12月20日(土)
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昨日の午後は37.6℃がピークで過ごしやすく、夜もよく寝られた。今朝も37.6℃がピーク。どうやら峠は越えたようだが、今度は咳がやたらと出る。やっと普通の風邪に移行したと言う感じ。今日は高崎のメモリードホールで土岐兄の召天式だが、まだ人混みは無理。典子ひとりで行ってもらうしかない。
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12月21日(日)
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昨日の午後は熱も下がっているので歯医者に出かけたが、外はものすごい風と雪、まさに吹雪である。加納歯科医院はハイテクで素晴らしいところだった。虫歯よりも歯槽膿漏の方が心配なので長期の治療になりそう。帰宅すると寒かったせいか、また発熱してしまった。今度は38.4℃まで上がり、大変だった。
今朝は一面の銀世界。まだ熱が下がりきっていないのだが、灯油が切れてしまったので厚着をして出かけたりする。お昼には熱も37.0℃まで下がったが、夕食会はどうなることか。明日は学校の納め会もあり、幹事長なのだが参加できるかどうか微妙なところである。それにしても足かけ6日間熱が出ていたのは20年ぶりくらいだと思う。何故今年に限ってこんな風邪をひいたのか。どうも環境が変わった年に多いような気もする。
典子は上毛カルタ大会の審判。本当は今年度の役員ではないのにかり出されてしまった。友加里はふだんよりは早く起床して雪だるまを作っていたようだ。
午後はさらに36.6℃まで一旦下がったが、また少しずつ上がってきている。明日こそは出勤したいのだが・・・
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12月22日(月)
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またまた職場復帰。暖かい職員室で研修と事務処理に専念。午後はパトロールの後、板垣クリニックで小さな点滴を受け、薬をもらう。夜はいよいよ2学期の納め会&クリスマスパーティ。同じ幹事のM先生と並んで座っていたら、「石塚とパパイア(でぶ屋)みたい」と大受け。イタリアンレストランでの食事はクリスマスにぴったりの雰囲気で、オーナー達の心遣いも一級だった。ビンゴも楽しく、なかなかの品物がそれぞれに当たった。2次会は3人しか残らなかったが、じっくりと話が出来た。帰宅して、熱がなかったら風呂に入ろうと検温すると、35.4℃しかなかった。下がりすぎである。喉が痛く、咳が出るが、熱がないので大助かり。久々の入浴だった。
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12月23日(火)
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終業式前の微妙な祝日。来年度からは2期制になるため、もうすでに冬休みに入っているはず。相変わらず喉は痛く、痰が絡んだり咳が出たりはするものの熱は平熱で、お昼には貴族の森に外食して、牡蠣ドリアを食べる。後はひたすらビデオやテレビ鑑賞と読書。特に北の国からの旧作も鑑賞。懐かしい時代を感じた。明日は終業式でみんな通知票をもらってくるが、けっこう恐怖である。
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12月24日(水)
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2003年最後の出勤日。早朝からリサイクルに行き、学校ではHPのたまっていた部分の更新を8ページくらい手がけた。終業式と給食と大掃除の後は、5時過ぎまでみっちり職員会議。最後に健全育成のための手紙を近くの書店に届けて任務完了。レジにいた女性が「外処先生?」と声をかけたが、店を出た後にそのお店の娘さんで、理科を教えたことがあったのを思い出した。小学生は大人になるとずいぶん雰囲気が変わるものだ・・・
チャペルでもクリスマス会があるが、まだ風邪も治りきっていないので我が家でクリスマスパーティ。典子がチキンやポテト、マドレーヌなどいろいろ用意してくれた。
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12月25日(木)
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冬休みのスタート。ユカピーはお昼近くまで寝ていた。こちらはあまりの喉の痛さによく寝られなかったのでクリニックに行き、点滴をしてもらったが、アレルギーがあるので鎮痛剤は使えないとのこと。風邪そのものが早く直るように、ビタミン剤を入れてもらい、前の薬に抗生物質と消炎剤を追加して終了。1日中咳き込んではいたが、痛みはだんだん薄らいできた感じ。午後は歯医者に行って歯垢の除去。20年近く気になっていた下の歯の裏側もきれいになって気持ちがいい。
夜はみんなでたこ焼きを焼いたが、恵里歌が「クリスマスらしくねえ」とぼやいていた。25日も日没を過ぎればクリスマスではないので、これでいいのだ。
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12月26日(金)
