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ガラス豆知識コーナー。ガラスの歴史、いろいろなガラス。
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日本史こぼれ話。歴史に残る人達のあっと驚くおかしな話!
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四方山体験談。えっ!誰のことって!?・・・それは秘密です!

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板ガラスって?


ガラスの歴史

              透明・燃えない、木などの有機材料とは比較にならない耐久性、など優れた性質をもつ板ガラスは
              建築物になくてはならない材料であると言えます。ガラスが建築に用いられた歴史は古く、
              それ以前にも、宝石と同じように装飾品として、あるいは食器などのうつわとして用いられていました。
              建築の素材としての板ガラスは、「内と外を遮断しながら、光線や視線を通すもの」として
              他にかけがえのない、唯一の貴重な材料といえます。

古代のガラス
ガラスが、いつどこで生まれたのかについては、まだ解き明かされていませんが、一般には紀元前
数千年頃のメソポタミアかエジプトだとされています。そして、ガラスが比較的普及するように
なったのは今から3500年くらい前からだろうとされています、当時は宝石と同じように高価な
物でした。その頃のガラスは、ねばっこいガラス素地を粘土で作った型に押しつける型押し法や、
布袋に砂を詰めた芯に溶けた糸状のガラスを巻きつけたり、芯を溶けたガラスの中につけて、
冷えてから砂の芯を抜く砂芯法で成型されていました。紀元前30年頃から、ローマ帝国が
分裂する395年までの間に、画期的なガラスの成型法が生まれました。それは、吹きガラス技法
呼ばれるもので、吹き管の先に溶けたガラスをつけて風船のようにふくらませて成型する方法です。
これによって、さまざまの形や大きさのガラス製品を比較的手軽に作ることが可能になりました。
この吹きガラス技法は、基本的なガラス成型法として現在にも受け継がれています。そして、
ローマ帝国がその勢力を広げるとともに、ガラス製造技術は全ヨーロッパに広がっていきました。
一方、建物との関係をみると、この頃から、半透明の天然石膏や雲母の板に加えて、ガラスも
窓材料として使われはじめたようです。
中世のガラス
ローマ帝国の没落後、ガラス職人達はシリヤとビザンチンに集中し、金属化合物を混入してガラスを
着色する技術が進み、これが後のステンドグラスの開花につながりました。やがて、ヴェネチアが
ガラス製造の中心地となり、そこで発達した技術がさらにヨーロッパ全域に広がっていきました。
中世の教会や城にはステンドグラスや鏡がさかんに用いられていますが、こうした建築需要が
中世のガラス工業をうながした大きな要となりました。ガラスを窓に使用するためには、平らな
板ガラスが必要となりますが、この時期に吹きガラス技法によってふくらましたガラスを回転させ、
遠心力によって平らにするクラウン法が開発されました。この頃から、ガラスは工芸品から
実用品へと広がりを見せ、工業としての基盤を固めていきました。
近代のガラス
建築分野でのガラスの仕様が広まるにつれて、より平滑でより大きいガラスが求められるように
なってきました。技術的にも、17世紀末頃に発明された手吹き円筒法が、1800年頃から、
板ガラス製法の中心となり、従来に比べて平らで大きく、しかもより薄い板ガラスが作られるように
なりました。また、18世紀後半に起こった産業革命は、ガラス工業にも大きな革新をもたらしました。
たとえば、蓄熱式加熱法の発明によって、容易に高温が得られるようになり、ガラスを溶解する
技術が飛躍的に進歩しました。1851年に、初めての万国博がロンドンで開催されましたが、
この時のメインパビリオンとして、水晶宮(クリスタル・パレス)と名付けられた、ガラスと鉄に
よる巨大な建物が作られています。この一大デモンストレーションが、多くの人々に
建物に使用される板ガラスの効果を強く印象付けることになりました。
現代のガラス
1900年代に入ると、溶解ガラスから直接ガラスを引き上げて成形するフルコール式、
ピッツバーグ式、コルバーン式、などの製造法が生まれ大量生産が可能になりました。
