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『エンドロールのその後で』 【1】

 その世界には崩壊が迫っていた。世の理が崩れ、海を飲み込んで、大地を飲み込んで、街を飲み込んで、人を飲み込んで、全てを飲み込んで崩壊するしかない状況だった。
 その全てを飲み込む崩壊を止める為に、ある王国は禁術を使って異世界から巫女を呼び出し、世の理を直すために助力を願った。召喚された巫女はその願いを受け入れ、世界の崩壊を止める為に旅立った。
 そして、いくつかの季節が過ぎた頃。見事世界の崩壊を防いだ巫女は、共に苦労を分かち合った仲間と共に、王国に凱旋したのだった。当然、王国は喜びに溢れかえった。巫女たちが帰ったその日から、町中はお祭り騒ぎだったが、今日、国王が主催する盛大な宴が開かれた。この時ばかりは身分の上下も関係なく、ひたすら世界が救われた喜びを分かち合った。街も城も、溢れんばかりの喜びに包まれた宴。
 その宴の輪から、いつの間にやら、巫女の姿が消えていた。


 宴が催されている広間から、かなり離れた古書資料館前。城内ではあるが、渡り廊下で繋がれた別の建屋でもあるそこは、北のはずれに位置していることもあり、全く人の気配がしなかった。常日頃から、たまに見回りの兵士が通る程度のそこは、宴の最中であっては、更に頻度の落ちた見回りがある程度。その人の気配がしない場所を、こそこそと周りを伺いながら歩く、巫女と呼ばれる少女の姿があった。歳の頃は十六、七。この世界では珍しい濃い黒髪にくっきりとした黒目。紺色のセーラー服に、履き潰したスニーカー。背負っているのは、じゃらじゃらとキーホルダーのついた通学用カバンという姿の、いたって普通の異世界の女の子。
「今日の主役が、こんなところにいていいのかい。巫女殿」
「うおっ!?」
 唐突に後ろからかけられた声に、少女は悲鳴を上げた。あまり可愛らしい悲鳴でなかったが、人間、本当にびっくりするとこんなものであろう。
 ぎこちなく声のした方に振り向いた少女の前には、彼女と同じぐらいの背丈の少年が佇んでいた。年頃も同じくらいであろう。浅黒い肌に、少女より色の薄い黒の髪。金色の瞳の目を細めて微笑する表情は、まるで猫のよう。サイズが大きいのか少年の肩が細いのか、羽織ったフード付のコートは肩から落ちかけていて、ただでさえ長い裾が地面につきそうなほど。そんな姿の少年を見て、がちがちに緊張していた少女はほっと息を吐く。
「……なんだ、賢者さんか。驚かせないでよ」
「驚いたのはこっちだがねぇ。あの大きな宴は、君の為の宴だろう?」
 ああ、あとは、君と騎士殿のためでもあるのかな、とからかいの色を滲ませて笑った少年に、少女はいつものように照れて見せるわけでもなく、あー、うん、と至極どうでもよさそうに返事をした。それを聞いて、少年の顔に、おや、という表情が映る。
「元気が無いね」
「そんなことないよ。元気元気……多分」
 ぼそり、と最後の言葉を付け加えた少女に、いよいよ少年の眉間にうっすらと皺が寄る。少年はきょろ、とあたりを見回してから、資料館入り口の階段に腰掛けると、おいでおいでと少女を手招きした。
「いや、あたし今さぁ……」
 こそこそと、自分で抜け出してきた広間の方向をちらりと見た少女に、少年は金の目をさらに細めて、にっこりと笑ってやる。自分の隣に座るよう、手招きをしながら。ここに座って話をしてみろと、言外に滲ませながら。
「国を挙げての宴の最中にこんなところに来るのは、見回り当番に当たった運の悪い馬鹿か後ろめたい事情がある馬鹿かただの馬鹿だけだから、心配ないよ」
「それ、どれも馬鹿じゃね?」
「馬鹿だろう?」
「いや、馬鹿だけどさ」
 あーもー、とだるそうな声を上げて、少女は少年の横にどっかりと座った。もぞもぞと動いて、己の膝を抱え込んでから、横に座る少年の顔を見る。
