に6000を越えた。6000番をゲットしたのは、茨城の母であった。
母からのメールを紹介するが、記念品はまたもや前回贈った物で間に合わせて下さるとのこと。
ソルトレーク冬季オリンピック開会式のニュースを見ながらまたもや 6000番をゲット・・・実は今日、公郎さんの日本書作院展の出品作品を三姉妹で見に行き 上野の森を散策しながら 「トドの壺」今日あたり「6000番が出るんじゃない? 夕べ私がアクセスしたら72番だったから・・・」と悦子さん・・・「あら! 私は 73番だったの・・・」と尚子さん・・・
東照宮の境内の菰を被った寒牡丹の花を緋毛氈の縁台で眺めながら話も弾みました。「今夜は まだかも?」 「この頃 カウントが早いみたいだから 分らないよ」そんな会話が 弾みました。が・・・・まさか まさか10時 オリンピックの聖火点火のテレビを見ながらゲットとは・・・これまた感慨深いものがあります。
毎日見ていても中々ドンピシャというのは難しくこの前は5001番でしたからね。
記念品は誕生日に頂いた茶香炉で結構です。この前もふくろう親子 今度もふくろう香炉 ふくろうコレクション可愛いいのが どんどん増えて嬉しいです。
2月11日(月) 昨日は結局起きると少しばかり頭が痛くなってくるので、午後も教会はお休みしてひたすら寝ていた。典子には悪いが4人を日曜学校に連れていってもらう。あちらでも、来週のスケート教室の準備等でかなり手張ったようで、5時頃みんな帰ってきた。今朝もゆっくりと朝ドラが始まるまで熟睡し、けだるくはあるが悪化はしていない。明日は西部教育事務所へ組合の第2回人事交渉に行かねばならず、その後も毎日何かしらの出張などがあるので、このまま治まってくれないと困るのだが。
今日は、亡き父の誕生日。健在なら76歳であるが、去年の今日はそんなことは考えもしなかったのに、去る者は日々に疎くない。なんだか最近、以前より父のことを思い出す機会が多いような気がする。自分も父親として子どもも成長し、立場が近くなってきたせいかもしれない。映画「ハッピーバースデイ」で、亡くなった「めぐ」の誕生日をみんなでお祝いするシーンがあったのが1番の影響だろう。お墓に行って、花でも手向けてこようかと考えている。人ひとりがこの世に生まれてきたということは、とても素晴らしいことなのだ。そのおかげで自分も存在するのだから。そして、人は死んでも、みんなの思い出の中で永遠に生き続ける。自分たちに与えられた数々の結果とともに。
9時頃朝食をとり、太郎に餌をやりに行くと、兄が切り落とした大量の桐の枝が目についたので、焚き火を始める。気がつくと2時間くらい経っており、汗びっしょりになってしまったので、入浴して着替える。その後火を見に行くと中心部だけ燃え尽きて周りに枝がたくさん残っていたので、かき集めて再着火。点字を打ち終わった典子もやってきて、落ち葉を集めて手伝ってくれた。お墓に行くのは午後になりそう。熱は平熱で朝食に辛い物を食べ、その後も汗をかいたのが良かった感じ。
焚き火の方は後半典子が見てくれて、私は情報教育主任会のホームページ作りの実習のために資料を探してインターネット。一太郎でもワードでもホームページが作れることを再発見したが、一太郎よりもワードの方がはるかに使いやすいことも発見。特別なエディタがなくてもホームページは作れる。2時頃には焚き火の方も収束し、やや遅いお昼だが、お墓に行く前にラーメン屋にでも行こうかと言うことになるが、3姉妹には「適当に食べてて良いよ」と行っておいたので、満腹で外食は無理とのこと、「こんな状態の時にばかりそんなことをして、卑怯者」と恵里歌は怒っていたが、かまわずに翼と典子と3人で「おおぎや」にいき、「酒のデパートヨシダ」で花束を買って、墓に飾ってきた。特に何もしないまま、3連休も終わってしまった。