さらに現在の型板ガラスや網入りガラスに用いられているロールアウト式が出現しました。また、
より大きくという要求と、より火積み歪のない平滑な面を作り出そうという欲求は強く、
出来あがった板ガラスの面を研磨する磨き板ガラスの技術が一層向上する一方、
フロート式と呼ばれる革新的な技術が誕生しました。フロート式とは、溶解したガラスを
、溶解金属の上に浮かべて製板する方法で、歪の無い完全な平滑面が得られるので、
改めて研磨する必要がありません。そして、機能・性能に対する要求の多様化に応じて、
酔うよう様ようなガラスが生み出され、建物との関わりは一層強くなってきました。

    ガラスの製法


板ガラスの主原料
珪砂・ソーダ灰・石灰石が三大主原料で、その他少量の成分が含まれます。各成分の割合を
適正に保つことが、板ガラス製造に大変重要で各々の原料は厳選されたものを使用します。
a、 珪酸(SiO2):ガラスの骨格となる成分で、板ガラス原料の内70〜72%を占める主成分。
b、 ソーダ(Na2O):溶解の際、融点を下げる働きをする成分で珪砂に次いで原料の
   12〜16%を占める。
c、 石灰(CaO):石灰は、高温でガラスの粘性を良くする成分で、原料の中約12%を
   占める重要な成分。
d、 マグネシヤ(MgO):粘性の温度による変化を和らげたり、失透性(結晶化)を
   低減する性質がある。
板ガラスの基本的製法
ガラスをつくるには、ガラス製品がそれぞれの種類、用途によって成分が異なるので、
まず@成分(組成)を決め、次にAその成分に応じた原料を選び、Bこれらを混ぜ合わせ
(原料の調合)、C溶融、ガラス化し、D最高温度(1500〜1600度)に熱して清澄作業
(不溶解物を完全に除き、泡を追い出す)を行い、E素地締めという作業温度(1200度)まで
冷却し、残った泡をガラス中に溶かし込み成形、F徐冷釜にいれ熱を加えて徐冷、G十分
冷めてから釜から取り出し、H選別、I検査、J包装、となります。

    板ガラスの種類
    

フロート板ガラス
ガラスの基本的な特性である透視性と採光性にすぐれた、無色透明板ガラス。
(一般的にいう、透明ガラスのことです。)
@ 特性
1、 フロート板ガラスは高い平面精度を有し、すぐれた透視像、反射像が得られます。
2、 フロート板ガラスは、厚く、大寸法のガラスが製造できます。(通常では、厚さ2〜19mm、
   最大幅約3mで帯状に長く造ることができますが、輸送上等の理由で、長さは、
   約10mを限度としています。)
A 品種と仕様
1、 フロート板ガラスは、2・3・4・5・6・8・10・12・15・19mmまで10種類の厚みが作られています。
   また、製造最大寸法も厚みによって異なります。
2、 ガラスの1u当りの重量計算法は、厚み(mm)*面積(u)*2.5kg(定数) で求められます。
   例えば、10mm厚で、縦1m*横1m(面積1u)のガラスの場合の重量は、
   10(厚)*1(u)*2.5kg(定数)=25kgとなります。
※ すり板ガラス
   すり板ガラスは透明板ガラスの片面を硅砂、金剛砂と金属ブラシ等で不透明にした
   加工ガラス。(一般的に、くもりガラスと呼ばれている物のことです。) 
   1.9・3・5mmの3種類の板厚があります。
型板ガラス
ガラスの片面に美しい型模様を掘り込んだもので、光をやわらかく拡散し、光線は通過するが、
視界は適度にさえぎる特徴を持っています。
@ 特性
1、 光線は通し、視界をさえぎることで、プライバシーを守り、光をやわらかく拡散することで、
   まぶしさを防ぐ防眩効果があります。
2、 型模様があるにもかかわらず、可視光線や日射の透過率は、透明なガラスとあまり
   変わりません。
網入・線入板ガラス
ガラスの中に金属の網あるいは線を入れたものです。この網や線が、ガラスの破れた場合の
破片の落下、脱落を防ぐ役目を果たします。
また一般の板ガラスに比較して衝撃に対しても、破片が飛散、脱落することが少なく、安全性が
高いと言えます。
@ 特性
1、 網入ガラスは、防火性を認められるガラスであり、従って建築基準法に限定される
   乙種防火戸に用いることのできるガラスです。(但し、線入ガラスは認められていない。)
2、 飛散防止効果を持ち、地震や台風の際の飛来物、更には爆風等で万が一ガラスが破損した
   場合でも、金属の網(線)が破片の飛散を防ぐか、ごく少なく押さえることによって、破片による
   人体等への傷害を防ぐ効果を持っています。
