更新日記2019年(令和元年)12月下旬号
12月31日(火)
朝はAEONのサンマルクカフェで軽食を食べ、市内でいろいろ調達。
前橋のあかまるにジェイソンがはいったというので行って見たが、生鮮食品はあまりなかった。
金古のアバンセに寄って、野菜や肉を購入。
いよいよ新年を迎える片付け作業に入るが、台所で立ち往生。
流しとレンジ周りだけは何とかきれいにできた。
妻は和室の片づけで膠着状態・・・
ファミマの海老天蕎麦で年越し。
12月30日(月)
朝は6時過ぎに出発して、妻の実家に向かう。
途中筑西市のジョイフルで朝食。
叔母夫婦も見えて、昼食は近くの金来屋で。
帰路は銀行にも行きたかったので、佐野スマートICから高速を利用。
銀行の後はむさしの森珈琲で軽食とコーヒー。
12月29日(日)
午前中は、妻は奏楽でこちらは讃美歌指導。
そのまま武蔵の製菓に行き、Y地区で餅つきに参加。
つきたてのお餅で食べる雑煮は格別で、キムチ餅や安倍川などいろいろ楽しんだ。
その後は10曲ほど歌い、第九のMも妻とデュエットする。
7時ころまで交流して帰路に着く。
12月28日(土)
昨夜は一度トイレに起きただけで、朝は6時16分に目覚める。
1日勤務のために準備し、南部の2名を迎えて、年末の年越しそば(うどん)作り。
午後は大掃除で大変疲れた。
夜は妻のカレーを食べたが、大変美味であった。
夜中にブレーカーが落ちて、充電時刻をずらしたが、それからなかなか寝付けなかった。
12月27日(金)
朝は行き慣れた耳鼻科で診察してもらい、納得のいく薬をいただく。
昼前に歯医者に行って、11時半のはずが12時近くになり、午後のレッスンを考え焦った。
ただ、処理はサクサクと進み、麻酔もなく、レッスンにはぎりぎり間に合う。
声楽はコンコーネの新しい歌がなかなかなじめない。
サックスもオクターブの動きに、なかなかいい音が出ない。
課題満載。
12月26日(木)
今日は朝から7時間勤務で、バスと電車を利用する学習の引率。
2名の担当をして、お昼は駅のフードコートでロースかつ・ネギま定食を食べる。
後で、キャベツとごはんお替り自由に気付いたが、満腹だったので良しとする。
帰りは雨が降って、送りも大変だった。
CDのラベルやケースもいい感じに仕上がり、本格的に作業に入る。
12月25日(水)
午後は早めに出勤して、N小学校にお迎えに行き、30分早上がり。
夕食は中華弁当とチキンとケーキでテンションアップ。
第九のCD作りも少しずつ進める。
12月24日(火)
朝はお腹と左腿後ろがとんでもなく攣って、直るまでに時間と手間がかかった。
昼は近くのレストランで、ランチながら、クリスマスディナーという感じ。
孫の所に行って、はじめは不穏なムードだったが、すぐに打ち解けて、笑顔や歓声に触れられた。
第九のCD試作品を聞きつつ時間をかけて帰宅。
11時ころブレーカーが落ちたので、エアコンを切ったら寒くて震えが来た。
12月23日(月)
朝は歯医者に行って処置をしたが、麻酔注射を6カ所くらい打たれ、瞼まで痺れた。
痛みはあるが、なんとか我慢して下処理をして、金曜日に欠けた部分をかぶせる。
柔らかい物を食べるように指示が出たので、トライアルでおでんとうどんを買って、家で作る。
麻痺が少し残る中、午後は3時間勤務。
T君担当で、筋トレに付き合ったが、こちらの腹筋もいい感じだった。
12月22日(日)
昨夜に引き続いて、今日は足利第九の助っ人。
朝8時半に出発して、一般道で9時55分に到着。
テノールは足利より高崎の方が多く、実際仕上がりも2日前の指揮者レッスンとは雲泥の差だったらしい。
今回も第4楽章からの入りで、3列ではあったが、暖かい会場で歌えてよかった。
打ち上げではみんなが帰った後、妻が事務局長としてあいさつしたので、当然留まっていた。
ソリストや指揮者のいろいろな話が聞けて楽しかった。
帰路は赤城食堂で夕食。
妻は帰ってからも第九関係の雑事に追われてかわいそうだった。
12月21日(土)
12月もとうとう下旬となり、いよいよ芸術劇場での第九の演奏会当日。
咳が出るのがとても気になり、不安な朝を迎える。
ただ、第九の入りは第4楽章からと聞いて、多少ほっとする。
事実、舞台裏の待機場所で、しつらえられた椅子に座って、時おり夢の世界にいざなわれた。
演奏は喉が不十分ではあったが、そこそこ上手くできて、指揮者も先生も上機嫌。
JJ夫妻も遠路はるばる来てくれて、いい演奏会だったとの評価。
息子が風邪を引いたようだが、明日も足利第九があるため、世話してやれない。