音楽についての思い出


 私は物心ついたときから、声も大きく、歌は大好きでした。バス旅行では、マイクを持ちっぱなしのこともありました。教会に行くようになって、聖歌隊に入り、テナーやバスのパートを読めるようになりました。やがて、指揮もするようになり、予備校生の時、ハレルヤコーラスの指揮をしたのを今でも覚えています。

 妻も歌が大好きで、結婚式の時、二人の歌をテープに吹き込み、引き出物にしました。

鍵盤楽器

 小学2年生の時、ヤマハのオルガン教室に通い始めましたが、周りは女の子だらけ、おまけになかなか両手で弾けず、発表会で右手だけの曲を選んだのを母に恥ずかしがられて、挫折しました。鍵盤楽器に真剣に取り組み始めたのは、大学3年になってからでした。初等科音楽と音楽教材研究の授業でピアノにはまり、ブルクミュラーの「やさしい25の練習曲」の始めの数曲くらいは弾けるようになりたいと思いました。暇さえあればピアノ練習棟に籠もり、毎日2時間くらいは練習したでしょう。そのとき「小2のときから続けていれば、どんなに楽しかったことか。」と悔やまれました。

 昨年まで4年間、4年生や6年生の1・2の普通学級の音楽の授業も担当しましたが、やはり、ピアノがもっと上手に弾けたらと思うことが多かったです。

ブラスバンド

 中学生になって、兄の影響もあり、ブラスバンドでトランペットを吹き始めましたが、中2で愛機を紛失(当時は盗まれたと思いこんでおり、今でもそんな気がする。)し、これも挫折しました。リコーダーはお古も合わせてたくさんあったので、暇があると吹いており、風呂の中でも練習。もう少しで学校代表になれるところでしたが次点で予選落ち。

ギター

 ギターを弾こうと思ったのは、高校1年生の時。教会では「ゴスペルフォーク」と呼ばれる讃美歌が流行っており、その中に「雪降る夜は」という曲がありました。その3番に「星降る夜はギターつま弾き、み神のわざを讃えて歌おう。」という1節がありました。それで、ギターの弾けなかった私は、ギターの練習を始めたのです。もちろん、「雪降る夜は」という曲から始めました。始めは指1本で弾ける簡易コードからでしたが、だんだんと難しいコードも出来るようになりました。

 始めは、姉のお古のクラシックギターでしたが、やがて安いフォークギターを買い、柔らかめなコンパウンドという弦を使っていました。高校2年生の時、新聞配達で稼いだお金で、共鳴板の大きなウェスタンギターを買いました。このギターは今でも学校で毎日使っています。


音楽鑑賞

 ブラスバンドに入ったきっかけにもなったのですが、初めて自分で買ったレコードは「巨人の星」の主題歌でした。その間奏のトランペットの音色に魅せられたのを今でも良く覚えています。ただ、当時その音色はクラリネットだと思い込み、ブラバンで始めに練習したのはクラリネットでしたが、音色の違いにすぐ気づき、トランペットに転向しました。

 当時は兄の部屋のステレオで聴いていましたが、その後、自分でも安いステレオを買い、流行のフォークソングや歌謡曲を買ったものです。初めて買ったLPはチェリッシュの2枚組でした。

 高校生になると、教会のゴスペルフォークグループ「ナルド」に魅了され、追っかけのごとく行動しました。当時、新聞配達のアルバイトも始め、稼いだお金でステレオラジカセを買いに秋葉原まで行きました。5万円以上もする思いラジカセを持って帰ると壊れており、翌日も秋葉原まで行ったのを良く覚えています。ステレオマイクも買って、生録にはまりました。 視聴覚関係に関心が強くなったのもそのおかげだと思います。

 その後は教会でも録音係を受け持ち、いろいろなテープデッキやミキサーなどを操作するようになりました。放送委員は小学生の時からやっており、高校でもしばらく放送部に所属していたこともありましたから、機械操作はわりと得意でした。(5/19)

 CDやMDが出てきて、店頭に並ぶようになるとわりとすぐに入手しましたが、今はパソコンでMP3と言う形式に圧縮した物をわりと良く聴いています。MP3プレーヤーと言うのもあって、ポケットサイズで1時間くらいは聴けます。気に入った曲の入れ替えも、パソコンから数分で出来るので便利ですし、どんなに揺れても全く音跳びの心配がないのもいいところです。

 最近では、スカイパーフェクTVのデジタルラジオからいろんなジャンルの曲を聴いています。100チャンネルもあるので、海外の物や、子供向けの物、懐メロや箏曲なども聴けます。曲名やアーティスト名の表示もされとても便利で、コストパフォーマンスも上々です。(5/22)

(以下、後日に続く)

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