   (なお、この効果は線入板ガラスよりも、網入板ガラスの方が大きい。)
3、 金属の網や線が露出するエッジ部の強度は、普通のガラスよりやや低下します。従って、
   一般的には、熱割れのおそれが大きくなります。
A 品種と仕様
1、 網や線の入れ方には3とおりのパターンがあり、網入には菱形とクロス形(ます目)、線入には
   平行線のみのタイプがあります。
2、 透明タイプと型板タイプ、更にはガラス素地に熱線吸収板ガラスを用いた色のついたタイプが
   あります。
3、 厚みは、6.8mmと10mmの2種類だけ。ただし、クロス形はすべて6.8mmだけ。熱線吸収板
   ガラスの網入・線入は、6.8mmだけとなります。
熱線吸収板ガラス
透明な板ガラスの原料の中に、ニッケル、コバルト、鉄、セレン等を入れ、ブルー、ブロンズ、
グレー等の色を付けたもので、太陽熱の吸収を高める性質を付加したガラスです。
@ 特性
1、 熱線の吸収作用により、太陽輻射熱を30〜40%吸収し、室内に流入する熱量を減らし、
   冷房負荷を軽減する省エネルギー効果があります。
2、 現在、ブルー、グレー、ブロンズ、グリーンの4色があるので建物の表情を豊にする効果が
   あり、色が付いていることで、室内に対して防眩効果もあります。
熱線反射板ガラス
フロート板ガラスの製造工程の中で片側表面に、薄い金属酸化膜を、特殊な方法でコートした
板ガラスです。また、金属膜によるミラー効果(鏡面効果)によって、更には、素板の違いによる
色調によって、高い意匠性を持った板ガラスです。ゆえに、外観も鏡面に近く、空や周囲の景色を
映し、視覚的には美しい建物をつくる高性能でデザイン性に富んだ高級板ガラスと言えます。
@ 特性
1、 特殊コートされた金属膜のはたらきで、太陽輻射熱(日射)を約30%反射し、冷房負荷を
   軽減し、省エネルギー効果を発揮します。また、素板が熱線吸収板ガラスの熱線反射
   ガラスは、更に熱線吸収効果が加わり、一段とその性能が高くなります。
2、 太陽の熱エネルギーを反射すると同時に、可視光線も一部反射し、鏡のような効果
   生まれます。しかし、100%のではないので、実際には、周辺の色、ガラスのそのものの
   色などが混ざり合った色になります。昼間外が明るい場合は、空や周辺の景色がくっきりと
   映るのに、夜になって室内が外より明るくなると、このミラー効果がなくなるといった
   変化もあります。
3、 可視光線も反射するので、可視光線透過率が下がり、それだけ眩しさをなくす防眩効果が
   あり、また、熱エネルギーを遮断するので、窓際が暑すぎるといった局部的な温度分布の
   不均一を和らげる効果が期待でき、室内の環境を向上させるはたらきもあります。
A 品種と仕様
1、 網入・線入板ガラスの製品はできないので、乙種防火戸にする必要がある場合は、
   網入板ガラスとの合わせ又は複層ガラスとして使用します。
2、 主な色は、パール・ブルー・グレー・ブロンズなどですが、各ガラスメーカーによって他に
   数種類の色があります。厚みは、6・8・10・12・15mmの5種類ありますが、色によっては
   ない厚さのものもあります。
複層板ガラス
俗に言うペアーガラスのことで、2枚のガラスを強力な吸湿材を内蔵したスペーサーによって、
一定の間隔に保ち、周辺を弾力性のある特殊な接着剤で密封して、内部空気を乾燥状態に
保った加工ガラス製品です。
@ 特性 複層ガラスは、空気層を有していることにより、次のような特性を持っています。
1、 ガラスの間にある空気層の働きで、熱貫流率が単板ガラス(1枚ガラス)に比べて、
   約半分以下に減ります。このため、冬は室内の熱を外へ逃がし難く、夏は外の熱を
   室内に入りにくくします。すなわち、冷暖房の効率を高め省エネルギーに役立ちます。
2、 高い断熱性によって、単板ガラス(1枚ガラス)で良く見られる結露を防ぐことができます。
3、 冬に、外気の寒さの影響を受けて、窓まわりの室内の空気の温度が下がる現象を
   冷輻射といいますが、複層ガラスは、高い断熱性でこの現象の影響を小さく押さえ、
   室内の快適さを均一に保つことができます。
A 品種と仕様
1、 複層ガラスの品種はその組み合わせるガラスの種類によっていろいろなものを
   つくることが可能です。* 但し、重要なのは、組み合わせ方(どの種と、どの種のガラスを
   組み合わせるか)です。複層ガラスを使用する場所の条件や状態によって、その場所に
   合う適切な組み合わせのものを選び出します。これについては、販売店や施工業者に事前に
