1999年10月13日の上毛新聞の「ひろば」に掲載された文章                         (掲載通算182号)     「すずらん」  天災人災、オウム、東海村臨海などにゆれる社会。NHKの「すずらん」が2日 に完了、朝昼と2回も見ました。明日萌駅に捨て子として駅長に育てられ、再生の 駅のベンチから、昔をしのびながらの永遠の旅立ち。夢と希望に向かってあきらめ ない萌の人生。結局は理解し合う周囲の人々、雄大な北海道を舞台に、雪とSLと 昔の鉄道員の苦労と人情・・・でした。  「人間至る処に青山あり」型と思いますが、再生した駅から静かに旅立った萌の 人生は幸福だったと思います。  私は戦中の3年ほどを除き、生まれた家で72年余、ここから旅立ちたいと望ん でいます。父は直腸がんで闘病1年、80歳で年末に彼岸へ渡りました。  「家へ帰るから、送ってゆけ」に「ここが家だよ」と答えたところ、「駒形だ」 と榛名町高浜の生家を言いました。静かに身体をゆすりながら「着いたよ」に「ご 苦労様」が最後の言葉でした。  人それぞれに生まれ、やがては土となるけれど、生まれた所から黄泉に旅立つの が1番の幸せと信じています。大好きな、惜別の歌などの心にしみる歌謡曲で送っ てもらえたら、至上の幸福です。植物人間にならないように祈りながら、がんばっ ています。