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喉と咳はまだまだ直らないが取りあえず熱はないので、典子と翼を連れて太田のイオンショッピングセンターへ。2Fにはイオンシアターがあり、典子が楽しみにしていたディズニー映画「ファインディング・ニモ」を鑑賞(クリスマスプレゼント替わり)。道路は工事中の場所があって渋滞に巻き込まれたが、幸いホールは空いていたので予定していた時刻にすんなりと見られた。その後はショッピング。ライチタイムにギリギリ間にあってFGで昼食。朝10時前に家を出て、帰宅は6時を回ってしまった。
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12月27日(土)
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午前中は寝たり起きたり、テレビを見たりして過ごす。お昼は茨城の両親を迎えに井野駅に。雪の影響でダイヤが乱れた、新治駅でしばらく待たされたようだが、連絡が上手く行ったおかげで、予定より少し早めに到着されたようだ。昼食を買い込み、みんなで食べてから、午後は典子と母で買い物。帰宅してすぐに今度は私の車で3人でメガマートとコジマ電機に。Lモードの電話機と、ノートパソコンを購入。明日は伊香保でお楽しみだが、旅館でDVDの鑑賞をする予定。
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12月28日(日)
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午前中は典子だけチャペルの礼拝に。私は学校の保護者のご不幸があり葬儀場に顔出し。
11時半頃、8人そろって伊香保に出発。途中、榛東村の「夢屋」という、ピザと焼き物の店による。ギャラリーには数々の陶器が飾られていた。飲食はピザとケーキだけの軽食。雰囲気も味も良かったが値段も良かった。チェックインまでに時間があるので、雪の積もる道を榛名湖まで走る。湖畔の食堂で2度目の食事。翼はカレー、他はラーメンや定食など。ストーブがたかれてはいたがかなり寒かった。食事を済ませるといよいよ伊香保温泉のホテル天坊に。まだチェックインまでに40分あまりあり、ロビーはごった返していた。
3時5分前に、受付順に呼ばれ、部屋に案内される。二間続きで角部屋であり、北と西の眺めが良かった。1回目の入浴は岩風呂。翼と父と3人で出かける。夕食は6時から船尾という会場で。大人の料理では、アユのホイル焼きがなかなか良かった。子供もエビフライやステーキなどなかなかリッチ。最後に煮込みうどんが出たが、さすがに食べきれなかった。夕食後は「天晴れの湯」に入る。雪景色の庭園が見える畳の渡り廊下が見事だった。
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12月29日(月)
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朝食前に天晴れの湯に行き、7時50分頃バイキングに出かける。8人がけのテーブルを陣取っておいたのに、3姉妹は別の場所で食べていたようだ。翼は少ししか食べずに何故か突っ張っていた。その後、翼も入浴に行く。チェックアウトは10時20分頃で、ハルナグラスと地球屋に寄って帰宅。ハルナグラスでは念願の天然石のループタイをゲット。そのほかにもいろいろ面白いものがあった。地球屋では和服が3着で1000円。演劇部の衣装にはうってつけ。コーヒーもただで飲めて、超お得な気分に。2日間のいろいろな写真はミラーサイト2の写真ニュース12月号に掲載。
午後は、母と典子で買い物をして過ごし、4時頃の電車で茨城に帰ってゆかれた。7時頃には無事に着いたとの電話があったが、雅志君と同じ電車だったようだ。車両が違ったため、お互いに駅に着くまで気づかなかったらしい。
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12月30日(火)
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昨夜というかギリギリ今日の日付になる頃、年賀状が完成した。デスクトップのVAIOの方は、一太郎との相性が悪く、変換も遅く、すぐにフリーズしてしまうので、新調したMebiusの方で作成とプリントアウト。おまけにプリンタも不調でインクのにじみやかすれがどうしても取れなかった。それでも約200枚を印刷し、宛名の追加入力と選別とプリントアウト。必要に応じて肉筆でコメントを入れて完成。さすがにすぐに出しに行く気にはなれず、今朝、妻と二人で最寄りの集配所を持った郵便局に投函してきた。(出がけに寝坊してバイトに遅刻している佳緒里と気まずい雰囲気に・・・)
そのまま、メガマートと酪菜館で買い出し。お正月の準備も着々と進んだ。初売りの荷物もいろいろ並んでおり、正月のショッピングが楽しみ。
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12月31日(水)
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2003年の最終日。何故か1日中眠くて、夕方まで寝たり起きたり。昼間は灯油を買いに行っただけだった。そして、夜はレコード大賞や格闘技や紅白の鑑賞。3姉妹は2Fで、他は1Fの和室で、それぞれ全員起きたまま新年を迎えた。取りあえず「謹賀新年」なのだが、寝て起きて日の出が過ぎて、本当の新春だと思う。
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