   問い合わせることが肝要です。
強化ガラス
板ガラスを加熱急冷することにより表面に圧縮応力層を作る風冷強化というものを施し、普通の
ガラスよりも強度を高めたガラスです。
@ 特性
1、 同じ厚みの一般のガラスに比べて3〜5倍の強度があります。言い換えるならば、風圧力が
   かかった場合の強さが、3〜5倍あるということになります。
2、 台風による飛来物や、人が誤ってぶつかった時などの衝撃に耐える力を衝撃強度といいます。
   やはり、同じ厚みの普通のガラスの3〜5倍の衝撃強度をもちます。したがって、人の出入りの
   激しいガラスドア等、衝撃の予想される場所によく用いられます。
3、 急激な温度変化現象を、熱衝撃と言います。例えば、ガラスのコップに、急に熱いお湯を
   入れたりすると、割れたりすることがありますが、強化ガラスは、この様な場合にも、普通の
   ガラスに比べて、約3倍の強度を示します。
4、 強化ガラスは、万一破損した場合でも、普通のガラスのように鋭い角を持った破片にはならず、
   細かい粒状の破片になる特徴を持っています。このため、ガラスの二次災害と言われる、
   破片による人体への影響も少なく、大けがを防ぐことができます。
5、 強化ガラスは、製造した後での切断・加工は一切できません。
A 品種と仕様
1、 一般の透明タイプと型板タイプと熱線吸収タイプもあります。厚みは、ガラスの種類にも
   よりますが、4・5・6・8・10・12・15mmの7種類があります。
2、 強化ガラスは、製造後の加工・切断は一切できませんので、すべて原寸の
   注文生産となります。
建築用あわせガラス
2枚あるいは数枚のガラスの間に柔軟で、強靭な中間膜をはさみ、加熱圧着して作るガラスで、
安全性の高い高機能ガラスです。用途に応じて、重ね合わせるガラスの種類や枚数を選ぶ
ことができ、種々の合わせガラスが製造できます。
@ 特性
1、 ガラスと中間膜が接着されているため、地震や衝撃、爆破などで、万一破損しても、強靭な
   中間膜によって、破片が飛び散るのを防ぐので、破片による二次的な人体への傷害を
   避けることができます。また、人が誤ってガラスに衝突して、ガラスが割れた場合に、
   頭等身体の一部をガラスに突込んでしまい、あわててひっこめる時に、大怪我をしたり、
   死亡に到るような事故につながるケースがありますが、合わせガラスは、柔軟で強靭な
   中間膜が、耐貫通性能を高めているので、このような事故を未然に防ぐことができます。
2、 紫外線遮蔽性能に優れた中間膜を使用することにより、紫外線をほぼ99%以上カットする
   合わせガラスもあります。
3、 強靭な中間膜により、ガラスが破壊されても侵入される穴をあけるまでには、かなりの時間が
   かかります。このように、防犯性の高いガラスですが、板ガラスの品種の組み合わせに
   よっては、例えば、強化ガラスを合わせにする等によって、更に防犯性能を高める
   ことができます。また、多重に合わせることで、銃弾を防ぐ防弾ガラスも可能になります。
4、 柔軟で強靭な中間膜と装飾フィルムを組み合わせて使用することで、
   装飾合わせガラスの対応ができることにより、カラーバリエーションが豊富です。
A 品種と仕様
1、 合わせガラスは、いろいろな品種、厚みのガラスの組み合わせによるものと、
   カラー中間膜を用いたカラーのものがあります。また、中間膜に紫外線カット性能があるもの
   もあります。大切なことは、求められた性能に適した組み合わせのガラスを選択することです。

青ライン
    城日本史こぼれ話
〜文春文庫「はなしの玉手箱」より〜


イレズミを隠していた名奉行     遠山金四郎(1793〜1855)
果たして遠山の金さんに刺青はあったかどうか、一時その真偽のほどが話題になったが、刺青を
していて、「刺青判官」と呼ばれていたのは事実のようだ。映画やテレビでおなじみのあの台詞、
「ええい!あくまでもシラを切る気か。そちたちの行状、この遠山桜がしかと見ておるぞ。」と、語気
鋭く詰め寄り、パッと肩肌脱ぎになると一面の桜吹雪。それまでシラを切り通していた罪人も、一同
恐れ入って白状し罪を認める、というクライマックスで一件落着となる。いつ見てもスカッとする
カッコいい場面だが、判官といばつまりは裁判官。その裁判官が背中から二の腕にかけて彫物を
するとは、遠山の金さんというのはずいぶん飛んでる人だったんだなあ、と思われるのだが・・・・・。
しかし、刺青があったのは本当だが、映画やテレビで見るようにカッコよかったというのは、ウソの
