「更新日記」2002年5月下旬号 
2002年5月 25日(土) 30日(木) 5月中旬号はこちら
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ちりぽん日記もよろしく。
5月20日(月) 何があるかわからないので、朝ドラも見ずに早めに出勤。案の定校長に校長室に呼ばれて、心構えを語られるが、「出来ることだけやればよい。文書等は私がやるから。」と優しい言葉を賜った。総会の資料作り等、昨年度のフロッピーを探したり、名簿を作成し始めたり、なかなか大変ではあったし、職員会議の運営もあり緊張の連続だったが、何とか1日を乗り切ることは出来た。
7時前には帰宅できたが、佳緒里と典子がインターネットをやっているのでなかなか更新できず、待っている間に寝てしまった。一応滑り込みセーフで今日のうちに目覚めて作業に入る。
典子がはまっていたページに「胡桃の森」というのがあり、WEB絵本というのが秀逸で、本当に可愛らしく素晴らしい作品がたくさんあった。絵本3冊を見ているうちに限界まで眠くなってきたというわけで、バタンキューである。更新第2段は午前様。
5月21日(火) 夜中に更新のため起きてからなかなか寝付かれず、朝がつらかった。翼はさらにしぶとく起きないうえに、遅く起きてからお代わりをゆっくり食べているので、さすがの恵里歌もいらいらしていた。
学校では、第1回の家庭教育学級の準備と、安全会及び青少推の総会資料作成に追われるが、事務の先生がいろいろと手助けしてくれる(というかどんどん引き受けてくれる)ので心強く、何とか見通しがもててきた。午後は2年生の落花生のために、畑を耕す余裕もできた。
帰宅は6時半頃で、恵里歌や翼と少しだけ遊んだあと、翼と一緒にお風呂に入り、ゆったりと過ごすことが出来た。恵里歌の空手は典子が送り迎え。
今週は、明後日遠足の引率があり、翌日の夜はPTAの各専門委員会、土曜日は朝から1日県教組の総会。そして、来週は6年生の修学旅行の引率である。旅行の翌日が件の総会である。心身共に持ちこたえられるかどうか。何とか来週には教頭先生に復帰して欲しい。
5月22日(水) 朝は、珍しく翼が早起きし、気持ちよくご飯を食べて出かけようとしたのに、恵里歌がトラブルを起こして、泣かせてしまった。恵里歌は恵里歌ですごい剣幕で怒鳴り散らし、泣きながら登校。一天にわかにかき曇りと言う感じで、修羅場から離れられない我が家のスタートであった。
学校では体育集会で、その場サーキット運動が始まり、体育の副主任が模範演技を披露していたが、私もまねして校長にほめられたものだからついつい調子に乗り、右ふくらはぎを肉離れさせてしまった。6年前に南小でやったときほどひどくはないが、歩くのはけっこうきつい。じっとしていれば全然気にはならないので、デスクワークに専念するには好都合かもしれないが、明日は遠足の引率があるのでちょっと心配。丁度、車で行くことになっていたから多分大丈夫だろうが、厳しい週の中盤になってしまった。パソコンクラブと校長の話を学校のHPにアップロードする。気がつくと7時近く、学校には私一人。忘れ物をした子が取りに来たので、いた甲斐があった。「国府小は俺が支えているんだ。」と言う気になる。
5月23日(木) 筋断裂の痛みは軽くなり、平坦な道を歩くのはさほど大変ではなくなった。遠足だが、要所要所で旗振りをしたり、道の様子を調べたりしつつ、携帯で連絡を取り、目的地に到着。前橋公園は古くて、トイレには落書きがしてあり、がっかりだった。一応県庁所在地の名を冠しているのだから、群馬の恥さらしにならないように、もう少し管理に気を配って欲しい。でも、心配していた天気の崩れはなく、望外の上天気であった。暑くて帰り道が大変だったが、2名を乗せただけで何とかクリア。学校に戻ってからは、畑に水くれをするため、用水路から水くみをする道具を開発し、試運転もかねて出かける。その後はデスクワークで7時頃まで残っていた。明日はPTAの各種専門委員会があるので大変だ。明後日は組合の総会。今週は超ハードである。
