掲載通算9号(平成元年10月23日)    生きたあかしを残そう  私は大正15年2月11日生まれ紀元節、今は建国の日である。平成時代とな ってしみじみ考えた。今まで何のために生きてきたか。死んだ後に何が残るだろ うか。首長、議員となって名を残せる人はほんの一握り。我々クラスでは高根の 花である。  人それぞれの生き方の中で、この世に生きたあかしを残せる人は幸いである。  毎日の<おくやみ>欄を見ても、「元○○」とある人のいかに少ないことか。  私は5年ほど町の衛生委員をし、代表でもある。上毛の<ひろば>へも写真を 含めて8回ほど載せていただいた。これも活字を通してささやかな生きたあかし となる。  いとこに「いろいろやっているようだけど人間年をとってから世の中の役に立 てないようでは生きてきた価値がない」とハッパをかけられ、身にしみた。  私が生きたあかしを子に孫たちにいかに残すか、誇れるものがあるか不安であ る。8月末に亡妻の3回忌もすませ、半島33カ所観音巡礼も参加した。  第1回は9月1日に埼玉4カ所、第2回は19月2−3日と1泊で神奈川九カ 寺を順拝した。先達の唱名に合わせて、古寺の前で般若心経などを合経すると、 不思議に心が洗われる。  「またご一緒しましょう」と同好の人達もできた。納経帳に足あとも残るし、 各寺のお守を奏掲する手製の額も作った。  毎月1回1泊あてで残りの寺を巡拝し、2月の千葉で満願となる。  さらに秩父34カ所、西国33カ所を目指して、その分のお守額も作った。 目標を持って生きること。お世話になった町にお返しすること、1病はあるけれ ど希望をもって生きたあかしを残し、昭和24年から連れそった亡妻の供養をし、 その分まで社会のためにいっそう精進する覚悟である。