「更新日記」2009年12月上旬号 
2009年12月 5日11月下旬号はこちら バックナンバーもよろしく。
11月30日(月) 学校では教育相談が始まり、放課後はそれぞれのクラスに保護者が代わる代わる訪れていた。こちらも2名の予定だったが、後半の1名のみ。
12月1日(火) いよいよ12月に入った。アドベントである。教室の黒板にもアドベントカレンダーが張ってあり、窓をひとつ開けた。クリスマスキャロルも歌った。年の瀬のあわただしさや、第九の演奏会に向けての気負いもあるが、やはり1年の締めくくりをしっかりしなければと感じる。避難訓練も無事終了し、放課後はビデオを返しに消防署に行った。帰路は息子と三女を北駅で迎える。
夜は久々にJOYの合唱練習に参加。前半は楽しかったが、後半はさすがに疲れた。
12月2日(水) 穏やかで暖かな、いい1日だった。子供らの送迎は、妻が休みでみんなやってくれたし、体を十分に休めることも出来た。学校では畑に耕耘機をかけたら、結構暑くなった。運動不足を痛感。
12月3日(木) 学校では2件目の教育相談も無事終了。いよいよ来年度に向けていろいろな動きが始まる。
夜は高崎第九合唱団の練習風景の絵を描きに、筑井先生が来てくれ た。さすがにあっという間に2枚の絵を書き上げたが、実にいい雰囲気が出ていた。12月11日のタカタイに掲載される予定。
12月4日(金) 学校では朝のうちに大根を収穫し、午後、大根だけのおでんを作った。やはり物足らない味だが、大根そのものはやわらかくておいしかった。
夕食は三女が全員分のオムライスを作ってくれた。人参も細かくみじん切りにしてあり、手がこんでいてなかなかの力作だった。
12月5日(土) 市民クリスマスの日。午後市庁舎でメンネルと第九のダブルヘッダー。妻は幼稚園の表現発表会を見に行くので、会場まで送り迎え。三女もスカラーシップの説明会があるので、その送りもある。 三女は終わるのが遅く、ぎりぎりセーフ。こちらは衣装に着替えてから、きつくて座れなくなり、寒いところで3時間以上もたっていたので、頭が痛くなった。
12月6日(日) 昼には日曜学校劇のステージ練習を3回録画し、日曜学校の相談会と、下での練習。終了後は急いで高崎駅のヤマダ電機に行き、そのままワシントンホテルで第九海外公演の解団式。駆け足の1日だった。 解団式は、40日前の感動が鮮やかによみがえり、関係者への感謝の思いも高まる有意義な2時間だった。
12月7日(月) 週明けの多忙な1日。天気は良かったが、風が強く、校庭に出るのが結構厳しい日だった。
夜はメンネルの合唱練習。ピエロの絶妙な和音が心地よい。赤羽先生には、GTVへ出演しているDVDを差し上げた。市民クリスマスも入っているので、Sさんにも有料で譲り、Yさんから注文を受ける。
12月8日(火) 朝は妻が時間に余裕があるというので、三女の送りを引き受けてくれたので、余裕あるスタート。 息子は微熱で欠席。学校ではインフルエンザで延期になった、持久走大会がある。全員分の記録をパソコンにインプットし、記録証や表彰状をプリントアウトする係なので時間との争い。 午後は出張があって忙しかった。帰りは三女と一緒。
夜はJOYの合唱練習。オールデイズはなかなか楽しい。
12月9日(水) 学校では世界エイズデーにちなんでレッドリボンをつけるふれあい集会があった。英語の歌やゲームもコラボしており、なかなか斬新なアイデアだったが、発音がまるきりカタカナだったのが残念。
夜は妻の関係で、JHSという会社の説明会を受けに行く。キチンキトサンの素晴らしさは知っていたが、健康のみならず、経済的にも希望が持てる話で、軌道に乗れば明るい老後が迎えられそうだ。とにかく健康が大事だと思った。これからの半年でどれだけ健康になれるか楽しみである。
12月10日(木) 待ちに待ったボーナス日。とはいえ、クレジットでほとんど消えてしまうというか、足りるかどうかわからない不安もある。それでも、民間に比べて、まだまだ恵まれているので、無駄遣いをなくしてうまく運用したいところ。
朝は子供らを駅まで送って学校に向かう途中、ものすごく強引な信号無視おばさんがいて腹が立った。
いろいろな支払いは妻がやってくれて、夜は第九の合唱練習。いよいよ来週は最後の指揮者練習と本番だ。
 

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