「更新日記」2009年10月下旬号 
2009年10月 25日10月中旬号はこちら バックナンバーもよろしく。
10月20日(火) 何故か早々と空腹を覚えたので、4時間目にサツマイモとジャガイモの天麩羅をこしらえた。職員にも結構受けてよく売れた。勤務時間終了後に、組合の分会会議がある。
夜はJOYの合唱練習。高崎音楽祭で表彰される新曲を2曲覚えた。なかなかさわやかで楽しい歌だった。
10月21日(水) 妻が急な仕事で子供らの迎えのため、時間休暇を取って帰ろうとした矢先に、PTAセミナーの件で役員の方が見え、話し合いをすることになった。一番心配だった案件なので、帰る前で良かった。データについて、教頭に後は任せることにしたが、フォルダの場所がなかなか見つからなかったようで、迷惑をかけてしまった。
妻も、なかなか成果が上がらず、新人の中で人一倍動いているのに、ラッキーな成果が上がっている者に比べて気の毒に感じた。ただ、長い目で見て、苦労がどう生かされるか。厳しい時期ではあるが、希望を失わずにがんばって欲しい。
10月22日(木) いよいよスロベニアに向かう前日。昨夜は遅くまで準備をしていて、今朝は起きるのが辛い。学校でも、自習課題の作成や、小さな会議に追われる。帰宅して、猫のトイレを掃除し、息子の夕食を作り、そうこうしているうちに、第九に行く時刻になるが、さすがにいろいろやることもあるし、万全を期したいのでレッスンは妻と三女に任せて、こちらは休む。まだまだ不安ではあるが、出たとこ勝負で行くしかない。
10月23日(金) とうとう決戦の日は訪れた。めちゃくちゃ眠いのだが、2時頃目覚めてしまった。バスでも飛行機でも、いくらでも寝られると思って起き出す。この日記も、パソコンを持っていって、現地で更新するつもりだが、LANが繋がるかどうか。帰国してからのアップロードになる可能性もある。とりあえず、飛行機で出発するまでは、掲載したい。
10月24日(土)
ローマ23〜24日
ローマではまだ23日の夜11時だが、日本では朝6時のはず。長い長い13時間のフライトを終えて、ローマの空港にたどり着き、這々の体でプレジデントホテルに到着。カードキーがうまく作動せず、部屋に入るのも一苦労。早速LANの差込口を探したが、見つからず、がっかりしているときに、同室のIさんがケーブルを見つけてくれた。喜んで接続したら、なんと有料。1時間7ユーロで24時間14ユーロなので、思い切って24時間をSUBMIT。
夜中にまた2時間ほど起き出して、ネットと写真整理。三女から「寝ろ」とメールへの伝言。
朝は5時からおきて、6時半に朝食。そのままコロッセオまで散歩。7時過ぎても真っ暗なので驚いた。
10月25日(日)
ローマ24〜25日
午前中はバチカン市国。サンピエトロ寺院はものすごい人の数で、知らないうちに迷子扱いされていた。午後は真実の口とトレビの泉とスペイン広場へ。夜は荘厳ミサ曲の鑑賞。夕食はペンネとビーフステーキ。写真等は高崎第九合唱団ホームページ掲示板に掲載。
昨夜からイタリアのサマータイムが終わり、時間差は8時間送れになった。日本では日曜日のお昼1時、こちらは朝5時を迎え、いよいよ1日のスタート。聖地アッシジへのツアーである。
10月26日(月)
ローマ25〜26日
今日はいよいよスロベニアに移動するので、バッゲジダウンをしなければならず、ネット接続も切れる寸前。スロベニアで更新できるかは、まだ不明・・・
時間が無いことなどお構いなしにA先生の散歩のお供
10月27日(火)
SLV26〜27日
スロベニアとイタリアの国境付近では、北欧風の真っ白い壁の家が多かった。紅葉も真っ赤な蔦やツツジが目立つ。首都リュブリャナは信じられないほど近代的でモダンで、それでいて威風堂々としたすばらしい町並みだった。シティホテルは建築されて間もないようで、どこもかしこも光り輝いて見える。設備もサービスも最高級で、ハイテクの極み。こんな部屋で過ごせるなら、移住したくなってしまう(もちろん家族で)。ネットも完備だが、mixiアプリは出来なかった。まあ、これ以上の贅沢を言ったら罰が当たりそう・・・
昼間はアルプスの宝石といわれるブレッド湖の散策。夜はいよいよオーケストラとのリハーサル。 朝はサマータイムが終わっているのに、部屋の時計が直っていなかったため、1時間以上も前から食堂の周りをうろうろする羽目になった。朝食はローマのホテルの3倍くらい食材が多くて、ハムを全種類食べようとしたら、それだけでお腹がいっぱいになった。食後はやっぱりA先生の散歩のお供。毎日一人ずつ増えていくが今度はFさん。公演会場であるツァンカルドームまで行ってきたが、急いで小走りになったので汗をかきすぎて蕁麻疹が出た。