「ていうか、それだとあたしも馬鹿って言われてる?」
「うん、今それに気が付く辺りがそうじゃないかな」
 微かに笑い声をもらした少年の横顔を、てめぇこの野郎、という表情で眺めていた少女は、ふと気づいたように声を上げた。
「ていうかそれだと賢者さんも馬鹿じゃね?あ、そうか。変態賢者だったもんね」
「変態賢者とは酷い言いがかりだなぁ。僕はただ、賢者になる課程の上で死霊使いの技に手を出しただけの、善良な隠者だよ」
「いや、日がな一日いい状態の死体を捜してウロウロしてるのは変態でしょ」
「そうかねぇ……?」
 ぼやく少年に、しばらくけらけらと笑っていた少女だったが、次第に笑い声から力が抜け、声が掻き消える頃には、抱え込んだ膝の上に顎を乗せ、どこかぼんやりとした目で宴の開かれている広間の方向を眺めていた。お互い無言で景色を眺めていれば、遠くから聞こえてくるのは、城内から聞こえる喜びに満ち溢れた喧騒だけ。
 お互い目も合わせないまましばらくそうしていると、少女がぼそりと口を開いた。声色は、やはりどことなく遠くを見るようなものだ。
「賢者さん、マジで話聞く?」
「もちろん聞くとも」
 あっさりとした少年の返事に、一瞬だけそちらを見やった少女だったが、少年がいつもの笑顔で少女を見ていることに気付くと、視線を戻し、ひとつ大きく伸びをした。その一連の動作も、少年は猫の目で見つめるだけである。
 伸びをして、背を伸ばした少女から出た声からは、どことなく遠くを見る響きは薄れていた。
「……こうやって無事、何、世界の理だっけ?を元に戻して、みんなで無事に戻ってきたでしょ?」
 巫女である少女が世界の崩壊を止める旅には、幾人かの同行者が存在したのだが、この少年も同行者のうちの一人だった。見た目は十五歳ほどの少年だが、実際の年齢は、既に百をいくつか越えている。極東の賢者と畏れられる、魔術を初めとしたありとあらゆる術を修めた、見た目は少年の死霊使い。
 少女はもちろん少年がそのような存在だと知ってはいるが、特に気にするようなこともなく、歳の近い友達とのお喋りに興じるように、つらつらと言葉を続けていく。
「戻ってきた日は、解放感と達成感があってさ、とにかくよかったーって思ってたんだけど……」
 そこまで喋ってから、少女はなにやらもごもごと口を動かした。視線はちらりと、宴が開かれている広間の方へと注がれる。
「……寝て起きたら、このお祝いのムードに、なんかついていけなくなってた」
「ふむ、やはり厳しい道のりには尊い犠牲者というのがいないと、話も盛り上がらないからね」
「いや、なに言ってんの賢者さん。よかったとは思ってるよ。彼もさ、賢者さんも、みんな無事で」
 彼も、と声に出したときの少女の瞳がわずかに揺らいだ。彼とは、少女がこの世界に連れて来られてからずっと、彼女に静かに付き従ってきた一人の騎士の青年である。高い背丈に、赤い髪。王国一の剣技を持つ青年は国王の命で少女の旅に同行したが、旅の道行きで、青年と少女は確かな信頼関係を築いたように見えた。旅を終えて王国へ帰還したとき、少女を見る青年の目が幾分優しげになっていることに、目ざとい城の女官たちが気付くほどには。
 その青年の名を出したときに一瞬の揺らぎを見せた少女の瞳だったが、話はつらつらと続いていた。喋る声には、先程感じられた、どこか遠くを見るような色が滲み始めている。
「でもさ、あたしさ、この世界救ったら、元の世界に戻れるんじゃないかと思ってたんだよね」
 その言葉に、横で少女と同じように景色を眺めていた少年が、ゆっくりと彼女の方へ視線を動かした。少女の表情は、いつも少年と他愛ないお喋りに興じるときと変わらない表情だったが、彼女の口から、元の世界に帰る、という言葉が出たのは、少年の知る限り初めてだった。