ようである。そもそも、金四郎が刺青を彫ったのも若いころ放蕩三昧の生活をしていたからである。
そのような生活を送るようになった原因としては、家督争いでの不遇なとりあつかいを受け、それで
やけになって家出して放蕩したとも、兄との相続争いを好まず家を出たともいわれている。いずれ
にせよ十年間くらい、金四郎は気ままな暮らしをしていたようで、刺青もこの遊蕩時代に彫った
ものである、というのが定説になっている。だから、どう考えても堅気のお役人である奉行の背に
刺青があるのは誇らしいはずがなく、実際の金さんは、夏でも長袖の下着を身につけて彫物が
着物の袖から見えないように気を配っていたという。パッと片肌脱いで、勲章のように桜吹雪の
刺青をみせたというのは、講談や芝居のつくり話のようである。だが、映画やテレビのようにカッコ
よくはなかったにしろ、遠山金四郎が名奉行だったことは間違いないようだ。時は天保の改革の頃
庶民の生活のすみずみにまで規制がおよび、町人たちにはキツかったが、十年余の放蕩生活で
下情にもくわしかった金四郎は、シモジモの気持ちをくみとってイキな裁きを行い、名奉行として
市井に知られたばかりでなく、奉行所内でも大岡越前守忠相以来の名裁判と評価が高かった。
出不精だった水戸黄門     徳川光圀(1628〜1700)
徳川光圀といういかめしい名前よりも「水戸黄門」としてなじみの深い水戸藩の二代目藩主。
テレビドラマなどでおなじみ、助さん、格さんの二人をお伴に連れて諸国漫遊の旅に出た黄門様は
行く先々で悪をこらしめ、正しき者に力を貸し助ける庶民の英雄だ。物語のクライマックスで、
「ええい、頭が高い。控えおろう。この紋所が目に入らぬか。ここにおわす方をどなたと心得る。
恐れ多くも、前の天下の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ。」と、助さんが印籠を振りかざし、
一同が「へへぇー」と平伏する場面。この単純な勧善懲悪の話が、庶民の溜飲を下げ、ストレス
解消となってきたのである。しかもテレビドラマでは、黄門一行と茶の間に居ながらしてディスカバー
ジャパンの旅が楽しめ、異例の長寿番組となっている。ところが現実の水戸黄門様は諸国漫遊の
旅など出ていないのである。光圀は藩政に熱心で、城下町を整備拡張し、上水道の設置をはかり、
飢饉対策や乏しい藩財政の立て直しに力を注いで、国を出たのは江戸参府と日光参詣ぐらい
だったという。こうした光圀の事績を記録したのが「水戸黄門仁政記」だが、もちろんこれにも諸国
漫遊の晴らしなど載っていない。それがなぜ諸国をめぐり歩いたことになったかというと、この
「仁政記」をもとにして、「増鏡」にみえる北条時頼の廻国話や十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」を
まねて、講釈本「水戸黄門漫遊記」がつくられたからである。これによって、光圀は初めて領地から
遠く離れたところに旅をするわけだが、それでも東国と関西方面だけであった。黄門さまが全国
津々浦々にまで足を伸ばすようになったのは、テレビドラマによってである。現実の光圀はまじめな
名君で、「漫遊記」で東国に旅立つ1691年には、藩主を退いて隠居所を建てて移り住んでいる。
西山荘と呼ばれたその隠居所にこもりきりで好きな歴史に没頭して日を送ったという。
白米で馬を洗う話     毛利元就(1497〜1571)
戦国時代の武将、毛利元就といえば、もともと安芸国(広島)の土豪だったが、次第に安芸一円に
勢力を伸ばし、遂には中国地方一帯を支配するほどになった戦国大名である。それも中年を
すぎてからがんばったのだから、これまた偉い。世に「毛利大国」といわれる領土を築いただけ
あって、”智将”として知られ、まず安芸随一の実力者で石見国(島根)を押さえていた吉川家に
次男元春を養子にやり、三男の隆景を安芸竹原の小早川家に入れて、足もとの安芸一円を
手中におさめる布石を打った。この元春と隆景は、実家毛利家の中国平定に大いに働き、「毛利
の両川」といわれ、高い評価を得た。ところで元就の戦いの特徴は、城をめぐる攻防戦によく表れ
ている。戦いぶりを物語るエピソードとして、元就がまだ若いとき備後の青屋友梅の城を攻めた
時の話がある。その時、元就は三千五百余の軍勢を率いて攻め入ったが、敵はしぶとくなかなか
落ちない。おまけに味方は死傷者が多く、元就は力ずくで攻めるのをやめ、戦略を変えた。城の
まわりを包囲し、水を断って持久戦に持ち込んだのである。この城はもともと水が乏しく城は容易に
