掲載通算12号(平成元年12月16日)    堂々と表札を挙げよう  Y社の宅配アルバイトを7月、12月とやってもう5年になる。いつも泣かさ れるのは表札の全然ない家である。大体不在で集合住宅が多い。紙に小さく書い てあるのもあるけど、風雨にさらされて判読できない。  どうしてそんなに隠れて暮らさなければならないのだろう。せめて「442−1 外処」ぐらいあってもらいたい。ごく簡単なことなのででかい書で大きく表現し てもらいたい。丁寧な家は所番地、家族名全部をはっきりと出していて、誰の名 前で荷物が来てもすぐにわかって実にありがたい。家の構えの大小にかかわらず、 人柄のゆかしさがにじみ出ていて、他人に対する温かい心がくみとれる。  「隣は何をする人ぞ」で尋ねても、となりさえ全然知らない人の多いのにはガッ クリする。自分一人で生きていられるのならそれも勝手。新人類の時代となって 人情も地に落ちたものだ。私ならその家の前まで案内するのに。  私は「日本全国表札運動」を提唱したい。そうすれば隠れて住む悪人や、過激 派のアジトなど一目瞭然となる。心にやましさがなければ、堂々と自己を表札に 出してもらいたい。年末年始、まして年賀郵便などアルバイト学生の多いときだ から、はっきりわかれば頭にきて捨てることもなくなる。表札のない家は、宛先 不明で差出人に返送するくらいの蛮勇?があってもよいのではないだろうか。ご みにしろ空き缶にしろ、何事も自分で携わってみなければ、人の痛みはわからな い。