「更新日記」
2002年
8月下旬号
2002年8月
25日(日)
30日(金)
8月中旬号
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ちりぽん日記もよろしく。
8月20日(火)
今日はプール当番の日。しかし、朝から涼しい風が吹き荒れている。とてもさわやかで気持ちよいのだが、「こんな日にプールにはいるのはちょっと。」と思いつつ出勤。午前中の当番のはずだが、仕事の都合で午後と交代。少しは暑くなるかと思いきや、涼しいままであった。仕事はパワーポイントで6学年分の紹介を編集すること。最高に楽しい仕事だった。昼食に一旦帰宅し、午後はプール当番とプレゼンテーションの準備と時間割の調整。
1時間年休をもらって教育会館へ。退職された先生方の組織の執行委員さんたちと懇親会。予定時刻を30分ほど回って終了したが、なかなか充実した時間であった。最年少で71歳という面々で、気迫はすさまじい物であった。
仕事一辺倒の1日だったが、とうとう8月中旬も終わる。明日は登校日で、研修もたっぷり待っている。教務主任としては、ちょっとばかり憂鬱。
8月21日(水)
昨夜というか今朝、恵里歌は2時半までかかって宿題をやっていた。こんなにがんばれるのかと感心。しかも、今日は登校日で恵里歌は6時40分頃起きて集団登校できたが、翼が気持ち悪いという。仕方ないので送っていくと、発熱してしまったようだ。朝はおでこを触っても熱くなかったので、前兆だったらしい。かわいそうなことをしてしまった。それでも今は食欲も出てきたようだ。
私の方は翼を送ってから出勤し、PTAの実行委員会資料作りに追われる。集団下校の指導もあり、人権教育のビデオ鑑賞もあって午前中は終わり。一旦帰宅して昼食をとり、午後はまた学校へ。今度は企画委員会と研修推進委員会。さらに5時20分から健全育成のパトロール。丁度8人だったので私のノアで校区内を巡回する。そして、また一旦帰宅し夕食を食べてから、PTAの実行委員会のために学校に戻る。折角のカレーは作っている途中なので間に合うかどうかの瀬戸際。昨日に引き続き、超ハードな1日である(現在進行形)。それほど遅くなく帰宅できれば、8月下旬のページとしてさらに更新する予定だが、遅くなったら以降は明日更新する。
実行委員会は思いの外早く終わったが、本部役員の方々が遅くまで頑張っておられたので、こちらもその間に学校のHPを更新したり、理科の自由研究をしてきた立派な6年生のリストを作成したりで10時半まで学校にいた。まあまあ元気なので予定通り更新。ただし、BGMまでは作れない。
恵里歌と友加里は「東京庭付き一戸建て」を見るために起きていた。
8月22日(木)
今日は町内の小中学校7校の先生方による、生徒指導会議が開かれた。全員ではないが、全部で8〜90名の先生が参加したと思われる。会場は中央公民館で、簡単な全体会の後で小学校5校の校区ごとに分科会が持たれた。休憩時間に自販機で飲み物でもと思ったら、何故か撤去された後で、主催者側からはお茶の缶飲料も出ず、トイレの水くらいしか飲み物がない。朝は涼しくエアコンも効いているため、どうしても我慢できないほどの乾きではないが、なんだか腹が立った。
午後は年休で、昼寝などしてのんびり過ごす。4時過ぎに榛名町のパワーセンターや箕郷町の万寿屋で買い物。
明日から2泊3日で茨城に向かう予定。佳緒里は部活に出てから行きたいというので午後出発する。明日の午前中はこちらで更新できるが、明後日は茨城なので、ノートパソコンにデータをダウンロードし、今ノートから更新している。
8月23日(金)
佳緒里と亡き母
今日は佳緒里の16歳の誕生日。ある人が「誕生日は2番目の母の日だ」と言っていたのを思い出した。人が決めた母の日より、ずっとずっと自分にとってかけがえのない日であろう。誰でもみんな母親から生まれた。みんな苦しい辛い思いを乗り越えて生んでくれたし、育ててくれたからこそ今の自分がいる。典子の初めての陣痛は微弱で長かった。もう昨夜から苦しみだして、今日の午後4時頃の出産だった。下館市内の小松崎産婦人科である。まだそのころは、性能のいいビデオもなく、暗い分娩室は写せないので、ラジカセで産声(実際には泣かずに生まれてきたが)だけ録音し、生まれたところは写真に撮った。その後の病室の様子は、わずかながらビデオに撮ってある。このころは私の両親も健在だった。病院と退院後の典子の実家に来てくれたのを思い出す。母は佳緒里の1歳のお誕生の頃はすでに虫の息だったが生きていてくれた。看病の合間の、3人だけの寂しい誕生日も思い出す。一人一人の誕生日は、「めでたい」だけでなく、「ありがたい」ものなのだなあとつくづく考えさせられる。あと1ヶ月半の間に、まもなく友加里の誕生日となり、私の誕生日、そして、恵里歌の誕生日が巡ってくる。