落ちるだろうと考えたのである。ところが城主友梅は、元就に劣らぬ知恵者で、城の様子を伺う
毛利軍の前で毎日、馬を洗って見せたのである。そこで毛利軍の中でも「思ったより水は豊富
らしい。作戦変更はまずかったのではないか。」という者もでてきた。そこで元就は、友梅と親しい
井上光親を陣中見舞いに行かせた。迎えたとも生めは光親を大いにもてなし、大きなタライに
水を張り、口をすすがせたり、馬を洗ったりしてやった。元就の陣営に戻った光親は、「どうも城内
には水が豊富にあるようだ。水に困っているようには見えない」と報告した。だが元就はこの作戦を
撤回せず、「あと、三十日もすれば、城は絶対落ちる。」と粘り、そしてそのとおりに、二十日たった
ころ、友梅は降伏、城を明渡した。友梅は光親を迎え入れた時は本当の水を使ったが、毎日馬を
洗って見せていたのは実は白米を用いていたのであった。白い米をザザーと馬にかけてやる様は
遠くからだと水で洗っているように見えるに違いないと友梅はよんだのである。たが、友梅の計略と
光親の報告の上を行く鋭い読みと忍耐力で、まだ青年の元就はベテランの名将に並ぶ智将ぶりを
示したのであった。
短気は塩分のとりすぎ     織田信長(1534〜1582)
信長、秀吉、家康。天下統一をめざしたこの三人の英雄の性格を説明するとき必ず引き合いに
出されるのに次のような川柳がある。
@鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
A鳴かぬなら鳴かしてみせようホトトギス
B鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス
@が信長、Aが秀吉、Bが家康だが、権力志向の強い秀吉、タヌキおやじの家康、そして極端に
短気だった信長と、それぞれの性格を見事に言い表しているといわれる。この短気な性格が災い
して、信長は天下統一を果たせなかったともいわれ、「織田がこね、羽柴(秀吉)がつきし天下餅、
ただ安々と食うは家康」という狂歌もある。とにかく信長の短気は有名で、乳幼児のころ、カンが
あまりに強く、なんでもカンの虫がおこると乳母の乳首を食いちぎるほどだったので、乳母が逃げ
出し、何人も交替したというのである。「信長公記」には彼の短気立腹、奇行のエピソードが多数
記されているが、なかでも父信秀の位牌に灰を投げつけた話はよく知られている。なぜ、それ
ほどに怒りっぽかったのか。生まれつきといってしまえばそれまでだが、彼の短気を助長したのが、
味付けの濃い食事にあったとするおもしろい説がある。「常山紀談」という本に、信長の味覚を示す
エピソードが載っているが、それによると、捕虜にした料理の名人にあるとき料理を作らせたところ
口に合わず、つい逆上して、「こんなまずいものが食えるか」と斬首を申しわたした。そこで
料理人は、もう一度料理を作らせてくださいと頼み、「それが口に合わなかったら命はいりません」
と願い出た。そこで信長は再び料理を作らせ食べてみると、これが、うまい。「天下一品の味付じゃ」
とほめたたえ、捕虜の身から家来にとり立てたという。なにが違ったかといえば塩加減である。最初
信長に差し出した料理は薄味の京都風。再度作った料理は味付けのはっきりした山家風。信長は
上品な味の都料理よりも、塩辛い田舎料理を好んだのだった。塩分のとりすぎがよくないことは
今では周知の事実。高血圧になるし、心筋梗塞や脳卒中などを引きおこしやすくなる。信長は
やはり塩分のとりすぎで生来の短気な性格に輪をかけたのだろうか。

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    爆弾四方山体験談
実際にあった誰か?
のお話
    

某レストランの大盛カレーライス     カレーライス
数年前のことですが、市内にイタメシ系のレストランがオープンしたと聞いたので、さっそく
行ってみました。メニューを見るとスパゲティー各種、それとカレーがありました。まずは、
スパゲティーを注文して(なんのスパゲティーだったかは忘れてしまいましたが)食べて
みると、なかなか美味しい!私はけっこう、そのお店にハマッテしまい、その後よく
通いました。いろいろな種類のスパゲティーを食べてみましたが、何れも美味しいでした。
ただ、ちよっとこの店のおもしろいと思ったことは、スパゲティーが盛られて出てくる器が、
なんと!取っ手の付いたフライパンそのものなんです。最初は、フライパンで調理して、
違う器に盛り変えるのを忘れてしまって、そのままフライパンのまま出してしまったのかな?