我が家では、友加里の「かてきょ」も「恵里歌のシャロームもなく、佳緒里がピアノのリハーサルに行ったのみ。チキンソテーや辛いカップ麺でみんな盛り上がる。翼は念願のお茶漬け。
5月24日(金) 朝行事でヒップホップの全校ダンスが始まった。音楽が響き、インストラクターの先生が軽やかに踊り出すとうずうずするが、じっと我慢で放送に徹する。それでも、理科で畑に行き、耕耘機も少しかけてしまった。放課後には急ぎの用事で気がつくと小走りしていたが、特に痛みもなく、かなり回復した様子。
日直の巡視を終えて、一旦帰宅し、生ラーメンをこしらえてもらい、典子と一緒に食べる。典子も支部の会議で7時から出かける。恵里歌は空手を忘れているようなので、お互いに出かけてしまった。私の方はPTAの各委員会で、担当の数名の先生も参加してくれたが、最終的には10時半頃までかかり、もう一人の同僚がつき合ってくれた。校長は教頭のお見舞いに毎晩出かけており、管理職不在で私がミスター国府であった。途中電話で様子を聞いたが、翼は「XXアイス食べて良いですか?」などと聞いて「いいよ。」と答えると「やったー。」などと無邪気に喜んでいる。典子の方が早く終わって帰宅したようなので、心おきなく最後の施錠までいられた。
明日は県教組の総会で1日家を空けるが、夜は自由なので助かった。明後日は日曜学校のハイキングだが、気楽にのんびり過ごしてこよう。もうちょっとでハードな1週間が終わる。
5月25日(土)

昨夜は11時に就寝なのに、今朝は3時に目覚めてしまった。入浴してすぐ寝直そうと思ったのだが、WOWOWでグラディエイターをやっていたので、ついついそのまま起きていて、県教組の第113回総会に突入。駐車場がないのでバイクで出かけ、途中で給油。学校の畑に水撒きをしてから行ったが、それでも予定の9時より20分も早く着いてしまった。総会は10時からだが、執行委員会が9時から。代議委員ではなく、主催者側であり、雛壇の前に座る。民主党のつのだ義一氏の挨拶は面白かった。その後、昼食をはさんで延々と4時まで議事運営。帰りはかなり風が強く、バイクではきつかった。
途中で何度かメールが入り、家の様子も手に取るように分かる。典子一人で4人子の世話は、かなりきつそうであった。特に佳緒里のボケぶりにはまいった。カオユカは歯医者に行ったのだそうだが、佳緒里はなんと次回の予約がピアノの発表会と重なっていても平然としていたらしい。午後は恵里歌と翼を連れてカットインユアーズに行き、その帰りに暁子先生の個展を回ったという。カオユカの恩師なのにカオユカは留守番だと。冷たい奴らだ。
帰宅して、ネットサーフィン。若葉さんのHPでは惜しくも2001番だった。
暁子先生の個展にて  
5月26日(日)

昨日、典子が暁子先生の個展で撮った写真を上にアップ。
今日はいい天気だ。ただ、お昼から風が強くなりそうなのが心配。嶺公園はどうだろう。
弁当の用意をしてチャペルへ。恵里歌もチャーハンのおにぎりを作ってくれた。礼拝が終わり、講解説教の終わりの祈りが私の当番だってので、それを済ませてからハイキングの用意。乗用車6台に分かれて、前橋の嶺公園へ。空いていてスムーズに異動できた。到着して早速昼食をとり、みんな遊びに興じたが、水関係の遊具が多く、筏や滑り台で、みんなびしょ濡れになった。ただ、着替えの用意があるので安心。翼は滑り台を逆走して高学年の子に注意され、逆切れして泣いたが、雨蛙を発見するととたんに機嫌が直ってしばらく遊んでいた。名前は「ゲコ」ちゃん。
  
5月27日(月) 昨夜、下館チャペルの姉妹から訃報をいただく。土曜日に下館チャペルの伝道者、小島寛三兄弟の奥様、正子姉妹が召されたと言うのである。前々から、いろいろな病をお持ちで、大変な生活はされていたが、人工透析中に亡くなられたとのこと。私たち夫婦が成り立つためにも、ひとかたならぬお力添えをいただいた方だけに、惜別の念が強い。帰宅したら、また、思い出などを綴りたい。
昨夜弔電を打ちたかったのだが、朝8時からでないと受け付けないと言う。このご時世に電報が24時間営業でなくてどうするのかと、かなり疑問に感じつつ、朝8時2分前に典子がかけるとまだ繋がらない。8時丁度には繋がったが、至急で送っても3時間以上かかるという。まさに前近代的な通信手段だが、それ以上の意思表示が出来ない以上仕方がない。