佳緒里は早々とやってきてネットをやり、学校の部活に出かけていった。その帰りを待って、予定通り茨城に向かう。今後の更新は茨城に着いてからになるだろう。
佳緒里がことのほか早く帰宅したので、あわてて準備し、11時頃出発。途中、太田のフライングガーデンで食事し、小山のジャスコでしばらく遊び、4時頃協和町に到着。翼は車中でもゲームがやりたくて大騒ぎしており、ついたとたんに始める。
8月24日(土)
茨城でのさわやかな朝を迎えた。とは言え、佳緒里以外の5人でゴロゴロと寝て、夜中には大雨がものすごい音で降っていたし、蚊にも刺されまくったので、5時半頃目覚め、朝風呂をいただく。
朝御飯は軽く済ませ、典子と2人で、下館チャペルの小島寛三さんの所に、亡くなられた奥様のお悔やみをかねて出かける。息子さんと3人暮らしだったのが2人暮らしになって心底寂しそうだった。息子さんもウサギや野良猫が生んだ子猫を可愛がっていた。津田家に戻ると英郎さんとようこさんご夫妻が見えておられた。学校談義等が続き、近くの食堂に昼食にご一緒する。なかなかネタがよい美味しい店だった。
一寝入りしてから、夕食もかねて下館市内散策。本屋やもうすぐ撤退するサティーに行き、夕食は白木屋でカラオケを歌いつつ。
帰宅して花火を楽しむ。これから塚田さんご夫妻も見える予定。
写真2
写真3
8月25日(日)
昨夜は塚田さんご夫婦が来られ、11時頃お見送り。今朝は、ノーマット蚊取りをセットしていただいたおかげで、ぐっすり休むことが出来、7時から帰宅のための荷造りを始める。午後2時から日曜学校のお楽しみ会があり、恒例のかき氷担当なので、削氷機を借りに行ったり、その他の準備をしたりと余裕が欲しいのでなるべく早めに出立することになった。典子がおにぎりを作り、朝食をとらずに全員で8時に出発。車中でおにぎりを食べたが、満腹には至らず、懸案であったデニーズに寄ろうと言うことになる。ただ、足利にも見あたらず、桐生のデニーズによりこむ。9時半だったのでモーニングメニューしかなく、翼の好きなチャーハンがない。一応聞いてみると作ってもらえることになり、一件落着。
12時10分前に帰宅し、荷物を片づけ、一休みしてからチャペルに。5人を下ろして、日本一商会で削氷機とダイヤ氷4貫を購入。イチゴ、メロン、レモンとコーラの4種類で作り始める。福音集会に出ている方々にも振る舞い、一段落したので、幸楽苑でラーメンを食べて帰宅。今に至る。
8月26日(月)
今日は残りわずかな夏休みを満喫するため1日年休をもらってある。朝は典子が育成会のラジオ体操担当なので、私も5時起きして準備を済ませ、恵里歌と翼を起こし、ラジオ体操の会場である観音様の境内に。今までは第2までやっていたらしいが、私も手伝いつつ、独断と偏見で第1だけで済ませてしまった。そして、朝食をとってから免許の書き換えのために、高崎交通安全協会に8時15分につき、8時半からの受付で9時には終わってしまった。即日交付は待ち時間がありそうなので、4週間後の受け取りにしたからだ。心配だった視力の方も、裸眼で簡単にパス。眼鏡は使わずにすんで良かった。
恵里歌の「どうしても牛の乳搾りの体験がしたい」という、たっての願いを実現するため、かねてから約束していた伊香保グリーン牧場へ思い切っていくことにしたが、友加里は一人で家に残るという。10時頃出発し20分程度で到着。10時半の乳搾り体験に辛くも間に合った。翼もするはずだったのだが、しりごみ。次にはポニーの乗馬体験で、これも翼のドタキャンで急遽佳緒里が乗馬。やがて気を取り直した翼は馬の方の乗馬が出来た。続いては、ソフトクリームやチキンサンドなどをほおばりながらシープドッグショーと羊の毛刈りを見る。牧羊犬の動きもニュージーランドから来られた青年の手並みも見事であった。最後に典子と翼で馬車に乗ってから、グリーン牧場をあとにする。短時間であったがなかなか充実した体験だった。
昼食は渋川市内の「中華のほっぺ」という佳緒里が発見したレストランで、佳緒里の一押しの杏仁豆腐等も賞味する予定だったが、間の悪いことに臨時休業。友加里と合流して群馬町に近い「利伸」で昼食。トイレを争って佳緒里と恵里歌がすさまじい戦いを繰り広げ、一同鼻白む。万寿屋の「靴投げ事件」に劣るとも勝らない低次元の争いであった。
その後、削氷機を返しに行きつつトイザラスにより、私は赤丸市場でパソコンのサプライ用品を購入。帰宅して昼寝し、今に至る。
8月27日(火)
朝はなんだか眠くて、子供らをラジオ体操に送り出したあと、朝食と同時に朝ドラを見、一寝入りすると、11時頃まで寝入ってしまった。
午後はプール当番だが、台風の影響で雲行きも怪しい中なんとかもって、8名だけ児童が来た。平泳ぎの足と手のレッスンをしたが、結構疲れた。その蹟は時までデスクワークをして帰宅。