と思ってしまいましそしてある時、たまにはカレーでも食べてみようと思いメニューの大半が
スパゲティーを占め中で、2、3種あったカレーの中の一つを注文して、食べてみると
こりゃまた美味しい!(注意:カレーは、よくある普通のちょっと深めの陶器のお皿に
盛られて出てきました。)私は大のカレー好きで、もともと大食いの私はその量に
物足りず、数日後、またもやその店に行き、今度はカレーの大盛りを注文したのです。
そして、出てきたカレーにビックリ!その量の多さもさることながら、ナント!今度は器が
木製のよくある深めのサラダボール!それもカレーの汁がこぼれんばかりに、
サラダボールの淵ギリギリまできているじゃありませんか!(普通、大盛りになれば、
そのままの器に山盛りとか、器が少し広めの大きいものになると思うじぁありませんか!)
私はスプーンを片手に、どこから手を付けてよいのかわからず、(そのまま、スプーンを
させば、カレーが溢れ出してしまう状態) しばし、ボー然とした後、顔をボールに近づけ
そのまま思わず”ペロッ”とカレーを舐めてしまったのでした。その後、二度目の大盛り
カレーは注文していません!?
飛行機の故障!・・・いや、ハイジャックだ!?      飛行機
数年前ことですか゛、韓国へ旅行に行ってきました。成田空港から飛行機(ジャンボジェット)
に搭乗して出発、飛び立った直後のことでした。(この時、飛行機に乗るのは3、4回目の
ことでした。)15名くらいの団体旅行で、皆、市内の方達で知り合いでした。私の席は
たまたま窓際で、しかも、ちょうど主翼の上あたりでした。離陸して15分くらいたった頃
でしたか、ちょっとこの飛行機、変だ?と、感じたんです。席が窓際で外の景色を見ていた
せいもあり、それと飛行機がバンク(傾く)しっぱなしで飛んでいるので、どうも同じ所を
グルグルと旋回をし続けているようなのです。そんな疑問をいだいた直後のこと、機内
アナウンスがあり、”当機はたったいまコントロール系統の故障を発見したので、安全の
ため只今より成田空港へ戻ります。” と、いうのです。私は、思わず
”ナヌー!コントロール系統の故障だと!・・・” と、小声で叫び、その直後、頭の中を
一抹の不安が、よぎりました。”もしかしたら、この飛行機は落っこちてしまうのでは・・・
も、も、もしかしたら、もうダメなのか!・・・” 気が付くと、機内は騒然として、ざわめいて
いました。ちょっとしてツアー仲間の一人がいきなり立ちあがり、どこへ行くのかと思えば、
電話(飛行機内設置の公衆電話)を掛けに行ったのでした。(これは、後で聞いた
話ですが、その人は、自宅に電話をして奥さんに、”もしかしたら、もうダメかもしれない・・・”
と、遺言的なことを話したそうでした。)そしておまけに、私はふと窓から外を見ると、
ナント!飛行機の翼端から、ものすごい勢いで白煙が噴き出しているじゃありませんか!!
ますます、”こりゃ、本当にヤバイのでは・・・” と。(これも後から聞いた話ですが、この
白煙というもの、実は、万が一のと時に備え、火災などの発生を防ぐ、又は最小限に
くいとどめるための安全確保として、燃料をなるべく空に近い状態にすべく、機外に燃料を
捨てるため、翼端より燃料を噴出させるということで、この噴出している燃料が白煙の
正体でした。)もう、手は汗でビッショリ。心の中で”どうか、無事成田空港へ戻れるように・・・”
と、祈りつつ。・・・そして、十数分後、”ドシッ” と、飛行機の車輪がしっかりと地面を
つかんだ音を聞いて、ホッと一息たとえようもない不安と緊張感から開放されたのです。
ところが、ホッと安心したのも束の間、飛行機が完全に停止してから数分後、また窓から
外を見ていると、パトカーが2台やってきて飛行機に横付けとなり停まったのでした。
たまたま、私の隣の座席の人もこれを見ていて一言、”この飛行機、本当は故障なんか
じゃなく、ハイジャックされているのでは!・・・” と。もう今度は機内は、ハイジャック
騒ぎで、てんや、わんや・・・。結局、このざわめきの中、約1時間ほど私達乗客は機内に
缶詰状態。そして、先ほどのパトカーも実は故障の件でとりあえず事情聴取に来ただけ
だという、情報が入り、一件落着。飛行機の故障も無事直ったというアナウンスも入り、再び
飛行機は豪快なジェットエンジン音を響かせ滑走路を滑り出し、そして離陸しました。
とりあえず故障が直ったと言えども、またその同じ飛行機で行くのかと思うと、やっぱり不安で
なりませんでした。そして、飛び立って約1時間半後、無事韓国のソウル市の空港に
着陸(到着)したのでした。いやはや、てんやわんやの韓国旅行の出発騒動でした!
