更新日記2020年3月下旬号

3月31日(火)
いよいよ平成31年度最後の日で、Kの1日勤務も最終日。
夜中から目やにと水っ洟が出てしんどかった。
今日はリュックを持たなかったのに、嶺公園で弁当になった。
駐車場が2カ所あり、確認がなかったため、行き違いでしばらく待つはめになる。
寒い1日で、小雨も降って大変だったが、希少な植物がみられた。
帰路は裏道を使って一番乗り。
帰宅する前に耳鼻科で花粉症の薬をもらったが、滞在時間は2分以内。

3月30日(月)
K6時間勤務で送迎はなし。
肌寒い1日ではあったが、早い昼食のあと、大室公園に繰り出す。
水っ洟が絶えず出るので、大きなティッシュのパックを持参。
歩いていると程よく温まるが、じっとしていると寒い。
帰りは裏道を使ったので、他車より5分ほど早く到着。
歯医者までの時間、サンキとカインズに行ったが、カインズで丁度いいスリッポンと腕時計をゲット。
歯医者は早く着いたが、診察は予定通りの時間で、左上の歯のもとをカバー。
お昼から7時間も食べていないので空腹が激しかった。

3月29日(日)
昨夜からの大雨に続き、季節はずれの雪はそこそこ積もった。
昨日からとにかく水っ洟が垂れ流し状態で、鼻がヒリヒリする。
午前中は暖かい部屋でとにかく休養。
午後は4月からの新職場に備えて、衿の無い服と室内履きを探しに。
そのままサラダバーを食べに宮に行ったが、単品で安く注文できるのでハッピー。
いろいろなドレッシングで、心行くまで食べられた。

3月28日(土)
H7時間勤務で、調理学習はとにかく大量のキャベツを刻んでお好み焼き。
昼は久々の休憩時間があったが、大食いするわけにもいかず、コンビニのサンドイッチとコーヒー。
用意していったおでんとごはんは、ほとんど持ち帰り。
午後は公園に行ったが、近くの川にアメンボがいるので、虫取り網を取りに戻る。
長靴を履いていても、水浸しにしている者がいて、閉口した。

3月27日(金)
K7時間勤務で、本来は水とぴあに行く予定だったらしいが、閉鎖のため、グリーンフラワー牧場へ。
旧式デミオで向かい、まずは芝生の上でお弁当。
次いでソフトクリームを食べに行く。
車で東に移動して、遊具や動物見学。
足元が不安定で、靭帯が少し痛んだ。
帰路は裏道を駆使して、一番に戻る。
帰宅後は区長さんが兄への香典を持ってこられた。

3月26日(木)
午前中は通院で、MRIの結果を聞くが、やはり靭帯損傷で無理をするなと言われる。
午後は妻と一緒に出掛け、まずはイオンでサックスの最終練習。
プリエッセで事務書類に署名。
戻って待機していると、早めに鍵屋さんが到着。
お墓に案内して、力技で鍵を破壊するのと、サクサク新しい鍵をつけるのを見届ける。

3月25日(水)
いよいよ兄の葬儀の日。
朝は万全を期して、体のケア。
奏楽準備のため早めに会場につき、妻は練習。
10時になって納棺を花入れをして、10時20分から聖書朗読と讃美歌と祈り。
出棺に合わせて斎場に移動し、讃美歌を1節歌って、窯に入る。
待合室で弁当を食べながら待機し、12時55分ころアナウンスがあって骨拾い。
義姉家族と別れて、吉井のパワーセンターで買い物し、鍵屋を探す。
1軒目はだめで、2軒目で何とか段取りが整う。
帰宅後は休息とケア。
いよいよ日記も解禁できる。

3月24日(火)
朝は畑で畝を作り、ジャガイモの残り半分を植え付け。
K6時間勤務で、初めて高崎アリーナに入った。
高崎駅の電車が一望できて、素晴らしいロケーションでもあり、近くの公園も楽しかった。
ただ、滅茶苦茶寒かったので、やや風邪気味になり、夜中には寒気に襲われる。
帰宅後は納骨室の鍵を持って墓に行ったが、どうしても開かず、うっかり悪徳鍵屋に電話してしまった。
待っている間に検索したら、あまりにも悪評が多いのでキャンセル。
無料でキャンセルできたのは僥倖だったが、納骨室が開かないので、納骨は延期。

3月23日(月)
朝は畑でジャガイモを半分植え付けして、墓地の掃除に回る。
プリエッセに行こうとして日高病院に向かってしまったため、石材屋さんに先に回る。
墓地に案内し、過去碑の銘を依頼し、プリエッセで入浴。
甥っ子と歓談の後、帰宅してJOYの書類にかかる。
午後は妻と合流して、大類の宮でサラダを中心とした昼食。
一旦帰宅し、一休みして歯医者に行く。
夜はJOYの役員会で、ゴールデンウェーブや定期演奏会への対応、練習の再開を話し合う。

3月22日(日)
朝は畑で境界線付近の草取りをして、畝づくりもする。
その後、波板用の釘を購入し、裏の作業場の北壁にブルーシートを設置。
更に裏庭の灌木を伐採していると、義姉からの電話があったと妻が告げる。
兄の危篤を知らせる電話で、急いで日高病院に向かう。
間質性肺炎から、肺と心臓に水がたまり、腹水もあって、息苦しさや痛みと戦っていた。
足が痛いというので、少しマッサージしてみた。
そんな中で、兄は家族にいろいろと伝えたいことを語り続けた。
孫のNちゃんも来て、手を握り、涙ながらの再会。
正午近くに、一旦昼食を取りに出て、はなまるでうどんを食べ終わったとき再び妻に電話が。
容体が急変して、もうだめらしいという。
急いで病院に戻ったが、口を少し開いたまま、兄はもう息をしていなかった。
体はまだやわらかくて暖かかった。
午後は葬儀社とのやり取りをして迎えに来てもらい、近くのプリエッセの菩提樹の間に安置される。
納棺は25日の10時に決まり、12時の窯になる。
無宗教の家族葬だが、10分ほどの儀式で、讃美歌と祈りを献げたいと思う。
(ただ、故人の遺志により、他の親族には知らせないため、この日記も葬儀終了まで封印する。)
ベルクで買い物して帰宅すると、長女が兄の所に行きたいというので連れて行く。

3月21日(土)
朝は弁当のために回鍋肉を作る。
H8時間勤務で、早めに着いて畑の草取り。
打合せをして、まずはサンバーでY地区に迎えに行く。
午前中は菜の花パスタのため、花壇の菜の花摘み。
午後は困った時を想定したSST。
30分の予定が1時間になり、子供らの集中力がすごかった。
帰路はY地区に自車で送り、途中でA姉妹の車にあったが、あちらは気付かなかったようだ。
帰宅して入浴後計量したら、10日前より8キロ減っていたのでびっくり。

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