2日目: 7日(火)  コナからワイピオ渓谷へ


 

 ハワイ島での初めての朝食は、ホテルのバイキングです。パンと卵料理、なぜかみそ汁、ソーセージ、中身を選んで作ってもらうオムレツ、コーヒー、それと果物です。一番おいしかったのは、パパイアです。よく熟していてとても甘かったです。
 レストランには、雀のような小鳥が何匹も飛びかっていましたが、だれも気にしていません。時折、朝食の終わったテーブルの皿から、自主的に食べ物をもらっていました。

 

 ハワイ島の朝はとてもすがすがしいです。まったく暑さを感じません。日なたは暑くても日陰はとても涼しいです。ホテル前の海も穏やかでした。

  

二日目は、ハワイ島北部を回るドライブに出かけました。島の西側は、緑が少なく、枯れたような草原が広がっていました。乾期なのかなと思いましたが、一年中緑にはならずに、このような草原のままだということです。
 遠くには、ハワイ島で最も高い4,205mのマウナ・ケアが見えます。明日は、あの山の頂上に車で上ることになっています。

 ハワイ島は場所によって、様々な気候があります。
 マウナ・ケアとマウナ・ロアの二つの4,000メートルを超える山を中心に、島の東側が雨の多い熱帯樹林地域、島の南東部は、キラウエア火山のある火山地域、島の西側は比較的海も穏やかで晴天が多いリゾート地域、島の北側には一年を通して比較的涼しい高原地帯が広がっています。

 

 高原地帯を走ってコハラ山脈を目指して進むとワイメアの街が見えてきます。
 ワイメアは霧に覆われる高原の街で、ヒロ、コナに続くハワイ島第3の街です。1874年に創業し、全米でも屈指の広さを誇る牧場「パーカーランチ」を中心に開けています。



 ハワイ版カウボーイ:「パニオロ」が牛を追う象の前でポーズをとる日本人観光客もいました。
 パーカーランチショッピングセンターで、海で泳ぐためのござやゴーグルなどを買い、スタバで飲み物を調達して、ワイピオ渓谷へ向かいました。途中の山道では、霧雨が降って、前が見づらくなってきました。やはり霧の街という名前はダテじゃないと思いました。

 

 ワイピオ渓谷は、海に面した大きな谷で、周囲に何本もの滝が落ち、ふんだんに水が流れる豊かな土地です。昔の人々にとって、淡水を確保することは重要なことだったので、歴代の権力者たちはこの地に住まいを構えました。カメハメハ大王も幼少時代はこの土地で育ったということです。
 この豊かな土地は、ある時、大きな津波に襲われ、甚大な被害を受けたそうです。
 現在は、わずかな人たちがタロイモを栽培しているということです。展望台には、10台ほど車を止められる駐車場とトイレもありました。
 展望台から見たワイピオ渓谷の眺めは格別で、その絶景に感動しました。

 

 本来は、ワイピオ渓谷からカメハメハ大王の生誕地でオリジナルのカメハメハ大王像を見ようと思ったのですが、時間がなくなり、今夜のルアウショーに遅れないように、そのまま帰ることにしました。

 どこまでも続く道路。高速道路なので、時速は約50〜60マイル、80〜100キロくらいです。
 途中でたいへん命拾いしたことがありました。
 わたしの車の前に、大きなトレーラーが走っていました。わたしの後ろにも何台か車が走っていました。高原の道で、ちょっとゆっくりのトレーラーの後ろをしばらく走っているとき、道がまっすぐになって、トレーラーが左にウインカーを出しました。しばらくそのままで、左に曲がる様子がないので、わたしはてっきり、トレーラーがわたしに道をゆずってくれるのだと思い、左にウインカーを出し、トレーラーを追い越そうとして、センターラインを越えて、左に出ました。そうしたらすぐに前から車が来るではありませんか!あわてて、わたしはもとにもどるのではなく、道路の左隅に車を思い切り寄せました。前からきた車は、きっととても驚いたことでしょう。

 危機一髪のところで、正面衝突は免れ、心臓をどきどきさせながら、またもとの右車線にもどりました。
 日本ならば、遅い車は道をゆずるときに、まっすぐな道になって、前から車が来ないことを確認すると、後ろの車にウインカーを出して合図するので、あのトレーラーもそうしたのだと疑いもせず思いました。
 そんな交通法規にもないようなことを、しかも、ここはハワイ島なのに・・・・。わたしは、じぶんの思いこみを反省しながら、事故を起こさなかったことを幸いに、二度と同じような間違いをしないことを心に誓いました。

  

 ルアウ・ショーの会場はキング・カメハメハホテルです。
 ルアウ・ショーは、古代から受け継がれてきたハワイの文化とおいしい料理を楽しめるエンターテイメントです。ルアウは、ハワイで宴を意味する言葉で、古くは戦いの勝利を祝ったり、来客をもてなしたりするときなどに催していたそうです。
 始まるまでは、会場で、ポリネシアンショーをする人たちが、大きな葉っぱを使ったクラフト作り(釣り竿と魚)やフラダンスの踊り方などを指導してくれました。
 会場近くの屋根の下では、タロイモの葉でくるみ、地面に穴を掘って蒸し焼きにした豚を取り出していました。今日のブッフェ料理として出すのだそうです。



 いよいよ海からカヌーに乗ったカメハメハ大王がやってきて、ショーが始まりました。

  

 わたしたちは、順番にブッフェ料理を取りに行きました。だれもがだいたいお腹いっぱいになった頃、ポリネシアン・ダンスショーが始まりました。いつも思うのですが、ダンスショーに出てくる男性は、ほぼふくよかな人が多いです。ポリネシアの人々は豊かな食生活を送っているからなのでしょうか。
 というか、日本人も年齢を重ねていくに従って、ふくよかになってくるのだから、大きな違いはないですね。ショーのフィナーレは、迫力満点のファイヤーダンスです。炎が体に触れてとても熱いだろうなと思いますが、そんな表情は全くありません。会場の人々は料理とパフォーマンスに、とても満足しているようでした。

 

 ホテルに帰ってきて、ホテル前の海では、マンタが泳いでいるのが見えました。ホテルからライトを照らしている先に何匹かのマンタが泳いでいました。ホテルの前は、溶岩でできた海岸なので、マンタを見るところはとても危険です。日本だと、金網が張ってあったり、柵が作られていたりすると思うのですが、そこはハワイ島です。一人一人の責任に任せているのが、何とも自然な感じがしました。






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