パワーウインドって、いざという時不便!?     自動車
あるとっても寒い真冬の夜中の出来事でした。私と友人6、7人で高崎市の方へ夜遊び
(何しに行ったのかは、よく覚えていないのて゛すが・・・)に出かけ、その帰りの途中の
ことでした。いづれも友人の車2台に分乗して出かけ、私は友人の愛車クラウンのロイヤル
サルーン・3ナンバーという高級車に乗せてもらっていました。(中古車だそうでした。)そして
帰り道、地元藤岡市内にさしかかった時だったでしょうか、その晩の食べ物の食い合わせか、
腹の調子が悪かったのかわからないのですが、私の下腹が”ググッ”と鳴り、突然一発ガス
発射せざるえなくなったのでした。(それも、相当大きなヤツ。) だけどそこはそこ、普段
仲の良い友達同士、ましては男同士、遠慮する間柄じぁありません。気分よく思いきり、こいて
やろうと思い、下腹に更に力を込めて発射!ところが意に反して、爆発音がありません?・・・
そうです!いわゆる、”すかしっ屁”っていうヤツになってしまったのです。 
”スゥ−−”と数秒噴射。完了!心の中で”なんて気持ちがいいんだろう”と。しばし、私はこの
ささやかな幸福な気持ちにしばしウットリしていました。” どうせ音はしなっかったんだから
黙ってればイイヤ!” と思っていました。ところが、それから数十秒後のことでした。
車内が妙に重苦しい空気、というか異様な臭いが漂ってきて、時間が経つにつれ、その
臭いが強くなっていくのです。そう思った直後、同乗していた友人の一人が、”臭ぇー、誰だ?
屁をこいたのは!・・・”と。しかたありません、私は白状しました。
”俺だよ、悪ぃー悪ぃー。” と。しかし、この臭さ、ハンパなものじゃありません。自分の屁と
いえども、目にしみるような臭さでした。目まいがしてきます。もう、みんな限界です。そこで
運転していた友人が機転?を利かせ、窓を全開に。それも器用にも手元にある
パワーウインドのスイッチ4つ(4ドア車た゛ったので)を同時に押して、いっせいに窓を全開に
したのでした。(後で思ったのですが、この同時に4つ窓を開けたのが原因だったのではないか
と思われます。) スゥーと悪臭が抜けていきます。みんな失神寸前でした。”助かった!・・・” 
ところが、ホッとしたのも束の間、なんせ真冬の夜のことです、窓から入ってくる風は
ビュービューと肌を刺ような強烈に冷たい風です。今度は”寒い!早く窓閉めろ!”と絶叫し、
運転していた友人がすかさず、パワーウインドを閉めようとボタンを押したその直後の
ことでした。 ”ビュービュー・・・” 相変わらず寒い空気が入ってきます・・・。
”んっ!変だぞ!”と運転手が一言。友人が”何してるんだ!早く閉めろよ!”と言うもの、
何度も何度もパワーウインドのボタンを押しているのですが、窓ガラスが上がらないよう
なのです。それぞれ、窓ごとに付いているボタンをおのおの押してみましたが、やっぱり
ウンともスンともいいません。ナント!完璧なパワーウインドの故障です! もうみんな寒くて
たまったものじぁありません。とりあえず車を停めました。もう一台の車も後ろで停まり、
”どうしたんだよ?”と、声をかけてきます。車を停めて、また何度もやってみましたが、
やはりダメです。私も寒さのあまり、車から飛び出し、気が付くと、もう一台の車の後部座席に
無意識のうち?に乗っていました。・・・・・仕方ありません、もうこのまま、窓を開けたままの
状態で帰るしかありません。そしてまた車は走出し、真冬の夜中の道路を、その車は窓を
全開にして、帰って行ったのでした。・・・それもノロノロと?片側二車線道路の信号赤で止まり、
たまたま横に付いた、どこかの車の運転手が不思議そうにその車を見ていたのを、今でも
良く覚えています。
”えっ!私は?” というと、その後しばらくの間、友達は誰も口をきいてくれませんでした。
当然のことですね。 申し訳ありませんでした

音符music by Sora Aonami
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