我が家のハーボットもスター☆ゲートパスにしたため、ゲームが出来るようになった。ボーリングとオセロとエアホッケー。ちりぽんちゃんとたくさん遊んで欲しい。
2月12日(火) 3連休明けの、寒く厳しい朝。天気予報で最高気温が5℃くらいまでしか上がらないのを知り、がっかり。学校ではそれでも畑に行き、速攻でブロッコリーと蕪を1つずつ採ってきて、和風ポトフを作ってみた。体はほかほかあたたまった。
放課後は西部教育事務所に組合員の人事交渉で出かけ、群馬郡の番が終わったのが5時40分頃。帰り道に肉屋によって揚げ物を買った。翼が「カツ丼が食べたい」と言っていたのを思い出したからだ。恵里歌も空手に行く前に大好きなコロッケを食べられればと急いだが、帰宅してみると夕食をお代わりして食べ終わり、満腹になっていた。それでも、「別腹」と言いながら今川焼きを半分食べた。
昨日は3姉妹がそれぞれ手作りチョコレートを作っていた。翼は、「いよいよ明日はバレンタインデーだ」と勘違いしている。
さっき恵里歌が「雲泥の差」と「天と地の差」を混同して、「うんとちの差」と口走っていたと、佳緒里が喜々として報告に来た。
2月13日(水) 昨夜10時44分にかなりの地震を感じ、眠っていたのだが目覚めてテレビをつけてみると、茨城北部沖が震源地でマグニチュード5.5だという。協和町の家は相当揺れたのではないかと心配している。
朝、スケートの決勝を見た。清水選手は惜しくも2位で銀メダルだが、金と銅の2人よりも遙かに小さな体で、殆ど対等に滑ったのだから、素晴らしい。大和魂という感じ。
学校ではインフルエンザが少し流行っていて、なかなか本調子にならない。東校舎に欠席者が多く、劣悪な校舎の影響を否めない。クラブも5年生がいなかったので、かなりさびしかった。
幼稚園から園長先生お手製のアルバムがいただけた。翼の姿は、草履履きもあり、ギプスもあり、本当にいろいろあった1年だったが、一生涯忘れられない大事な1年だったと思う。まさに、大事な大事な思い出のアルバムである。2002年3月22日、あと40日足らずで卒園かと思うと、熱い物がこみ上げてくる。
2月14日(木)

今日はバレンタインデー。朝飯が終わると、典子と佳緒里と友加里から、チョコレートをもらった。恵里歌は忙しく、いつになく早く集団登校で行ってしまったので、もらいそびれてしまったが、帰宅するなり跳んできてプレゼントしてくれた。3姉妹はそれぞれ手作りチョコで、佳緒里はカップにもこだわり、かつてとは雲泥の差の出来映えで、なかなか光っていた。当然、本命がいたようだ。友加里のは一番味が良かったが、見てくれは肉味噌にマヨネーズがかかっているような感じ。恵里歌はトッピングのカボチャの種が多すぎてこぼれ落ち、友加里に「ほれ、餌だ」とか言ってつきつけていたらしい。
夕食後、佳緒里以外の5人で赤丸市場に出かける。私は主任会で使うフロッピーを買い、その後、トイザラスにまわり、「動物の森」のカードを探すが1日で売り切れ。2〜3軒のおもちゃやをまわっても、全部品切れ中であった。発売日に完売とは、すごい人気。
2月15日(金) 国府小の3組では、久しぶりに全員揃って1日を過ごせた。放課後は、主任会のホームページ作りの研修会資料準備。いろいろなホームページからの情報がとても役立つし、自分でも未知の分野に踏み込みつつある。もっともっと質の高いHP作りができそう。それから出張で、郡小教研理事部長会議に情報教育部長として出席。会議は4時から榛名5小で行われ、昨夜購入したフロッピーの領収書も提出できた。帰りには教育会館に寄り、明日の親子映画反省会や、3月2日の退婦教との交流会についての確認をした。さらに、箕郷の万寿屋で、子どもらの好きなカップ麺が復活しているのを発見。10個ほど買い込む。
