掲載通算36号(平成3年7月28日)
「田辺委員長にお願い」
社会党委員長当選おめでとうございます。あなたのソフトさと真摯(しんし)さで、必ず再生できるものと信じておりますが、得票率に見るとおり、前途多難と心配しております。
私は社会党支持者ではありません。あまりにも組織労働者先行なのと、反対ばかりで、協力性も建言もないのに失望しているからです。しかし考えてみますと、一党独裁はあまり感心したことではないと思います。競い合ってお互いに強くなり、日本丸の安全航海達成の舵(かじ)を、協力して取っていただきたいと切望しております。
田辺委員長なら必ずできます。是非をはっきりさせ、反対ばかりでなく、かく行うと発言し、実行にむけて努力して下さい。県人の委員長に熱いエールを送り、1日も早く、私たちも支持者になれるような態勢をつくってください。今のままでは、私には1票を投ずる気さえおこりません。掲載通算37号(平成3年8月3日)
「年々下がる投票率」
7月28日は知事選の投票日でした。早朝の畑作業と収穫をすませ、近くの投票所へ。いつもなら私が1番だが、今回は49番でした。列をなしている時間なのに1人また1人と勝手が違う。これでは50%ははるかに遠いと思いました。
私たち一家4人はみな投票をすませましたが、投票率は41.59%と過去最低とか。わが町でさえ43.41%ありました。いろいろな事情もあるでしょうが、高校野球の決勝戦も1日やっていたわけではなし、せっかくの権利を放棄する無責任さは、ゴミ問題にも一脈通じるのではないでしょうか。
都市化するほど投票率が下がるのは何の現象でしょうか。人間の心が砂漠のように不毛になり、潤いとか思いやりなど忘れたのかもしれません。
欲得につながる権利はあくまで主張するくせに、投票の権利と誇りを放棄するのでは、あまりにも情けないではありませんか。より良い社会をつくるためにも、権利と義務は大切にしたいと思います。
掲載通算38号(平成3年8月23日)
「逆もまた真なり」
6日の「ひろば」に、ノータイ論の遠藤さんと、外見と中身の高瀬さんの、一見相反する意見が並んで載っており、一脈通ずるものを発見し、非常に参考になりました。私としてはノータイ論に軍配を上げたいところですが、その場によっては外見論にも賛成で、まことも”コウモリ”的ながら引き分けといったところでしょうか。
私はラフな格好ばかりしていて、たまにきちんとして出掛けると「今日は何だい」などと、必ず聞かれるほどです。そんな私ですが、会葬には黒の、披露宴には白の、家紋入りのネクタイをして正装で出掛けます。たまにしかしないので、ネクタイはよく結べず、亡き妻にしてもらっていたほどです。
要は場所柄をわきまえた服装こそ「らしさ」となり、それが自然体ではないのでしょうか。いつか列車の向かい席に座った正装の紳士が、よだれをたらして舟を漕(こ)いでいたのを思い出し、失笑してしまいました。さりとて穴のあいた、よれよれのジーパン姿には同調できません。
「逆もまた真なり」「馬子にも衣装」とか申します。しかし、両者の物の見方の素晴らし
さに合点いたしました。
掲載通算39号(平成3年9月30日)
「戻ってきた時計」
西国33ヶ所巡拝も満願となり、9月12日に帰って来ました。気分も上々でした。
この巡拝のため、農協の特売で買ったエルジン、リュックにバッグ、お土産に錫杖(しゃくじょう)の完全武装?途中でカタンと音がしたのですがあまり気にせず、下車して帰宅。夕食後入浴の際、時計がないのに気付いたのですが、箱に入れたとばかり思っていました。
翌日捜しましたが、不明なのであきらめていました。次の日、所用があって東武定年後一緒に7年間、区の役員をしているS君を訪ね、その話をしました。日時と乗車バスを尋ねられ、その場で電話していただきました。
うれしいことに該当の品は保管後、警察へ届けたという。連休明けに頂きに参りました。
東武バスの営業所で手続きをすませて、吾妻川南の警察署で、ともどもに西国33ヶ所巡拝を果たした、記念すべき時計に再会できました。
非常に親切にしていただき、持つべきものは親友と、感謝の念でいっぱいです。S君、東武、それに警察の方々に厚く御礼申し上げるとともに、銭を投げて見つからなくなり、やっと捜し当てた、”良寛さんの心”が目に浮かんできました。
掲載通算40号(平成3年10月11日)
「常識とは」
三山春秋を読んでしみじみ思い入りました。葬儀のとき、猛暑、降雨、寒風の折など、つくづく実感いたします。弔電披露は代表者1人のみにして、後は焼香中にお願いしたいと思います。
