1999年3月4日の上毛新聞の「ひろば」に掲載された文章                         (掲載通算178号)     「日記考」  「日記はなんのために」白沢村の、私より四歳上の千木良氏の文がありました。 私なりの信念と考えを申し述べます。  小学生のころより、書く事と歴史は大好きでした。つづり方などよく読み上げ ていただきました。日記は断片的に心に残っています。昭和20年ころまでは汽 車の旅が大好きで、勤務先の横須賀から帰郷の折には工夫して各線を回り、紀行 文など日記代わりにしました。亡妻の供養にと百観音巡拝を思い立ち、平成元年 9月より3年9月にかけて巡拝バス団で12回、日帰りや5泊などで、坂東、秩 父、西国と達成、紀行文を清書したところ、同士の方に頼まれ近在の方々に複写 して渡し、現在でも交流しています。 私が毎日、日記をつけるようになったのは、昭和62年から発心して生きたあか しを残そうとしてからです。  現在まで一日も休まず実行しています。それもT書店のニューダイアリーが性 にあっているからです。今年は勤められ手帳大賞に応募してみました。日記とは 自分のその日の恥部まで書いてあり、他人に見せられません。生きたあかしが残 れば、子供達がどう扱っても構いません。  切手収集なども趣味のない人は無駄と思うでしょう。人それぞれだと考えます。 氏の懸命な背中を見て育ったご子息は期待に応えてくれると確信しています。