10月28日(水)
SLV27〜28日
昨日のブレッド湖は丁度紅葉の榛名湖のような感じだが、ブレッド島の教会や、岸壁の上のブレッド城、回りに見えるアルプスの山々などが、さらに美しさを際立たせていた。島には手漕ぎのボートで渡り、マリア被昇天教会でパセスリシと赤とんぼを歌った。昼前後には近くの会議室で日本の歌と第九のレッスンを一通り。小さなキーボードしかないので、第九は音がとりにくかった。
リハーサルは、指揮者も日本人、ソリストもアルトを除いて日本人。親しみを感じる構成。バスが特に、人間とは思えないくらいすごい声で、最初の一声で度肝を抜かれた。現地の歌の助っ人は若いのに、あまり声が聞こえなくてA先生から苦情を言われていた。指揮者とは、タイミングがなかなか合わなかったし、オーケストラの音が大きすぎてこちらの声がかき消されていた。なんだか自信を失うリハだった。しかも、急いでホテルに帰ろうとして、みんなより早く歩いていたら、三本橋の広場で方向を間違えたらしく、道に迷ってしまった。辺りは街灯もまばらで、目印になる建物もわからず、時計の方位自身だけを頼りに、とにかく三本橋まで戻ろうと思い、1時間近くさまよってしまったが、何とか帰還できてほっとした。
今日は市内観光と、午後は会場でのレッスンと、夜はいよいよ日本の歌と第九の演奏会。昨日の疲れで、のどが痛かったが、とにかく寝ることに集中したため、目覚めると何とか回復してきていた。
10月29日(木)
SLV28〜29日
朝は結構ガスっており、ロンドンみたいだ。 今朝の散歩はなんと、お供が私一人。 昨日散々迷ったので、今日はかなり慣れた道。 Sさんは咳が出るというので外出なし。 A先生についていくと、珍しいものに遭遇できるが、
今朝はバザールにたどり着いた。安い上に品揃え豊富、おまけもしてくれてラッキーハッピー。
午前中は歩いて市内観光。 ガイドさんの説明で、歴史の一端を知った。 結局、バザールにはみんなで行ったが、今朝、顔なじみになった店もあり、いい感じだった。 ホテルでは昼飯前のイメージトレーニング。 A先生がみんなののどを気遣って、声を出さない練習だった。 そのままホテルで昼食になり、午後は一休み。 そして2時15分にロビーに集まり、バスに乗って、いよいよコンサートの会場へ移動。会場は入り組んでおり、控室からは誘導がないとトイレぐらいしかいけない。 フィルのみんなが並んでいるステージに立ち、立ち位置と出入りを確認。
私は中央部分の2列目。 始めはエキストラが後列にいたが、リハーサルであまり歌えていなかったので、間に織り交ぜることになる。
別会場でレッスンをし。第3楽章からまたステージに戻ったが、入りに時間がかかりすぎるので、第1楽章からステージに入ることになった。こちらはその方が全部聴けてうれしいのだが、うとうとしないとも限らない。スロベニアの背の高い若者に挟まれる形になったが、最終リハーサルは、なかなか良くなった。控室に戻り、ひたすら時間を待つ。その間、エキストラはA先生の地獄の特訓。帰ってきたので、一緒にスロベニアの歌を歌い盛り上がった。自分たちの歌も披露してくれたが、素晴らしい歌唱力だった。いい雰囲気でステージに臨めそうだと確信した。7時15分に袖に入り整列。客が一人もいないのでびっくりしたが、ホールに入るのを待たせているらしい。やがてちらほらと客席に人が入るが、なんだか少ない感じでちょっと落ち込む。でも、開演前には7割がた入った。
いよいよステージに移動。1階席は9割くらいいる。いい感じだ。まずは日本の歌のコーナー。「さくらさくら」と「ソーラン節」は着物の踊りが見事だった。「大地讃頌」は落ち着いて歌えた。「スロベニアの歌」は最初から大うけで、拍手が沸き起こり、歌い終わった後も、いつまでも拍手が鳴り止まなかった。アンコールの赤とんぼがなかなか歌えない始末。うれしい誤算だった。
いったん退場し、オーケストラ入場の後再びステージへ。今度はエキストラも一緒だ。第3楽章で案の定うとうとしかけたが、何とかこらえた。そして、第4楽章。7分ほど過ぎていよいよファンファーレ。満を持して立ち上がり、バスの詠唱を聞く。そして、フロイデ。いい感じの滑り出しでどんどん進んでいった。エキストラもがんばっている。大きな一体感に包まれる。いよいよクライマックスを迎え、最後のオーケストラの後には体中がしびれて鳥肌が立った。鳴り止まない拍手に喜びをかみしめる。周りのエキストラとも握手をかわす。
