掲載通算26号(平成3年2月6日) 物言わぬ海鳥哀れ 湾岸戦争はますますエスカレートし、このままでは人類はおろかあらゆる生物の赤信号となる。イラクが日本の1日の消費量を上回る原油などを故意に流出させ、死の海を作っている。 羽根を取られて立ちすくむウミウ、原油の海にむごたらしく浮かぶ死体、物言わぬだけに哀れでならない。 結果は分かっていたけれど、何のために戦争をやるのか。環境保護を掲げ各国が浄化に努力をしていたのが、まさに「百日の説法、屁一つ」になってしまった。 少しぐらいの不自由、負担は我慢して、戦争終結にむけて最大の努力、協力をしなければなるまい。ノストラダムスの大予言が当たりそうな気がして不安でもある。イラクもイスラエルを挑発して、アラブ諸国の団結をはかるなどはアラーのみ心ではない。 何が聖戦か。フセインの英雄気取りだけではないのか。今すぐ停戦すべきで、この戦争に勝者も敗者も存在しない。地球の滅亡があるだけだ。イスラムとキリストの代理戦争ではたまらない。 |
掲載通算27号(平成3年2月23日) 待ちのぞむ無条件撤退 イラクが計略的と受け取れる条件付クウェート撤退を表明した。他国の土地を勝手に取り上げておいて、和解を求めるのに条件をつけるとは盗人たけだけしいと言うほかはあるまい。無条件で撤退すべきである。 自国民に被告が出たからといって非難するのは戦争である限り的外れである。もとより戦争はむごいもの。戦場となった国は哀れではある。太平洋戦争でも東京空襲、広島と長崎への原爆投下などでイラク国民の何万倍の人々が死傷した。平和か滅亡か、生か死か。取るべき道は無条件降伏しかあるまい。フセインの責任は死を持っても償いきれまい。 ソ連の出方は多国籍軍の一員として恥ずべき行動であり、自分勝手にすぎる。太平洋戦争においてもしかり。いつも最後にちょっと顔をのぞかせ、ぬれてでアワのつかみ取りをきめこんでいる。私はソ連人は好きだが、表裏ある国のやり方は嫌いである。 |
掲載通算28号(平成3人2月24日) 自然を甘くみた報い 私の子供時代は、我が家の周辺は人家も少なく、杉、松、雑木林などがあり、特に観音堂は杉の大木が天を突き、うっそうとしていた。よく陣取りや冒険ごっこで、境内や野山を駆け回っていたけれど、青ばなをたらすくらいで、花粉症などの症状は、大人も含めて全くなかったと言ってよい。杉の下で毎日遊んでいたので免疫ができていたのかもしれない。 それが65歳になった今年、花粉症状が出た。糖尿病もあるが、鼻水は垂れ、目はかゆく、それでいて鼻をかんでもそんなに出ないのだからまったく嫌になってしまう。マスクは生理的に受けつけない。 杉の木が少なくなっているにもかかわらず花粉症がまん延している原因に、食物が酸性化、環境の変化、吹きさらしの戸外における仕事の減少などにより、抵抗力が落ちてきているせいかもしれない。 山間地の人々は平気で生活し、杉の少ない都会人ほどかかるのは、自然を甘く見ている報いではないだろうか。 |
掲載通算29号(平成3年3月6日) 西暦よりも元号 「わかりやすい西暦の証書」と大川さんの意見があった。私も同感ではあるけれど、日本人である限り、天皇制が存続する限り、心情的に元号に愛着を感じる。 例えば横書きの症状よりも、縦書きで筆太に記された文字に重みを感じる。昔の皇紀何年、には疑問を感じるけれど、さりとて西暦が世界共通で便利だ、スマートだ、とは一概に言えまい。 方言も、言葉は国の手形として共存し、見直されてもいる。私の意見は時代に逆行するかもしれないし、独りよがりと思われるかもしれない。確かに横書きの方が書きよいし、紙面も汚れない。西暦は年齢の計算がしやすい利面もある。読みやすいからと仮名ばかりでは潤いがなく、帰って読みづらいと思う。新旧の交代は徐々に慎重にしたい。 |
掲載通算30号(平成3年3月15日) ひき逃げと警察 3月4日、地区の役員会が近くの公会堂で行われるので、夕方6時過ぎに家を出て、横断歩道のある十字路を渡ろうとした。車の前照灯も見えないので、渡ろうと1歩踏み出した途端、疾風を感じ何かに当てられて左手を突き転んだ。無灯火のオートバイが当たったのだと分かったが、振り向きもせず走り去った。 少し足が痛むけれど、反対側の店で110番してもらい電話に出たのだが、耳も遠くなっており、気持ちも高ぶっていて、警察の迷惑げな応答ぶりに電話を切って会議に出た。 右足の打撲とすり傷、左手甲の打撲と軽く済んだけれど、紙一重の生死の分かれ目に、ぞっとした。 何とひどい“オオカミ”が暴走しているのだろう。翌日、高崎署へ行き、事故係に申し入れたけれど、医師の診断書だの何だのと面倒すぎるし、それにほんの軽傷なので話だけで帰ってきた。事故にあったところは、普段から何かと事故が多いが、信号の中間なので、なかなか押しボタン式も取り付けてもらえない。そして、車は止まらずスピードアップさえしたりする。余り重要でないところに信号をつけて、1番危険な場所が野放しになっており、行政不在を痛感している。時間がたつに連れて腹が立ってきた。口ではうまいことを言いながら、死亡事故でもない限り真剣に取り上げてもらえないし、命あっての物種。役所など当てにせず、自己防衛するしかないと実感した。 |