帰宅すると、翼のお友達が来ていて、ゲームをやっていた。典子も昼間、昨日のカードを探しにいろいろ回ったようだが、メガマートでも即日売り切れで、渋川方面では入荷すらしていなかったという。無いとなると、よけいに欲しくなるのが人間の性だが、これから少しずつ出回るだろうから、気長に待つのが肝心。
佳緒里の家庭教師の時間は今日は6時で、丁度ティータイムと恵里歌の空手に送っていく時間がぶつかってしまったので、典子が送り、私がお茶を差し入れに行った。恵里歌の空手では我が家が鍵当番なので、早めに行って先生が来るまで待っていなければならないからだ。母屋では兄一家が夕食を始めるところだった。佳緒里の部屋が一番新しくてきれいなのだが、離れているので、そこまで行くのも何となく大変に感じてしまう。
2月16日(土) 今日は日直でもあり、帰りはいつもよりも遅くなった。数日前から、友加里が目を痒がっていたので、竹越耳鼻科でアレルギー療法の注射をしてもらうために、昼食がてら前橋方面に全員で向かう。昼食は恵里歌のお気に入りの、「かずさや」で、翼だけはカレーライスだったが、大人向けの量を9割近く平らげていた。他はかけうどんやもりそば、恵里歌はもりうどん。安くて早くて量があって、豆ご飯まで付いて満点。その後、3人は耳鼻科で受診。佳緒里は待合室まで付き合って、ゲームをして待っていた。翼は典子と大好きな中央児童公園で、くるくるサーキットや飛行機、ジェットコースターなどに乗り、大いに楽しんで、こちらが長引いているので、橋を徒歩で渡って待っていた。友加里はアレルギーの検査で、11本も注射を打たれ、ハウスダストや杉花粉に大いに反応。今回の説明は「10年間の不良債権がたまっているので、この注射でゴミ出ししましょう。」だった。
家に着くと、東京の三鷹から郵便が届いており、かつて33000番をゲットした「杉村画廊」から杉村さんお手製の絵はがきが4枚も、記念に送られてきていた。西洋の城や教会は荘厳で素晴らしい物ばかり。早々と送って下さり、誠実な人柄がしのばれる。典子が一番気に入ったのは、フランスのモン・サン・ミッシェルだそうだ。
5時半頃家を出てM先生を乗せ、高崎駅前の寿司屋に。その店の前に車を置いて、地下の居酒屋で2次会ならぬ0次会を軽くこなし、予定の時間になったので寿司屋で親子映画の反省会。共同映画社のHさんは、本当にいろいろな経験をされていて、映画製作の苦労と作品の真価を良く語ってくれる。ハッピーバースデイはとにかく素晴らしいが、ナウシカやラピュタもこの人たちのプロデュースで、宮崎駿監督を有名にしたのは自分たちだと語っておられた。すごい人だと思う。
2月17日(日)


4時頃一旦起き、メールチェックをすると杉村さんから、我が家のHPもご覧になった旨と、リンクを貼った事へのお礼が届いた。あちらにも「トドの壺」をリンクして下さるとのこと。この方も50年来のクリスチャンで、インターネットを通しての交流がますます広がり、感激である。
今日の日曜学校はスケートのため市内の「サンピア」に行く。恵里歌は前々から行きたがっていたし、3姉妹で行くはずだったのだが、佳緒里はドタキャン。自分が参加の申し込みをした記憶が無いという。翼ははじめから「なちゃけなモード」で不参加。参加したユカピーは前回よりずっと安定しており、長く滑っていたが、やがて氷のかすで雪だるまを作り始めた。混んでいたので大いに迷惑なのだが、やり始めると夢中になってしまい、こちらの制止の声も耳に入らない様子。私の方は日頃ローラーブレードで鍛えているのでさぞかし余裕で滑れるかと思ったら、初めはぎこちなくていらいらした。慣れるのに時間がかかり、ユカピーに抜かれる日も近い感じ。年を感じる。ミラーサイトに動画を掲載)
典子チームは先に帰宅していたが、こちらはみんなをチャペルに送ってから、帰宅するとき、2人にドーナツを頼まれたが、汗びっしょりで早く入浴して着替えたかったので却下。