退場すると、そのまま親睦会場に。ふんだんの料理と飲み物、大勢の貴賓もおられた。しばらくの歓談の後、団長のスピーチや指揮者・ソリストへのプレゼント。出し物も始まった。折り紙コーナーや習字コーナーもある。尺八とギターの演奏もある。片言のスロベニア語を取り入れた人形劇もあった。意味が通じているのか、スロベニアの人の中に笑いが起こる。茶道の披露もあり、客になったスロベニアの人は正座に困っていた。そして、日本とスロベニアの歌合戦開始。会場を巻き込んで大いに盛り上がり、日本大使を囲んでのふるさともあった。最後はみんなでスロベニアの歌。大きな円陣も出来たが、撮影の私は円の中に取り囲まれてしまい、ぐるぐる回りながら撮影する羽目になった。心地よい疲労感と陶酔感の中、宴は終了。
大使の見送りの中、ホテルに戻り、Mさんから頼まれた文を打ち込んでメールとして第九に送信。後は入浴もせずにぐっすり。
10月30日(金)
SLV29〜30日
朝はツァンカルホール前のポスターを撮影するために3人で出かける。 ホテルをはさんで反対方向の駅にも行くことになる。 駅前のスーパーでダイエットコーラとサラミが信じられないほど安く売っていたので購入。 その後あわただしく出発。 3日間快適な思いをさせてくれたシティホテルを後にする。
午前中の見学は、ポストイナの鍾乳洞。 トロッコ電車で奥まで進み、その後は歩き。 とにかく広い。 ポストイナの鍾乳洞は、大小あわせて6000以上もあるらしく、繋がっているものもあるようだ。 昼食は音楽の村。アコーディオンと踊りで歓迎され、おいしい手料理を戴く。 民族資料館で、昔のいろいろな道具も見た。
午後はいよいよ地元合唱団との合同練習。 女性のほうがやや多いが、20名くらいで素晴らしい声だった。
6時半開場で7時開演。 200ほどの椅子がほぼいっぱいになり、 始めに地元の若者たち、次に私たち、最後に合同で歌った。 気持ちよく、心を込めえて歌えたと思う。最後の最後に歌ったスロベニアの歌はやはり大うけ。 鳴り止まぬ拍手と、指揮者やピアニストへのプレゼント。 そして、すぐに始まった親睦会は、 初めのうちこそ距離があって、それぞれの国で固まりがちだったが、 いろいろな出し物をしていくうちに打ち解け、 アコーディオンの音で踊りが始まると、収拾のつかない大騒ぎになった。傍観しているうちは引いたが、一緒になると楽しい。 最後にまたスロベニアの歌を歌ったのだが、その後も踊り始め終わりそうに無くなってしまったので、ガイドさんに締めてもらった。 心地よい満足感でホテルに戻り、部屋でも宴会。 こちらは片付けもせず、寝てしまった。
10月31日(土)
EUR30日
ポストイナのホテルはバスタブも無く、4人部屋なのでかなり窮屈ではあったが、気の置けない仲間なので楽しく過ごせた。いつもは遅くとも5時前には起きていたのに、今朝は5時45分起床。トイレの後で軽くシャワーを浴びて着替え、荷物の整理。7時から朝食で、7時半バゲージダウン、8時20分には出発しなければならないので、恒例の散歩はなくなったが、A先生は朝食前に散歩していたらしい。
Yさんのお見送りの下、トリエステ空港に移動。ガイドさんたちとも別れて、AirOneの飛行機に乗る。例によってスーツケースのチェックに1時間以上かかる。ちなみに2人で41kgだった。手荷物検査は軽くパス。Iさんに借りたバッグは11.8kg、リュックは6.4kgと重くて大変。スーツケースが29.1kgのFさんもパスしていたので、スーツケースに塩チョコなどを入れればよかったと思った。 飛行機は11時25分に出発するはずだったのに、1時近くになってようやく空港入りし、1時間半ほど遅れて出発。ローマでの成田行きまでの乗り継ぎ時間がかなり厳しい状況になった。途中はぐれてしまった方が2名おり、何とか復帰できたが、みんな肝を冷やした。国際線までの道は遠く、重い荷物がつくづく恨めしかったが、歯を食いしばって運んだ。
飛行機の座席は、来るときとほぼ同じ配置。今回はインタラクティブのスイッチが入らず、洋画を見てすごす。スポーツ事務のオーナーが、ラスベガスのドッジボール大会に出る作品で、なかなか面白かった。何度かうとうとしながら、2回の食事とおやつをはさんで、11時間半のフライトは終わり、成田空港に到着。成田からはバスで藤岡まで。途中、三芳SAでラーメンとカレーのセットを食べた。
そして妻の迎えで、ららん藤岡から自宅まで。Y君も来ていて、みんなに帰宅の挨拶。後はビデオの編集開始。
 

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