 旅の途中、あちらの世界のことをあれこれ説明してくれた少女だったが、己が戻る、という事は一度も口にしなかった。それは、彼女が自分の置かれた状況を理解していたからだと少年は思っていた。それはつまり、彼女が元いた世界から召喚されてこちらの世界に来たこと。そして、こちらの世界からあちらの世界へ彼女を送り返す術がないということを知っているからだと思っていたのだ。
「……その事情は、こちらに呼ばれた時に聞いたんじゃなかったのかい」
 そう、猫の目のまま少女の横顔を見て言葉を吐いた少年に、少女は、うん聞いた、とあっけらかんとした返事をする。なんか凄い術なんでしょ、こっちの世界に人呼ぶのって、と続けた少女に頷いてから、
「ならば、何故」
 と、己の置かれた状況を理解しつつも、そのような事を思っていたのかと少年が問えば、少女はしばし口を閉じてから、少し困ったような表情で少年の方を振り向いた。もごもごと口を動かしてから、つっかえながらも声を出す。
「うーん、あたしのいた世界にはさ、王国、はあるな。ええと、魔術がないのよ。賢者さんみたいな、死霊使いもいない、と思う」
 あれも無いし、これも無い、と次々に上げていくのは、考えがまとまっていないからなのか、言葉を続けながら彼女自身もまとまらない言葉に困り切ったのだろう、眉尻を下げて一度口を閉じた。少女は困り顔のまま少年の猫の目をじっと見つめるが、少年は相変わらずの微笑で軽く首を傾げるだけである。
 少年の猫の目を見つめることしばし、やっと考えがまとまったのか、少女は少年から視線を外して、ようやく口を開いた。
「つまり、あたしにとって、この世界は不思議の世界なんだ」
 あたしが確かにこの世界にいてもね、と自嘲気味に笑った少女の目はどこか遠くを見るようで、考えがまとまってややすっきりとした表情を覗かせた少女とは対照的に、少年の微笑には陰がさす。少女のどこか遠くを見る目の色は、世界を救う短くも無い旅の間、一度も見せなかったものだ。そしてその色は、彼女自身にとって、あまりいいものではない。
 少年の小さな心配を知ってか知らずか、少女はすっきりとした表情のまま、さっさと話を続けていく。
「だからさ、こんな魔術があるような不思議の世界だから、その世界の理を元に戻したら、術とか無くても勝手に帰れるとか、そういう奇跡とか起きるかもって、なんとなーく思ってて」
「……魔術と奇跡は違うよ。君の世界の、科学、だったか。それと何も変わらない。理論があって、現象がある」
「うん、それもなんとなく分る。でんじろう先生とか、私小さい頃マジで魔法使いだと思ってたし」
「誰だい、それ」
「マジで凄いよでんじろう先生。あの人は子供たちの憧れの的だよ」
「ふむ。巫女殿の世界にも、優秀な術者がいるんだねぇ」
 納得したように頷く少年を見て、でんじろう先生の偉大さを異世界に伝えられたことは正直誇りだわ、と胸を張っていた少女だったが、話がずれてきていることに気付いたらしい。あー、うん、まぁそういうこと、とばつが悪そうに頭をかいてから、慌てて話を戻す。
「それで、まぁ、勝手な思い込みだけど、奇跡も起きずに終わってがっくりきちゃったもんだから」
 大きなため息をついて、少女は俯いた。抱え込んだ膝の上に額をつけているので、表情は分らない。声もくぐもってしまっていたが、少女は気にせず言葉を続けた。
「あたし、頭悪いし馬鹿だからさ、しかも人間出来てないから」
 そこで一度言葉を切ってから、むくりと顔を上げて少年の顔を見る。少年の猫の目をじっと見つめる少女の顔には、何の感情も映っていなかった。
「何でお祝いしてるんだろうって思っちゃって。あたしはいきなりこっちに連れて来られて、しかも帰れないっていうのに。家族や友達にもう会えないし、学校にも行けなくて、大学受験はあんまりしたくなかったけど、でも、将来の夢とか一応あったのに、それが全部消えてなくなってるのに、何でみんなお祝いなんかしてるんだろうって」
 意味わかんないよねもー、と続ける頃には、少女の顔には感情が戻ってきていた。少年の目から視線を外し、苦笑気味の笑顔で続けてみせる。