夕食後は典子と一緒に恵里歌を空手に送り、そのままドライブをする。結局メガマートやミニストップで買い物になってしまったが、9月7日に海釣りに出かけるための網や釣り竿が手に入って良かった。
8月28日(水)
恵里歌と友加里はなんと徹夜でインターネットをしており、こちらも安眠できなかった。台風の影響も少なく、天気もまあまあなので、予定通りラジオ体操の当番と、リサイクルまであった。典子は旗振りで早めに出かけ、恵里歌はリサイクルの手伝いで6時には眠らぬままでかける。私も翼を起こし、リサイクルの品物を出しながらラジオ体操の会場へ。なかなかハードな朝であった。
朝から1日勤務の予定だったが、母の命日なので午前中は年休をもらって、花を買い、墓に飾りに行く。翼と典子が一緒で、「たわらや」で食品もついでに購入。花が結構きれいなので、お墓の写真を撮ってアップしようとも思ったが、気味悪がる人もいるといけないので断念。代わりにどれみさんからいただいたメランポディウムの花を載せ、在りし日の母をしのぶ。
午後は学校に行き、デスクワークに徹する。
帰宅してから、恵里歌がラーメンを食べたいというので幸楽苑に行って6人で夕食。清水スーパーで恵里歌お気に入りのチョコケーキも購入。これは11000番ゲットのカウプレである。
8月29日(木)
昨夜は暑い夜だった。恵里歌は徹夜2日目を宣言しつつも、9時半に撃沈。翼は6時15分にはすくっと起きて一人ですたすたとラジオ体操に。恵里歌もさすがにしっかり寝たので、やや遅れて家を出るが、思ったほど手こずらず素直に出かけていった。
今日は友加里の14歳の誕生日。不二家で昼食をとり、お菓子作りの店につれていって誕プレを選ばせる予定。学校の方も午前中は国際理解教育の研修なので、午後は年休をもらう。
職員室にはいる前にまず畑に行ったが、大変なことが起こっていた。草にまみれた作物が草もろとも見事に刈られていたのである。確かに草の方がすごかったが、作物まで根こそぎとはちょっと悲しすぎる。英語の研修は、カードを使ったビンゴゲームなどが中心でとても楽しく参考になった。大事なのは「教えないこと」。楽しみながら自分で法則性を見いだすことこそが大切で、知識量などの目先のもので評価できないことを実感した。
午後は予定通り年休をもらって、6人そろって不二家に昼食をとりに行く。不二家では
誕生日のサービス
があるので、友加里の誕生日をささやかに祝う。その後、前橋市内のお菓子用品専門店に行き、友加里の好きな道具や材料を選んでもらった。ただ、古い店で品数こそは多いが、製造年月日がかなり昔の物があったり、値段が高かったりで今一だったらしい。
8月30日(金)
今日も1日有給休暇の予定だったが、学校の畑を少しばかり耕しておこうとサービスで出勤。しばらくすると、I先生も草刈りに来てくれた。Tさんの思い切った行動の後処理部隊である。耕耘機にまとわりつく草がひどすぎるので、1時間でリタイヤ。
佳緒里の所には親友のTさんが来ていたようで、9月から前橋に引っ越してしまうのだそうだ。親友だったMさんもKさんも引っ越し、ついにTさんまでいなくなり、佳緒里がかわいそうだが、高校生だから行動範囲をしっかり広げて、友情を保っていって欲しい。
お昼には、佳緒里がKさんの文化祭の時に見つけた「中華のほっぺ」というレストランで6人そろって食事。腰が低く愛想のいいマスターが、美味しい料理とまめなサービスで楽しませてくれた。佳緒里が良い店を発見してくれことを、みんなで褒めちぎる。
食後にはジャスコとベイシアによって帰宅。典子はベイシアで、育成会のラジオ体操のご褒美である自由帳を100冊購入。いろいろ種類が違って、レジも大変だったようだ。
夜には恵里歌が空手に出かけ、帰ってきてから11時過ぎまでインターネットをしていたおかげで、こちらの更新も遅くなってしまった。
8月31日(土)
いよいよ8月も最終日。実質的には夏休みも終わりである。恵里歌は今朝の2時まで、友加里はなんと5時までインターネットをやっていた。私は翼を連れて朝1番の9時開場前に、浜川の流れるプールに行き一番乗り。誰もいないプールは水が透き通っていてきれいで、のびのび楽しめた。しかし、翼の悪ふざけにリベンジでひっくり返すと、鼻から水が入ったようで泣いてから怒りだした。機嫌を壊した翼は一人で出ていってしまい、着替えも手伝わせず、帰宅すると典子に甘えだしたが、割り込まれた恵里歌とトラブル。姉弟喧嘩にも一花咲かせた。
午後は日曜学校のクリスマス発表会に備えて、シナリオの参考資料を探しに光書店へ。典子と2人で出かけるつもりだったが、翼が乱入。特にこれといった物はなかったが、紙芝居を参考にしてはどうかというアイデアが浮かんだ。書店とコンビニによって帰宅。残り御飯でチャーハンを作り小腹を満たす。
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