更新日記2011年1月下旬号

1月31日(月)
めちゃくちゃ冷え込んだ朝で、屋外の温度計は−8.2℃をさしていた。
息子は気持ちが悪いというので休み。
三女は寝坊したため、こちらが遅刻して井野駅まで送る羽目になる。
寒風吹きすさぶ中での昼休みの電車ごっこは過酷だった。
放課後は幸い会議もなかったので、金曜日の就学指導委員会で決まった書類作成。
帰宅後は長女を連れてJAへ。
夜はメンネルの練習もないのでややゆったりモード。

1月30日(日)
夜中にサッカーを見ていたが、延長戦の前半で寝てしまい、肝心の後半のゴールシーンを見逃す。
朝起きて知り合いの日記から日本優勝の状況を確認。
午前中はこちらだけでチャペルに行き、午後は息子と長女も一緒に行く。
グレイス担当の賛美集会で、いろいろなパートを歌うのが大変だった。
妻は商談もあったので、その間にドーナツを購入し、合流してスーパーで買い物してから帰宅。

1月29日(土)
朝は息子を起こすのが遅れ、学校まで送る羽目になった。
そのあと三女を起こし、伊勢崎のスマークまで連れて行って、用事が済むまで買い物など。
帰路に次女がバイトしているホットモットで弁当を買う。
午後は息子を駅まで迎えに行きつつ給油とマック。
ちょっと昼寝をしてから、息子を塾に送り、ニトリで物色。
夜はまた息子のお迎えだが、塾は今回で退会となりしばらくは自分でがんばってもらう。

1月28日(金)
とにかく寒い1日で、風も強かったが、午後は凧揚げをしたので結構楽しめた。
放課後は校内就学指導委員会で、大事な案件を2つ解決。
帰宅せずにそのまま息子を駅に迎えに行き、JAに行ったので、長女を連れていけなかった。
妻は朝から三女を送りつつ茨城に行き、夕方には帰宅。


1月27日(木)
天気は良かったが、昼間は風も強くて大変だったし、夜は冷え込みが強烈で厳しい1日だった。
放課後は情報主任会の出張で箕輪小学校へ。
帰宅後はいつものように長女とJAに行き、夕食もろくに食べずに第九のレッスンへ。
息子はのどが痛くて休んでいたので参加できなくて残念だったが、帰ってくるとかなり回復している様子。

1月26日(水)
昼間は風も少なく、日差しもあっていい感じだった。
午後の風もいい感じで、1年生が凧揚げをしているので見に行った。
帰宅後は、少し休んでから長女とJAに行く。
帰りは何だかゾクゾクするような寒さを感じた。
夜は外出予定もないので、ゆったり過ごす。


1月25日(火)
放課後は、 ぐんま子どもセーフネット活動委員会のインストラクターの方による講演会が行われた。
その準備でプロジェクターやアンプなどを配置し、講演中は写真とビデオの撮影。
確かに、子どもを取り巻くインターネットの環境は危険極まりないことを実感した。
帰宅後は長女を連れてJAへ。
戻って食事をとって、JOYのホームページに童謡フェスの写真アップ先をリンクし、合唱練習へ。
集会ホールではなく、視聴覚室で、山梨の合唱祭と市民公開講座に向けての練習。


1月24日(月)
さほど冷え込みも風も厳しくない、良い1日だった。
放課後は校内研修で、ディベートをする5年生のビデオを見て感心した。
帰宅後は長女とJAに行き、久しぶりに水をたくさんもらう。
また戻って夕食を食べ、夜はメンネルの合唱練習に行ったが、15分遅刻。
「さらば青春」と「君といつまでも」を前半は練習し、後半は代表者の選定で結構もめた。
それでも、最初に白羽の矢を立てられたTさんが2年の期限付きで引き受けてくださり丸く収まる。
一瞬、こちらにも矛先が向かって、寝耳に水だったが、何とか収束して助かった。

1月23日(日)
三女は英検の試験監督のバイトがあるので、朝早く高校の方へ行かねばならず、こちらもそれに合わせて送りつつ出発。
道路はすいていて順調だったが、さらに時間を稼ぐため、三女を送った後は高速を利用。
9時半には茨城に着き、しばしの休憩の後、他の親族をお迎えする。
お昼には亡父の祭壇の前での歓談も終わり、弟を交えて、若い者のグループで昼食。
叔父叔母たちは別行動で昼食に出かける。
帰路は一般道を通りつつ、買い物などもし、センチュリーホームで契約金の残金を渡す。
その後三女を駅で迎えて帰宅。

1月22日(土)
息子も回復して学校へ行けるようになったが、一応学校まで送ってゆく。
その後は、昨夜の結果を受けて、労金へ仮申し込みにでかけ、話がまた一つ進む。
昼前に学校に行って、気になっていた仕事の確認をしていたが、三女の迎え要請が入ったので駅に向かう。
夕方からは市内の学校のブラスバンドによるマーチングを鑑賞するため、音楽センターに。
昨年も鑑賞したが、今回は数段グレードアップした感じで、すばらしいエンターテインメントだった。
特に農二の演奏がすばらしく、宝塚でも見ているような、豪華絢爛、息をもつかせぬ演出だった。
明日は、亡父の百日祭で茨城へ、三女以外の5人で向かう。


1月21日(金)
忙しく長い1週間がようやく終わる。
学校では6時間目までごっこ遊びなどで、ほとほと疲れ果てた。
書写の用意は誰も聞きに来ないし、お昼の放送はめちゃくちゃだし、怒鳴ることも多かった。
やらなければならない仕事も山積みなのだが、夜はセンチュリーホームとの打ち合わせもあるので早帰り。
長女も加えて3人でJAによってから、目的地に向かう。
いよいよ打ち合わせの第1回だが、解体費用や予備費の必要など頭がいたいところ。
帰宅すると、息子は痛みが薄らいだそうで一安心。

1月20日(木)
夜中に目が覚めたら、息子がまだパソコンをしており、昼間から夜までずっと寝ていたので眠れないという。
夕食も食べていないというので、ラーメンと親子丼を作ると、ぺろりと平らげてしまった。
背中はまだ痛いようで、登校は無理そうなので休んで、妻に整形外科でのリハビリに連れていってもらったようだ。
学校では午後出張があったので、5時間目の途中ででかける。
安全主任のための講演会だったが、子どもの命を守ることがどれほど重要なことか再認識させられた。
帰宅しながらJAに寄ったので、長女はまた連れていってあげられなかった。
帰宅してすぐに夕食を食べ、第九のレッスンに向かう。

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