掲載通算19号(平成2年7月31日)    一文をそえる  私は3歳の時、生母に死なれ、仕事一途で幼子を見る余裕のない父は、高浜 (現榛名町)の伯母に私を預けた。祖母のごとく愛してくれ、「おばあちゃん、 おばあちゃん」と腰巾着のごとく、どこにでもついていったし、必ずつれていっ てくれた。必ず連れていってくれた。小学校に入るので自宅に戻ったけれど、休 みともなれば、そっちで暮らしていて、従姉達とは、わら布団に足会わせて寝た ものだった。近所の従兄弟達とは、烏川で水遊びしたり、小川をせき止めて、ウ ナギ、フナ、ドジョウなど面白いほど捕ったものだった。  結局、私は男1人女5人の末っ子みたいなもので、かまうとしかられるので、 どちらが子供かわからないとくどかれたものだった。もう上から3人欠けたが、 東京に女3人が残っている。年末、年始折々のあいさつは滞ることもあるけれど、 私の  ほどの菜園で取れたジャガ芋、インゲン、トウモロコシ、大根、枝豆な ど年に2回ほど送っている。宅配便の発達で3時までに出せば、翌日は到着する ので実に重宝である。  その時、ちょっとした手紙を同封するのだけれど、それがとってもうれしいら しく、私の不在の時だと、娘と長電話のお礼で、孫が「まだ話している」と言っ たそうな。一文をそえることがこんなにも喜ばれるとは、思いやりの心がいかに 大事かと実感した。もう80歳に近く心配なのもいるけれど、故郷の香りをいつ までも送り続けられるよう、祈っている。