ちょっぴり恨まれている様子。

恵里歌は派手なオーバーオールだし、友加里は自作の帽子をかぶっているので、2人ともとても目立った。
2月18日(月) 今朝起きたら、少し気持ちが悪かった。ただ、朝食も一応食べられたし、微熱程度なので出勤することにする。翼はやはり気持ちが悪くて、38℃近い熱。幼稚園を休んで、医者に行き、インフルエンザらしいと言われる。私も昼頃はダウン寸前で、給食ものどを通らず、そのまま放課にして帰宅し、医者に行こうかどうか迷ったが、寒気がひどいのでひたすら寝ていることに。そんなわけで、今日はこれが精一杯。明日には少しは良くなっていると期待しているのだが・・・
2月19日(火) 今朝になってもまだ37.6℃あったのだが、気合いと根性で出勤。少しずつ具合は良くなっているようだ。途中メールで典子が発熱したことを知る。主任会の進行も何とか済ませ、帰宅。ただ、翼は元気になって私が帰宅したときは外まで迎えに出てくれた。典子は何と39.4℃で寝ていた。急いで狩野外科に連れて行き、インフルエンザA型と診断され点滴。子どもらにはインスタントラーメンとコーンフレークで夕食を済まさせる。良く効く薬だというので、一応心配はいらないと思うが、元気になるまでは何とも言えない。胃腸に出ることが多いと言うから、私のも同じだったのだろうが、こちらもまだ治りきっていないのでいろいろ大変だった。恵里歌の空手は迎えに行くまで起きているのが辛すぎるので休んでもらう。
2月20日(水) 昨夜は典子の高熱に驚いて、ひとりでゆっくり休んでもらうために翼を引き受けて寝たが、寝相の悪いこと悪いこと。布団を蹴飛ばされて寒気がして、37.7℃までまた上がってしまった。しかも、炊飯器に米も入れてないし、朝5時半に起きてふるえながら台所仕事を始めると、翼が「ひとりじゃ怖い」と泣くので、友加里をたたき起こしてご飯の用意をしてもらった。米とぎとセットだけすると、友加里は再び寝たが、困ったときにはイヤな顔ひとつ見せずにやってくれるので本当に頼りになる。それにしても私の方は嘔吐下痢症が治まったと思ったら、再度の発熱でのども痛く咳も出るし、全く違う症状。メールチェックで母からとにかく医者に行くように勧められ、受け持ちの子どものひとりには医者から戻ってから登校させてもらうように頼み、もうひとりは開院時刻までに段取りをつけて、何とか午前中の授業だけはこなす。狩野外科ではインフルエンザの強い反応は出なかったものの、症状から疑いは十分あると診断され、おそらく嘔吐下痢症とインフルエンザ両方に同時にかかったのだろうと、両方の薬をもらう。久しぶりにお尻にも注射を2本された。その後は熱も37.4℃に下がり、暇をもらって家で寝ていると36,9℃、そして今は36.2℃である。とにかく効いた。典子など朝は35.4℃まで下がっていたのだそうで、一番高熱の自分が動き回っていたのがあほらしくなるが、熱だけではなく大変な事はたくさんあるので仕方がない。とにかく今は3姉妹以外の3人は平熱で元気になった。翼などは幼稚園は休んだものの、典子と一緒にシャロームにはきっちり行ってきた。
問題はカオピーで、佳緒里は微熱で休んだが、今は39℃近くあるという。間違いなくインフルエンザだ。恵里歌は学校で嘔吐して早退し、家でも吐いたらしい。友加里ものどが痛いというので多分インフルエンザだろう。ひとつ屋根の下でみんなかかっているのだから逃れようがない。佳緒里を早く医者に連れていきたいのだが、あいにく診察時間が終わってしまった。本人はけろりとしているので、明日の朝一で連れて行くしかなさそう。当然、終末の組合スキーツアーもキャンセル。

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