「しかも王様はさ、このまま彼と結婚すんだろ?ぐらいのこと言い出しちゃってさ」
 あはは、と笑い声を上げる少女の横顔をまじまじと見て、少年は首をかしげた。彼は、旅の過程での少女と青年を見てきたが、旅を終えた後に二人が結婚しても決しておかしくないと思っていた。少女が青年自身をどう思っていたか、ということを少年が彼女自身に聞いたことは無かったが、少なくとも、周りが勝手にそう思ってしまう程の関係ではあった筈なのだ。
「しないのかい?」
「それは無い。ていうかその発想どこから出てくんの」
 少年の疑問に即答した少女の様子に、少年は小さな違和感を覚える。それは、先程こそこそと歩いていた少女をからかってやろうと、声をかけたときの返事に覚えた違和感と一緒で、彼女は照れるだろうとの予想から大きく外れた返事への違和感だった。
 しかし、その違和感を口にすることなく、少年は微笑したまま少女との会話を続けることを選んだ。相変わらずの猫の目で、少女の様子をじっと観察することだけはそのままに。
「僕が見た限りでは、彼は君の影のようだったから」
 その言葉どおり、青年は常に少女に付き従っていた。どんな状況に追い込まれようとも、彼は少女を守る絶対の盾であり、困難を打ち砕く剣であった。少女も、青年が傍らにいることが当たり前のようだった。そして何より、お互いがお互いに好意を持っているようにしか見えなかったのだ。
 少年の言葉を受けて、影と結婚する話とか初耳すぎるんだけど、と笑う少女に、旅の途中には聞かなかった、青年をどう思うかという疑問を少年がストレートに投げかける。すると少女は、笑いを引っ込めて腕を組むと、うーん、と考え込んだ。その様子は謎掛けについて考えをめぐらせているそのままで、少なくとも、恋する乙女が素敵な騎士様を思い浮かべる様子ではなかった。
 少女は瞼を閉じてしばし思案してから、そうだなぁと口を開く。
「あたし、彼のことは好きだよ。調子乗って言っちゃえば、彼もあたしのこと好きなんだと思う。でも、あたしのこの感情が恋だの愛だのかって聞かれると、ぶっちゃけ微妙なんだよね。こんな状況だから吊橋効果でないとも言い切れないし。それより何より、あたしは彼と一緒だったらあっちの世界に戻れなくてもいいなんて、一度も思ったことが無いよ」
 腕を組みつつの少女の答えがあまりに簡潔で、少年はわずかに眉間に皺を寄せた。旅の途中に聞けば、間違いなく違う答えが返ってきたのだろう。旅を終えての少女の心境の変化と、その揺るぎのなさに少年は少し困惑したようだった。旅を終えた少女はどこか諦観しきった表情を覗かせていて、それは投げやりな態度のようにも見える。
 じっと少年の猫の目に見つめられていることに気づいたのか、少女は瞼を上げて少年の顔を見返した。少年から観察するように見つめられることに慣れている少女は、少し首をかしげて見せたが、少年が小さく首を横に振ると、軽く肩をすくめただけで終わった。少女はひとつため息をついてから、視線を景色に戻す。ついでにぽろりと口から言葉も漏れる。
「まぁ、あたしと彼のことはいいよ。とにかくさ、あたしはこうしてこの世界を救っだけど、でもやっぱり帰れなくて、それでもこの世界でこれから生きるには抵抗があって、正直何もかもがどうでもよくなってるから、そんなら死んでもいいのかなーって」
 組んでいた腕を解くついでに、それこそ昨日の天気の話並みにどうでもいい世間話レベルの口調でこぼれ落ちた少女の言葉に、少年はきょとんとした。予想外の言葉を聴いたという表情だ。
「死ぬのかい?」
「それもいいかなって思ってる。どうだろ?」
 思わず聞き返した少年だったが、あっけらかんとした様子の少女に小首をかしげて更に聞き返されて、猫の目をぱちくりと瞬かせた。

<続く>

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