そして結婚披露の祝辞です。双方ともに上司に依頼などされた場合、客の思惑そっちのけで、会社の宣伝まで出る始末。1人3分くらいにしてもらい、もっと祝宴を盛り上げるべきだと思いますが、主催者の進行方向など一向に改まらないようです。
話は違いますが、私の町でも町議など年功が幅を利かせ、議長になっても一向に勇退する気もないようですし、新人は頭を抑えられる状況です。平均年齢は上がるばかりで、若い人は育ちません。
6月には新議員も出そろいました。得票順に席と発言権を持たせるようにはできないものでしょうか。お寒い日本の常識、非常識の現状を打破し、年々老齢化する社会と議会に、一陣の新風を吹き込める人の台頭を切望しております。
掲載通算41号(平成3年10月16日)
「明るい選挙はどこへ・・・」
私が生まれて以来住む群馬町では、10月1日告示、6日投票の町議選が行われました。即日開票の結果、候補者26人の中から22人(定数)の新議員が誕生しました。女性2人と障害者の代表も出たのですが、金も使わず使えない主義で、善戦むなしく次点に泣きました。
不動産、金融、農地成金が相変わらず当選しており、何のための公明選挙のアピールか判断に迷います。いつになったら理想に燃える人、信念を持つ人が当選の栄に浴する時代がくるのでしょう。
口で上手な言葉を並べても、理想論の抜け殻になるのでは、毎回の選挙ごとに投票率が低下するのは、選挙民のあきらめの結果ではないでしょうか。私もつくづくあきれて、投票などごめんと思いながら、まだ正しい希少な人物を探しています。
掲載通算42号(平成3年11月4日)
「わが町のゴミ戦争」
10月末、区長と衛生委員で、一番悪いと言われる西橋際のゴミ置き場を清掃し、生ゴミと危険物を分離、置き場を二ヶ所にしました。
生ゴミは雨天続きだったので、ウジがいっぱいわいており、悪臭で気分が悪くなるほどでした。指定袋以外は収集しないのを承知で、スーパーなどの小袋に入れられていたものを悪戦苦闘して、町指定の大袋に詰め替えたのですが、何と30もありました。
一部の人たちの身勝手さがいかに環境を悪化させているか、身にしみました。通りすがりの車から投げて行くらしいこと、付近の人にも責任の一端はあると思いますが、環境監視員腕章をつけて、早朝より監視することを考慮しました。車のナンバー、住所、氏名などを調べ、強く警告しなければ、今後も清潔さを持続できなくなるかと思うと、情けなくなってきます。
捨てる人より整理する方が人間的にましだと、強がりをいってみても、一人ひとりが協力し合わなければ、理想の環境は生まれません。
掲載通算43号(平成3年11月13日)
“ものは言いよう”
最近の道路工事の現場には「御迷惑をかけ申し訳ございません」などと、作業員が頭を下げているのが描かれていたりして、苦笑しながらも多少の渋滞は我慢できるようになりました。
所が、高崎・渋谷線の緑町付近の工事現場には「右へ回れ」と大書きしてあります。その伝でゆけば「右へまわってください」とか、簡略にすれば「右へまわる」なら納得できます。現場にそんな気持ちはないでしょうが“ふん”と言いたくなります。
命令口調はあまり感心できません。信号ではあるまいし、止まれでは、何か工事が優先して、通行するのはそれに従えとなります。
私の偏見かもしれませんが、ご一考のほどを。
掲載通算44号(平成3年12月2日)
身近にいた“市井の教師”
地域の有志が集まって公民館を借り、10時から正午まで、木曜ごとにダンスの教習をやっております。先生は同級生の夫妻で、勘の悪い私たちに、それこそ手取り足取りで指導してくださり、いくらか自信を持てるほど成長させてくれました。
その中に真に頭の下がる一人の女性がおられるのです。現在80歳、体力的には少し落ちるくらいで、若々しく、不撓不屈ですぐ立ち直る精神力が実に見事なのです。
3月21歳に84歳の夫に先立たれ、さらに8月23日には、最愛の息子さんが60歳で急逝されました。言葉の書けようもなく見守っておりましたが、一字出席が途絶えただけで、このごろは毎週の会に欠かさず出席されます。
心の中には、どうにもならない怒りや、悲しみがあるのでしょうが、あえて平常心で、笑顔を絶やさず一緒に行動しておられます。一見平凡な女性に、どうしてこんなに見事な悟りがあるのでしょうが、私などは立ち直るのに2年余もかかり、やっと平常心の戻れたところです。人生の師は、身近にあるものと感嘆しております。
私の見習うべき市井の教師です。これからの人生に、力強いパイロットが身近にいることで、負けてたまるかと、力の限り生き抜く勇気がわいてまいります。
|