1999年10月4日の上毛新聞の「ひろば」に掲載された文章                         (掲載通算181号)     「ブルースの女王逝く」  昭和12年7月発売の「別れのブルース」などで、ブルースの女王だとたたえら れ「歌は心」などの名言や、歌謡界のご意見番として温かい心を秘めた毒舌をふる わせた、淡谷のり子さんが92歳で永遠の旅路に立たれました。  別れのブルースは戦時中、発売禁止となりながら、その圧力にも負けず、戦地慰 問ではリクエストにこたえて堂々と歌われた由。生涯軍歌は歌われなかった反骨精 神は立派でした。生涯現役歌手として私生活まで犠牲にされた生き方の見事さは、 まさに歌手の鑑だと心を打たれました。青森生まれで若くから歌一筋。  何かと言うと、軍部の圧力で軍歌や国民歌謡ばかり、しかし中には心打たれ、愛 唱する名曲もあります。服部良一氏は「歌謡曲は大衆の心そのもの。そして音楽は 神の心そのもの」と言われましたが、淡谷さんは歌は心そのものを実行されました。 すぐれた歌は永遠の命を保つ、淡谷さんに共鳴し、心からご冥福をお折り申し上げ ます。