1999年3月23日の上毛新聞の「ひろば」に掲載された文章                         (掲載通算179号)     「国家と国旗」  日の丸掲揚と君が代斉唱の板挟みに悩み、広島の高校長が自殺−。新国家を公募 してはとの意見も載ったが、無為無策では困るし、私は現在のままでよいと思う。 「歌を忘れたカナリヤは・・・」捨てられるか、思い出させるのか。日本人は一般 的に号令に弱いけれど、国家と国旗のない国はない。社旗と社歌さえある。  どうしても反対なら“退社するべき”だ。カラオケ1つ歌えない音痴なのか。好 きなものは歌えるではないか。  出征する兵士が寄せ書きの日の丸をタスキにかけた心情を笑えるか。戦争の辛い 思い出はだれにもある。私も最後の現役として、昭和20年6月8日に水戸の工兵 隊に入営の時、肩にかけた思い出を懐かしむ。時々見つめては、半数以上の方々が 鬼籍に入れられたけれど、1人ひとりを決して忘れはしない。思い起こして涙ぐむ 時もある。  祝日には国歌を斉唱し、国旗を掲げたものだが、私も含め掲揚する人は貴重とな ってしまった。寄せ書きの国旗を玄関に出し、若い青春の思い出と反省しよう。こ んなに美しい日の丸と、荘重な君が代を誇りと思っている。