小島ご夫妻は、私の信仰生活を支える上でも、とても大切な役割を担ってくださった。特に、典子と出会い、結婚に進むためにそのご家庭をよく提供してくださり、私は泊めていただいた事も少なくなかった。旦那様の方は式の時のメッセージもしてくださった。姉妹は下館のチャペルに行くといつも気さくに声をかけてくださった。婚約式の写真に写っておられるのでここで紹介すると。右上が小島正子姉妹、左上が小島寛三兄弟である。この写真のうち私の両親と小島姉妹と、3名がすでに他界したことになる。時の流れは如何ともしがたい。追悼の気持ちを込めて、表紙に花と賛美歌第2編136番「我聞けり彼方には」を捧げる。
5月28日(火) 今日は友加里の校外学習があるので、4時20分に起床。6時20分高崎駅集合で、各駅停車に乗り、東京に行くそうだ。4人の班で、いくつかのチェックポイントを通りつつ、基本的には自由行動らしい。友加里たちはアメ横を中心に行動するようで、インターネットでもいろいろ調べていたし、何かの割引券もプリントアウトしていた。私も早起きしすぎたが、寝直すと危険なので、MIDI音楽集に3曲追加。MIDIはネスケでは聞けない場合が多いようだ。それで私もIEに鞍替えした。
寝不足のせいか、朝から体がだるく気持ちも悪い。暑かったのもあるだろうが、昼食後には蕁麻疹が出てしまった。丁度修学旅行の引率の調整で14時には退庁できたので皮膚科に行き、薬をもらい、一寝入りするとすっきりした。2階では佳緒里と恵里歌がトラブっていたが、今日はじっくり話を聞いて円満に解決することが出来た。頭ごなしに叱りつけるのは良くないことに改めて気づく。友加里は無事に帰宅し、アメ横で超お買い得なお菓子の群をリュックいっぱい持ってきた。
5月29日(水) 昨日は午後からずっと寝ていたせいか、1時に目覚めてしまい、うとうとまどろみながら、3時前には起き出す。いよいよ6年生の修学旅行の引率である。と言っても、6年の担任の先生方がしっかりしているので、私はデジカメ写真を撮りまくるくらいでOKだと思う。ただ、疲労が蓄積されているのか、体がだるくて仕方がないので検温したら37度4分であった。多分風邪気味なのだとは思うが、ちょっときついかも。蕁麻疹の薬を飲んでいるので、風邪薬も飲めない。ただただ、無事にこの2日間が過ぎ、少しでも休めることを祈るのみ。鎌倉市内ではチェックポイントでの仕事以外はどこかにしけこんでいよう。鴨川でも、要所要所の写真を撮ったらくつろいでいよう。インターネットカフェでも見つかれば、掲示板にカキコくらい出来るかもしれないが、今後の更新は明日の夜、帰ってきてからになるだろう。体力が少しでも残っていればだが・・・
5月30日(木) インターネットカフェなど見つかるすべもない古都鎌倉と、地方都市鴨川の2日間は終わった。バスの中では必ずうとうととまどろみ、体力の温存を図るも、なかなか体調が整わず、苦しい2日間であったが、なんとか守られ、現在の体温は37.3℃。鼻水が出るのと喉が少し痛い程度で、だるさはいくらか取れたように感じる。
翼も今日は遠足で、4qくらい離れた公園まで行ったようだが、帰りに迎えに行った典子に「気丈にも歩いて帰るよ」と言ったという。
友加里は「かてきょ」を忘れて、典子に迎えに行かれる。佳緒里はピアノのレッスン。恵里歌はシャロームとみんなそれぞれに大変な1日で、典子も1人でよくやってくれた。
よーこさまよりメールが届き、写真を入手したので那須写真館にアップ。
5月31日(金) 今日の勤務は9時15分から12時35分までなので、朝もゆっくり寝て出勤し、3時間こなし、帰宅して一眠り。校長や同僚の薦めもあったので、狩野外科で点滴してもらうと、熱は下がらないまでも体は楽になった。そのまま夜の総会の準備のため、再度学校へ。総会では教頭代理として司会進行に勤める。総会後は明日のPTA奉仕作業の打ち合わせ、体調も万全でないので校長が早めに帰宅させてくれた。
 

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